短期集中連載
本物の思考力 著者 出口治明 ライフネット生命会長本物の思考力 著者 出口治明 ライフネット生命会長
第2回
日本はずっと夫婦同姓だったって
ホント?

日本の伝統ってなんだろう?
日本人の美徳って?
私たちが「常識だ」と捉えていたことも、
じっくり検討してみると、かなり怪しくなってくる……。
哲人経営者・出口治明氏が、
夫婦別姓論議をひとつの題材にして、
日本と日本人に関する常識を問い直します。

撮影:平山順一

「日本の伝統」という言葉を疑ってみよう

 日本の普通の市民がどれだけ思い込みや固定観念に縛られているか、例を挙げてみましょう。
 選択的夫婦別姓の議論において、それに反対する人々はよく「日本では、夫婦が同じ姓を名乗るのが伝統だ」と指摘します。「日本の伝統を尊重しないのはけしからん」というわけです。

 しかし、果たしてそれが本当に日本の伝統だったのでしょうか。

 僕は中学校で、「源頼朝と北条政子は結婚して夫婦となり、鎌倉幕府を開いた」と習ったので、普通に考えれば日本の伝統は夫婦別姓だと思うのが自然です。
 また、日本の伝統という言葉を持ち出すのであれば、そもそも日本とはなんなのか、定義してからでないと議論ができません。「日本」という国号は、一般的には持統天皇(在位690〜697年)のころに固まったとされています。つまり、日本という国号には約1300年の歴史があるということです。そして、その1300年のあいだに日本列島で暮らしてきた人々を「日本人」と定義するのであれば、むしろ夫婦別姓が原則であった期間のほうが圧倒的に長い、というのが単純な歴史的事実です。
 夫婦同姓が一般的になったのは、家父長制が色濃く反映された明治憲法の施行以降のことなので、その歴史はせいぜい130年程度。「日本の伝統」を持ち出すのであれば、むしろ夫婦別姓のほうが伝統的なのです。
 とかく「日本の伝統」などという、どこか情緒的で聞こえのよい言葉を持ち出されると、思考が停止してしまい、その響きにつられて「まあ、そういうものなのかな」と簡単に受け入れてしまいがちです。しかし、歴史的な経緯や具体的な事実など、数字やファクトに基づいて論理的に考えてみると、常識のように思われていることが、じつは実態とはかなり異なる言説であることが少なくありません。
 同じような文脈でいうと、「日本人の特性」などという言葉も曖昧な表現です。「日本人は真面目で勤勉である」とか「日本人は情に厚く包容力のある民族だ」といった言葉が、ある種のロマンチシズムをともなって語られることが少なくありませんが、これはいったい、何を根拠に話しているのでしょうか。
 たとえば、2016年の春に公表された「エデルマン・トラストバロメーター(日本調査結果)」(アメリカのPR会社エデルマンによる信頼度調査)は、わが国を「悲観大国」と形容しているのですが、このなかにおもしろいデータがいくつもありました。
また仮に、日本人は情に厚い一面があるとするなら、それは日本が同質社会であることが、大きな理由ではないでしょうか。ここでいう同質とは、単純にいうなら人種、使用言語、宗教や文化、最低限の教育といった社会的、経済的な背景がだいたい同じである、ということです。日本人はこの同質性が高いおかげで、よくいえばお互いに相手を慮る気持ちになれる(空気が読める)、別の言い方をするなら「言葉にしなくても察して」くれて、相手任せにしてもひとまずなんとかなる、というわけです。
 同じような感覚を持っている人が多い(とされている)ので、異なる文化が混在する多民族国家に比べて、摩擦が生じにくいと見ることもできます。しかし、裏を返せば、人生観や価値観が異なる人にとっては、住みにくい社会だということもできるのです。そこで人々は、面従腹背に長けるようになったとする見方も可能です。
 ところで、この日本人の同質性が何によってもたらされたかといえば、おそらく徳川政権が江戸時代初期から鎖国政策を推進したからでしょう。ちなみに、鎖国をプラスに捉える考え方が根強くありますが、僕は愚策だったと思っています。理由は単純で、鎖国のせいで日本は世界の発展に取り残されて世界に占めるGDPシェアがほぼ半減し、人々を土地に縛りつけたので、日本人の身長・体重が著しく小さくなったからです。
 ともあれ、鎖国のせいで、同質性が良くも悪くも強化されただけのことであって、情が深いのは日本人が生まれながらに備えている特性ではない、と僕は考えています。包容力については、赤ちゃんの泣き声をうるさいと感じる大人が、これほど多い国はないという一事をもってしても、疑問符が付きます。
 誤解を恐れずに言ってしまうなら、僕は「日本人の特性」など存在しないとさえ思っています。
 たとえば今日、日本人であるあなたと日本人のパートナーとのあいだに赤ちゃんが生まれたとしましょう。あなたにそっくりな、かわいいその赤ちゃんが、明日アメリカに養子に出されることになりました。そして20年後に再会したとき、あなたの子どもはどうなっているでしょう。きっと、あなたにそっくりな顔をしたアメリカ人になっているはずです。
 同様に、アメリカからWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント=アメリカの伝統的な白人エリート層)のカップルのあいだに生まれた赤ちゃんを、生後すぐ日本に連れてきて育てればどうなるでしょうか。見た目はアメリカ人ですが、中身は完全な日本人になってしまうでしょう。
 これは多くの社会学者が指摘していることですが、人間は育った環境の影響を色濃く受けながら、10〜20年かけて人格が固まっていくといわれています。つまり人間は、育った社会の常識を反映した生き物であるということ。「日本人の特性」とは、せいぜいがここ20〜30年の「日本の社会ではこういう考え方が主流である」ということを大ざっぱに表しているだけであって、けっして日本人が元来持っている特徴を指しているわけではないのです。
 そもそも、地球上に存在している人間はみんな、生物学的にはホモサピエンスという同一種。生まれた社会や肌の色が違っても、男性と女性が結ばれれば子どもを成すことが可能です。そうした観点から見れば、人間はみな同じであって、「日本人はこう」「アメリカ人はこう」などとカテゴライズし、レッテル貼りをすることに、ほとんど意味はありません。僕は、日本人は他国の人と比べた場合、ごく平均的な普通の市民だと考えることにしています。

