吉良さんの日常茶飯ばなし【やきものエッセイ(連載)】 − 小学館ブックピープル −
日常茶飯ばなし 52

茶碗と日本人(45)

2011年9月15日

観者の表現主義 4

 少し結論を急ぎましょう。

 侘茶の祖とされる村田珠光は、自らの茶碗として中国福建省南部で作られた茶碗を選んだ。それがいわゆる珠光茶碗で、これについてはすでに述べたが、当時の足利将軍家周辺の価値基準からすると、けっして高く評価されるようなものではなかった。舶来品の磁器ではあるが、数多く輸入された量産品で、龍泉窯青磁の優品や建窯の曜変・油滴などに比べると粗末ともいうべき品である。それを珠光は、自身の侘びの意識を体現させる茶碗として選択した。後世からみれば、これは発見として象徴的な意味をもつ行為だった。単にひとつのものを発見したということではない。「あるものを選択することによって自己表現すること」を発見したとでもいえばいいだろうか。

 珠光の自己表現はもちろん茶碗にのみあるのではない。侘茶という名で呼ばれることになる茶の実践の総体が彼の自己表現だったはずである。しかし、茶碗に限らず、他人が作った器物にも、選択を通じて自己を投影させるという表現形式は、その後の茶湯においてひとつの規範をなしていった。あえて「観者の表現主義」というへんなことばを使っている所以です。

 ファッションは自己表現である、といわれることもある。最近話題のレディ・ガガなどをみていると、なるほどと思わないではない。珠光もガガ嬢も同じことではないか、といわれれば、そうですねえ? 料理作りだって掃除だって、自己表現のレベルで考えられないことはない。珠光とガガ嬢を同じ地平で論じていいかどうか、ちょっと考えてみなければなりませんが、ワンピースなりパンツなりに自己のもろもろを投影し、それがその後の人びとの行為や考え方に強い持続的な影響を与えた人がいれば、それは珠光と比較検討するに値するのでしょう。しかし、こんなことを書いていると、まじめな茶人の方から叱られそうですから、この辺で止めておきます。結論を急いでいるはずでした。

 器物に自己を投影させるためには、対象となる器物に個体たる自己に対応する個体性、個別性がなければならない。珠光茶碗は、今となってはひとつのタイプを指すジャンル名称として使われることもあるが、珠光が選択したとき、それは他の茶碗と違う唯一の存在としての茶碗だったはずである。なぜそれが、福建省の地方的な青磁だったのか? 多分に偶然の結果ではあっただろうが、珠光がその茶碗をみたとき、「これこそ」と感得するところがあったに違いない。

 珠光の美意識を示すことばとしてよく引かれるものに「月も雲間のなきは嫌にて候」がある。月がただ空に浮かんでいるのではなく、雲の間に見え隠れするのでなければ面白くない、という意味である。世阿弥の女婿のそのまた孫にあたる金春禅鳳(1454〜1532)が奈良で弟子たちに教えたおりの雑談を弟子のひとりが記したもので、右のことばの前に「珠光の物語とて」とつく。禅鳳が珠光の話を記憶していて、周囲に語ったのである。私自身はこの記事のある『禅鳳雑談』を直接みていないが、永正年間(1504〜21)に書き留められたというから珠光の没後(1502)、間のないころで、珠光が活動した奈良でのことでもあり、禅鳳の周りに集った人たちが興味深くこの話に聞き入った姿が目に浮かぶようだ。

 晴れた夜空に満月が出ている空を想像してみよう。絵に描いてみるとなおよい。それは、それだけでは、先月の月も去年の月も格別の差がないものになってしまう。そこに雲がかかると、雲が流れ、形を変え、一瞬一瞬の月はそれぞれ同じではなくなる。それをみることこそ月を愛でることだ、と珠光はいっている。これは当然、珠光の器物観に通じるものであるはずだ。ただなめらかで完全に円い茶碗ではなく、無名の陶工が毎日毎日、数多く作った茶碗、それだけに一応の規範・規格はあるものの、厳密に同一ではない自由度のある茶碗を珠光は選んだのだと思われる。そして、そこに表われている侘びた風情こそ、自己の茶湯を投影することのできる対象だったのに違いない。それが侘びの茶碗の発見だった。個人としての侘びの茶人における器物には、個別性という性格が内包されていたように思える。

 ところで、右の珠光のことばは、どこかでみたようなところがある。侘茶の美意識自体はかならずしも茶湯の独創ではない。さらに古い日本人の意識に根差したものであるようです。次回に、そのことを考えてみましょう。

【参考文献】
熊倉功夫・筒井紘一・中村利則・中村修也『史料による茶の湯の歴史(上)』、主婦の友社、1994