短期集中連載
本物の思考力 著者 出口治明 ライフネット生命会長本物の思考力 著者 出口治明 ライフネット生命会長
第3回
「腹に落ちる」とは何か

どんなにいろいろなことを考えても、
どれだけ時間をかけて悩んでも、
それだけでは意味がない。
数字・ファクトで考え、
ロジカルに理解し、納得しないと、
知識や経験は自分の血肉にならないのだ。

哲人経営者・出口治明氏の
短期集中連載第3回目は
「腹に落ちる」という感覚について考えてみよう。

撮影:平山順一

「親より恋人」を迷わず選ぶことができるのは……

 本当に納得する、心の底から合点がいく、といった状態を表すとき、「腹に落ちる」という表現がよく使われます。「腹」とは内臓のこと。つまり、ある事柄が腹のなかにしっかりと収まり、違和感もなく、落ち着く……という状態を指しています。

 僕は、物事について数字やファクトを使って考え、ロジックに基づいて理解し、納得して初めて、知識や経験が自分の血肉になると考えています。これこそが「腹に落ちる」ということなのです。ここまでにお話ししてきた、「よく勉強し、よく考える」という行為は、腹に落ちる状態に至って、ようやく意味を成すといってもいいでしょう。

 別の言い方をすれば、腹に落ちるまで、考えて、考えて、考え抜かなければ、どんなに勉強しても、理解した気になっても、絵に描いた餅にしかなりません。

 人間は知識や物事を「腹に落ちる」まで考え抜いて、初めて具体的な行動に移ることができるようになります。「考えれば考えるほど、行動に移せない」と言う人もいますが、それは単に「腹に落ちる」まで考え抜いていないだけのことなのです。
 たとえば、みなさんにボーイフレンドやガールフレンドがいて、「将来は結婚したい」と考えているとしましょう。一方、父親や母親は「そんな相手と結婚するのは許さない」と大反対しています。そしてみなさんは、「別れる」か「駆け落ちする」かの究極の選択を迫られてしまいました。「駆け落ち」がピンとこなければ「親と縁を切る」でも構いません。いずれにしても、「恋人」か「親」かを、二者択一で選ばなければならず、しかも選択の機会は1回きりという状態をイメージしてください。
 このとき、多くの人は「恋人」を選ぶのではないでしょうか。それは「自分の両親よりも、恋人のほうが大事」だということが腹に落ちているからです。腹に落ちているからこそ、駆け落ちなどという極端な選択もできるわけです。
 普段なかなか行動に移せないと思い悩んでいる人は、自分の状況や思いをノートや紙に書き出してみる、人に話してみるなど、どんな手段を使ってもいいので言語化してみましょう。それらを目の前に並べて(つまりは要点を整理して)、そこから納得できるまで“考え抜く”習慣を身に付けることをおすすめします。

「思考力」の磨き方

 「本物の思考力」を鍛えるためには、「腹に落ちる」まで考え抜くことが前提条件となります。
 僕が尊敬している、中央大学名誉教授の故・木田元先生(哲学者)も次のような趣旨の言葉を残しておられます。
 「思考力を高めるためには、きちんと書かれたテキストを一言一句丁寧に読み込んでいくことが大切。句読点ひとつにも意味がある。そうして、著者の思考のプロセスを追体験することによってしか、考える力は鍛えることができない」
そのとおりだと、僕も思います。本の読み方について尋ねられたときに、いい本であれば、僕が徹底した精読――速読、飛ばし読み、斜め読みをせず、本の最初から順番に、一言一句、しっかりと目を通していくこと――をすすめているのも、まったく同じ理由からです。
 木田先生は亡くなるまで、ハイデガーの原書講読を若い教え子たちとともに続けておられました。いくつになっても自分の考える力を鍛え続け、そのために必要な姿勢(方法論)を後進に伝えていった木田先生の取り組みは、本当に素晴らしいと思います。

何かを学べば人生の選択肢がひとつ増える

 さて、優れた思考力を得るということは、優れた他人の知識や思索、思考のプロセスなどを吸収したうえで、目の前の課題を自分の頭を使って考え抜き、自分の言葉で、自分の意見として他人に伝えられるということです。「自分の頭を使って、自分の言葉で考え抜く」ことができて初めて「腹に落ちる」という感覚が得られるのです。
 また、僕が誰かの意見を見聞きして「腹に落ちる」ときは、その人の意見が相互に検証可能な数字・ファクト・ロジックに裏付けされていて、反論のしようがないときです。その3つが揃って、初めて議論に足る主義主張が完成します。
 木田先生の言われる「きちんと書かれたテキスト」とは、数字・ファクト・ロジックがきちんと盛り込まれた、整合性がとれていて破綻のない文章のことだと僕は考えています。
 たとえば、経済学について理解を深めたい学生に対して、僕はケインズよりもアダム・スミスの著作を読むことをすすめています。なぜなら、後者のほうが文章がわかりやすく、数字・ファクト・ロジックをベースにスミスがどういう道筋でものを考え、「市場経済」というコンセプトを考え出したのかが、丁寧に書かれているからです。スミスの書いた『国富論』を丁寧に読み込んで、その結論に至った思考の流れを追っていく。そうすることで、スミスの思考のプロセスや考え方が腹に落ちる。スミスの優れた論考を土台にして、自分の意見や考えをまとめる参考とすれば、自分の頭で考え抜くことができるようになり、自分の言葉で自分の意見を発信できるようになると思うのです。
 なみに、スミスのもうひとつの著作、『道徳感情論』も傑作です。
 手間のかかる作業ですが、これを正しく実践しなければ考える力は身に付きませんし、聞くに値する論考を述べることもできません。
 いまはスミスを例に引きましたが、もちろんこの方法は経済学以外の分野でも非常に効果があります。要は優れたプロの頭脳に教えを請うという話ですから、デカルトであってもアリストテレスであっても問題はありません。
 何か極めたい分野がある人はまず、そのジャンルにおいて長らく読み継がれている古典を、腹落ちするまで読み込むといいでしょう。

PROFILE

出口治明Haruaki Deguchi
ライフネット生命会長
出口治明

1948年、三重県生まれ。京都大学を卒業後、1972年に日本生命保険相互会社に入社。企画部などで経営企画を担当するとともに、生命保険協会の初代財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事する。ロンドン現地法人社長などを務めたあと同社を退職。生命保険準備会社社長を経て、2008年にライフネット生命保険株式会社を開業した。『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『直球勝負の会社』(ダイヤモンド社)、『全世界史』(新潮社)、『世界史としての日本史』(小学館新書。半藤一利氏との共著)など多数の著書がある。