本当は派手好きだった日本人

 先ほど、日本や日本人の定義について指摘しましたが、日本人1300年の歩みを振り返ってみると、控えめで情緒的というより、むしろアグレッシブで直情的だった期間が長かったと捉えることもできます。
 たとえば、日本文化の礎となった室町時代から戦国時代を経て安土桃山時代に至る日本の武将たちは、自分の領土を拡大し、勢力を高めるために戦いの日々を送っていました。社会常識にとらわれず、ド派手に着飾ったり、周囲の耳目をひく傍若無人な振る舞いをしたりして、いかに自分が目立つかに血道を上あげた「婆娑羅大名」という存在があったほどです。現代の大人しい日本人とはまったく違う特性を備えていた人々がたくさんいたのです。
「日本文化の真髄は“侘(わ)び・寂(さ)び”である」という論調にも、僕はくみしません。たとえば、侘び寂びを体現しているといわれる国宝・薬師寺(奈良県)の東塔ですが、建立当初は現在のような「木のくすんだうす茶色と漆喰の白」という姿ではありませんでした。本来は目にも鮮やかな朱色と緑色を全体に配した、とても派手な建造物だったのです(そうした姿は現在、薬師寺の西塔で再現されています)。当時の日本人は、中国などの先進国と同様にビビッドな朱色と緑色のコントラストをこそ「美しい」と感じていたのです。

日本の美徳とは

 しかし、時間の経過とともに塗装が剥げ落ちていき、塗り直すお金がなかったので仕方なく放置しておいたら、いい具合に全体がくすんだ色合いになった。それを見て一部の人々が、「あ、これはこれでアリだな」と思うようになったにすぎません。
 日本人をどう定義するか、という議論と同じように、どの時代の日本人の趣味嗜好、感性にフォーカスするか次第で、日本人の美意識も大きく変わってくるのです。
 現代を生きる僕たちが、「日本人の特性」とか「日本的な価値観」などと評している事柄の大半は、戦後日本の高度成長社会で醸成されたものです。はなはだしきは、「江戸しぐさ」のように、戦後につくられた偽りの伝統すらあるのです(『江戸しぐさの正体』著・原田実、星海社新書)。敗戦から奇跡の高度成長を経て、先進国に数えられるまでになった、という成功体験。それを背景に形づくられたメンタリティや価値観を、「これが日本の伝統」だと思い込んでいるにすぎないのです。
 ここで付言しておきますが、僕はけっして日本の長い歴史のなかで育まれてきた伝統や文化を軽んじているわけでも、否定しているわけでもありません。むしろ、自信を持って世界に紹介できる、素晴らしいものが数多いと考えています。
 繰り返しになりますが、僕が危惧しているのは、思い込みや固定観念にとらわれて、歴史的な経緯・事実や具体的な数字などに論拠を求めることのないまま、テンプレート的に「日本人とはこういうものだ」「これが日本の伝統だ」などと乱暴に語ってしまうことによる思考停止状態なのです。そして、そうした思考停止に陥らないためにも、歴史や文化に関するリテラシーを磨いていくことがとても重要だと考えています。
 そういえば、ある学者が次のように嘆いていました。「最近の若者は、『日本の伝統を大切にしよう』とか『愛国心を持とう』とか、頼もしいことを言う。ならば、『源氏物語は当然読んでいるよね』と尋ねると下を向いてしまう。そうか、源氏は難しい。しかし『愛国心というからには、北畠親房や本居宣長は知っているよね』と聞くとさらに下を向いてしまう。
 よく聞いてみると、戦後の日本や現代の風潮になんとなく反発して、伝統や愛国心という言葉を弄んでいるだけで、明治の夏目漱石や森鴎外すら読んでいない。まことに嘆かわしい限りだ」と。

PROFILE

出口治明Haruaki Deguchi
ライフネット生命会長
出口治明

1948年、三重県生まれ。京都大学を卒業後、1972年に日本生命保険相互会社に入社。企画部などで経営企画を担当するとともに、生命保険協会の初代財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事する。ロンドン現地法人社長などを務めたあと同社を退職。生命保険準備会社社長を経て、2008年にライフネット生命保険株式会社を開業した。『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『直球勝負の会社』(ダイヤモンド社)、『全世界史』(新潮社)、『世界史としての日本史』(小学館新書。半藤一利氏との共著)など多数の著書がある。