吉良さんの日常茶飯ばなし【やきものエッセイ(連載)】 − 小学館ブックピープル −
日常茶飯ばなし 49

茶碗と日本人(42)

2011年7月28日

観者の表現主義 1

 サキ(1870〜1916)はわたしの好きな作家のひとりである。その『肥った牡牛』という小説に、つぎのような話が出てくる。もちろんサキ一流の辛味の効いた諧謔である。

 ある画家が展覧会に「真昼の平和」という、クルミの樹の下でまどろむ2頭の焦茶色の牝牛の習作を出品し、つぎに「真昼の聖所」という、2頭の焦茶色の乳牛がその下にいるクルミの樹の習作を出品した。さらに引き続いて「アブも来ぬ場所」「牛の安息所」「牛の国の夢」なるクルミの樹と焦茶色の牝牛の習作を発表し……。これがマンネリズムのパロディになりうるのは、画家は展覧会のたびに新しい別趣の作品を出品するものだという、近代ヨーロッパ美術界の暗黙の前提があるからだ。もっとも晩年のモネのスイレンくらいになると、毎年似たような絵を出してもだれも文句をいわないでしょうけれど。

 近代以降の美術では、表現に個性が求められる。ゴッホはゴッホでなければならず、大観は大観でなければならない。一作一作にも個別性が要求される。吉行淳之介さんが、落語家は同じ話を何度演じても許されるが作家はそうはいかない、という意味のことをエッセイに書いていたが、これが近代芸術家の置かれた状況である。

 以下は私的な体験。

 ずいぶん昔のことだが、あるとき親しくしていただいていた日本美術史の大先生に「君は陶磁史をやっているんだって? あんなものは美術じゃないよ」といわれたことがある。なんら悪意のある口調ではなかった。まだ若かった小生への親切な忠告といった風だった。

 当時は陶磁史という分野は大学教育の枠内でほとんど認知されていなかったし、工芸美術を意味する「マイナー・アート」という英語が日本でも通用していた。当方にしてみれば、美術史を勉強している気はなく(今もない)、ありがたい忠告も聞き流すような失礼のまま今日に至っている。あくまで陶磁史が対象で、そのなかに美術的要素も内包されているに過ぎない。

 それから何年もたって、ある陶磁展の会場でこの方と偶然いっしょになった。先生は熱心に見入っておられる。このとき、現在の老生くらいのお年ではなかったか。

「いかがです?」
「うん、おもしろいね」

 日本の近代教育のなかの美術史は、多分に西欧流の美術史観に影響されているようである。ようである、と曖昧な表現をするのは、私は美術史をきちんと学校で学んだことがなく、推定でものを言っているからである。しかし、学校の講座とはべつに、工芸が日本人の生活の広く長く深い層に及ぶ美的存在として生きてきたことは間違いない。おそらく、それは日本だけの現象ではなく、ヒトの営みの根源的なところに手技があり、美意識がある以上、必然的にそうなるはずである。ヨーロッパが個性表現を重視しつつ近代芸術の概念を形成していったとき、古くからあまりに身近にあり、また大量生産という指向性を内包する工芸が、マイナーな位置にあると規定されたに過ぎないであろう。

 しかし、どうもそれだけでは説明しにくいものが日本人の道具観のなかにあるように思う。それを、この連載のなかでは「個体識別性」ということばで表現してきた。モノの個性といってもいい。ただ、近代芸術における個性でも「個体識別性」は根幹をなしているに違いない。同じことではないか、と読者は問われるだろう。ゴッホの絵は、ゴーギャンの絵と違い、ゴッホの「向日葵」は何作もあるが個々に別物であり、「アルルのはね橋」とは違った作品である。それは「個体識別性」ということではないか? まさにそのとおりであるが、小生が考えていることには少し別の面がある。

 ゴッホは、画家自身の営為として個々の絵に個体性を注ぎこんでいる。観る人はそのことを感得する。そこにはゴッホの個性という源泉があり、絵はその発現として存在するということが前提となっている。これはゴッホといういまでは有名な芸術家に限った現象ではない。ほとんど無名だった彼の生存中からそうであったはずである。

 これまでみてきた桃山時代以前の茶道具の場合、どうだったのだろうか? この問題を考えることが、日本人と道具とのつきあいを知るひとつの道のような気がします。

【参考文献】
中村能三訳『サキ短篇集』新潮文庫、1958