吉良さんの日常茶飯ばなし【やきものエッセイ(連載)】 − 小学館ブックピープル −
日常茶飯ばなし 53

茶碗と日本人(46)

2011年9月30日

観者の表現主義 5

花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なおあはれにふかし。

 右は『徒然草』第一三七段からの引用である。「花はさかんに咲いているとき、月は翳りのないときにのみ見るものではない。もうすぐ雨になりそうな曇り空に月を想い、簾を下ろした室内で春の経過がわからないというのも、風情の深いものだ」と作者の吉田兼好(卜部兼好、1283?〜1353?)はいう。兼好はさらに、この後で、「望月のくまなきを千里の外までながめたるより、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるようにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたる村雲がくれのほど、またなくあはれなり」と続ける。「明るくはるかな空にかかる満月よりも、明け方近くになってようやく顔を見せた月のほうがずっと心に深く感じられ、青みを帯びたような色合いで深山の杉の梢にかかって見える月が、暗い木々の間やさっと時雨れた叢雲に見え隠れするのは、またとない風情だ」というのが、兼好法師の好みである。

「月はくまなきをのみ見るものかは」は、前回に引いた珠光の「月も雲間のなきは嫌にて候」によく似た表現で、珠光のことばは『徒然草』が念頭にあって出てきたものかもしれない。直接か間接かはともかく、珠光の美意識は250年ほど前の兼好のそれに通じるもので、かならずしも珠光だけの感覚ではない。「望月のくまなきを」以下の文章は珠光の言とぴったり重なる。

 ことばとして似ている「月はくまなき……」では、むしろ兼好法師のほうが珠光よりも過激である。見えない月を恋い、外景の見えないところで季節の移ろいを感じようということまでいっている。脳裏のなかの風物に心情を託しているので、この境地に至れば、混雑をかきわけて物見遊山に出かける必要もないから、たしかに心穏やかであろう。茶碗その他の道具にこだわることもないに違いない。

 花見どきになると、生きているうちにあと何回サクラが見られるだろうと浮ついた気持ちになる小生などは、よくよく右の一文を噛みしめつつ老後を送れば、もう少し澄み切った時間を過ごせるはずだ。向島に行ってまず桜餅を確保し、それから隅田川の堤ぞいに花を見て、芸者さんでもいればちょっとお茶をご馳走になり、浅草に出て白焼で一杯やってから鰻重を食べて、などというような俗な花見をしているのでは、侘びを語る資格はない? さて来年はどうしましょう。

 兼好の意識には、鎌倉時代から室町時代に移行する動乱の転換期に生きた人の無常観が反映していて、それは『徒然草』同段の賀茂社の祭りを述べたところで、行列の通り過ぎた後の大路を見ることこそ祭りを見たことになる、といった感想から窺われる。しかし、その美意識の部分を抽出してみると、兼好をさらにさかのぼって相似た表現のあることに気づく。次に引用するのは清少納言の『枕草子』にみられる一文である。

女一人住む所はいたくあばれて、築地なども、またからず、池などある所も、水草ゐ、庭なども、蓬にしげりなどこそせねども、所々、砂子の中より青き草うち見え、さびしげなるこそあはれなれ。物かしこげに、なだらかに修理して、門いたくかため、きはぎはしきは、いとうたてこそおぼゆれ

むずかしい古文なので、参考文献所載の現代語訳を添えます。「女が一人で住んでいる所は、ひどく荒れ果てて、土塀なども、不完全で、池などがある所も、水草が生え、庭なども蓬が茂りなどこそはしないけれども、所々砂の中から青い草がほの見え、さびしげな様子なのが風情があるというものだ。いかにも賢しげに、家は体裁よく修理して、門の戸締りをしっかりとし、几帳面に一々けじめをはっきりつけるのは、ひどくおもしろくないものに感じられる。」

「あばれて」「またからず」ある住まい、ところどころ雑草の生えた「さびしげ」な庭こそが面白いという。清少納言は平安時代の10〜11世紀に活躍した人である。兼好よりさらに300年ほどもさかのぼる。珠光の美意識のルーツは、日本の伝統に深く根ざしたものだったことが想定される。

【参考文献】
吉田兼好『徒然草』(永積安明校注・訳『新編日本古典文学全集44』)小学館、1995
清少納言『枕草子』(松尾聰、永井和子校注・訳『新編日本古典文学全集18』)小学館、1997