囚われ人の日本観 姜と『看羊録』8

 姜が見聞きしたのは実際にどんなものだったのだろうか? それはわからないが、有名な瓢の茶道具がある。ただし直接、織部に関係するものではない。

 熊本藩主だった細川家の伝世品や収集品を保管する永青文庫に、利休が持っていた「顔回」という名の瓢(ふくべ)の花入がある。利休作ともいう。利休がヒョウタンそのものを作ったというわけでは、もちろんない。この瓢は上半分が切り取られている。切って花入に仕立てたのが利休だという意味である。

 顔回というのは孔子の高弟で、『論語』に孔子が彼を評したことばがある。

 —賢なるかな(顔)回や、一箪の食、一瓢の飲、陋巷にあって、人その憂いに堪えざるも、(顔)回や、その楽しみを改めず(顔回のなんと賢明であることか。わずか器ひとつの食べ物と瓢ひとつの飲み物ですませ、人が嫌がる貧しい巷に住みながら、正しい道を追求する喜びを変えることはない)。

 顔回は孔子から深く信愛され、その後継者と目されていたが、若くして亡くなった。孔子は「天が自分を滅ぼした」といって嘆いた、と『史記』にある。

「顔回」という銘は、貧の中で高貴を実践しようとする理念を表現していて、それを一瓢にも満たぬ半瓢の名としたことは、侘茶の器への命銘として見事としかいいようがない。

 もし姜がこの瓢花入を見、その銘を知ったならば、儒者であった彼は当時の侘茶について瞬時に理解するところがあったのではないか。少なくとも、『看羊録』に書いたような異質なものに対する批判がましい表現にならなかったのではないか、というのがひそかな思いである。それとも、こんな瓢の器に畏敬すべき人の名をつけて喫茶の場でありがたがるのは儒教の本質を理解しない日本人の愚行である、とさらにあきれたであろうか?

 しかし、姜の驚きには茶の道具をめぐって動くカネに対してのことでもあった。前回にみたヴァリニャーノの「まったくの笑い物」を珍重する日本人への疑問もまた、それらに支払われる大金に関わる。ここが日本の侘茶のわかりにくいところである。

 質素な道具を大事にしつつ生きることは、儒者にも宣教師たちにもじゅうぶんに理解可能であったはずである。しかも、そんな道具に「顔回」でみたような精神性が付与されていれば、なおさらである。ところが、茶の湯は、質素とは正反対の大金のやりとりが公然とまかり通る世界でもあった。「侘び」の道具は、ここにおいて質素や貧しさといった文字どおりの「侘び」を意味しているのではないといわなければならない。

 利休や織部は、このような粗末な瓢などになにを見たのか? もちろん「美」であったことは間違いない。しかし、その美は姜やヴァリニャーノが理解しないものだった。われわれはどうだろう?

 私自身はといえば、「顔回」におおいに惹かれる者である。利休がそれに発見した美を理解していると主張する気はないが、「顔回」はたしかに美しい。

 織部が所持していた伊賀の水指があって、織部好みの代表的な作例とされる(このサイトのもうひとつのコラム「勝手におすすめ展覧会」6の写真にある五島美術館蔵「古伊賀水指 銘破袋」参照)。歪みの強い胴部のあちこちに大きな亀裂が入ったもので、およそ端正とか華麗とかいった普通の美的形容詞を当てはめにくい姿形をしている。釉薬もムラがあって、一部の淡緑色はたしかにきれいだが、中国景徳鎮や朝鮮官窯、あるいはマイセンとかセーブルの高級品の美感にはほど遠い。しかし、お前はどう思う、と問われれば、この「破袋」もたしかに美の範疇に入る。

 こういったほうがいいかもしれない。「顔回」や「破袋」のもつ美感の中には、「存在感」とでもいうべきものが腰を据えているようなところがあって、しかも身近に愛玩するに足る親しい感覚を覚えさせる。それは美の一種であるが、ただ「ああ、きれい!」というのとは少し違っている。そんな感じでしょうか。

 はなはだ論理性を欠く主観的な表現になってしまいました。小生は茶人とはほど遠い人間である。しかし、茶人流のものの観方になじんでしまって、こういうものが美しく見えるようになっているのかもしれません。次回は姜?と利休や織部との間に立つ心づもりで考えてみましょう。