明けましておめでとうございます。

 震災、原発事故、豪雨、財政・経済問題、イスラム圏での政変などなど、ありきたりの表現ながら、昨年はたいへんな年でした。新しい年がいい年でありますように、というのはだれしもが正月に抱く希望に違いありませんが、今年はひとしお切実な思いでしょう。しかし、昨年来の問題の多くは解決されず、なおわれわれを覆っていて、さらに悪化しそうなものもあります。「希望」が実現することの「希な望み」でないことを願うばかりです。

 年頭から意気の上がらないことを書いてすみません。今年は辰年ですから、まず龍の話題から始めましょうか。

 子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥という十二支のなかで、実際にみることが難しいのが辰すなわち龍である。私もまだみたことがない。それでも年賀状には12年に一度、みてきたような龍の絵を無責任に描いて投函している。しかし、まったく無根拠に描いているかというと、そうでもない。龍がどんな姿であるのかについては、南方熊楠の『十二支考』のなかに「竜とは何ぞ」という一文があって、博引旁証、老生の龍像はかなり南方説に依拠している。

 熊楠先生はまず『本草綱目』を引く。生物学、医学などを中心とした中国の百科全書である。これによると、龍には九つの似たものがあるという。頭はヘビに、角はシカに、眼はウサギに、耳はウシに、項はヘビ、腹は蜃に、鱗はコイに、爪はタカに、掌はトラにそれぞれ似ているのだそうだ。

 このなかで、蜃というのもみたことがないが、蜃気楼はこの蜃の吐いた気が作り出す楼閣の姿であると中国の古人は考えた。この蜃の字は、大ハマグリのことで、江戸時代の絵本などには、巨大なハマグリが息を吐いて、そのなかから建物の現れる図があるのがそれである。しかし、海辺育ちの私は、子どもの頃からハマグリにはずいぶん親しんできたが、ハマグリがそんな芸当をしたのをみたことはない。ここでいう蜃は蛟のことで、やはり『本草綱目』によると、「状は蛇に似て大、角有り、龍状のごとくして紅鬣。腰以下は鱗ことごとく逆だち、燕子を食らい、よく気を吐きて楼台城郭の状を成す」というものであるらしい。

 これでわかるかといえば、やっぱりわかりませんね。龍の説明に「龍状のごとくして」といわれてもこまる、というのは現代人のさかしらで、なるほどと、納得顔で頷かねばならない。ともかく、蛟は龍と近縁種であるらしく、全体としては大きなヘビのような形をして、赤いたてがみ(紅鬣)で、ツバメを食べるというから、ヒトを食ったりはしないのかもしれない。とりあえず、こういうのが龍の姿であるらしい。

 博覧強記の熊楠であるから、もちろん話はこれで終わらない。仏典のなかの龍を説いて、さらに世界の龍に及ぶ。長文なので、一部だけを摘記する。

 あるフランス人の書いたものによると、メキシコのガラガラヘビに両羽があって、その地にはワシの頭、トカゲの身、コウモリの羽で二本脚をもつ龍がいるのだそうだ。大きさはヒツジ程度で、ヒトに害をなさないという。興味のある方は、おもしろいのでぜひ全文を読んで下さい。キリスト教の図像で、聖天使ミカエルが退治しているドラゴンは、もっと大きくヒトを害するが、姿はこれに似ているようである。メキシコに行く機会があれば、私も実物を捜してみたい。

 ちなみに、東京の日本橋(町名ではなく橋そのものです)には似た格好で、有翼四足の怪物が欄干に座っている。これもドラゴンの一種かと思うが、前肢が羽になったとする進化の便宜主義的法則から考えると、二翼二足と二翼四足とは別種としなければならない。『本草綱目』では、今日のいわゆる爬虫類からカメの一群を除いて、残りのうち足のあるものが龍、足のないものがヘビとしているそうである。コモド島の大トカゲをコモドドラゴンというのは李時珍(1518〜93。『本草綱目』の編者)も是とするところだろう。

 中国の龍イメージには、恐龍の化石やワニの姿が投影していることは想像に難くなく、熊楠ももちろんそのことに触れている。ワニと龍との関係については、薬学と陶磁器を研究された故中尾万三さんに一文があったと記憶する。ヒンドゥー教の神でガンジス河の化身ガンガーの乗り物マカラはワニを神格化したもので、仏教とともに東伝し、カメだかスッポンだかと合体して経典にいう魚・とか巨鰲になったという説だったと思う。日本のお寺に巨鰲山という山号をもつものがあるのは、それらしい。今その論を載せた戦前の『陶磁』誌が手許にないが、名古屋城の屋根に逆立ちして乗っかっている金色の鯱もその系統だという。

 お屠蘇ボケで、とりとめのない話になりました。次回は龍とやきものについて少し述べたいと思います。

【参考文献】
南方熊楠、飯倉照平校訂『十二支考1』(東洋文庫215)平凡社、1972