朝鮮王朝の正史を『朝鮮王朝実録』という。これは中国の『史記』に始まる紀伝体の歴史書のひとつである。膨大であるうえ小生には難解なので、人の引用を頼りに拾い読みをする程度であるが、さすがに儀礼の王朝で、パラパラ眺めるだけでも儀礼に関する記事が多く、しばしば中国から勅使を迎えての儀式も執り行なっていることがわかる。たとえば、世宗10年(1428)7月条には「世宗が王世子及び百官を従えて中国の勅使を慕華楼に迎え、景福宮で儀礼を行なった」とある。

 この世宗(在位1418〜50)は、朝鮮時代きっての名君とされる王で、ハングルの創始も王の下命による。ソウルに行くと、都であった旧城の南大門(先年、焼失し、再建が急がれている)から少し北方に、徳寿宮から景福宮に至る大路があって、「世宗路」と名づけられている。ちなみに、この大路の中央に大剣を擁し南面して立っているのが、豊臣秀吉派遣の日本軍を撃退した李舜臣将軍である。ちなみついでにいうと、文禄の役が始まったのは1592年、今年と同じ干支の壬辰の年である。そのため韓国ではこの戦争を「壬辰倭乱」と呼んでいる。不得手な算術をしてみると、(2012−1592)÷60=7で、以来7回目の還暦ということになる。

 世宗が即位したのは王朝成立から四半世紀を経たときで、国家体制の整備が本格化した時期であった。儀礼もまたそのなかにある。王室の儀式にはたくさんの器物が必要で、わが家のように、皿でも鉢でも手近にあるものを適当にかき集めてお客さんに供するというようなわけにはいかない。そこで、必要な道具についての情報が担当者たちに共有されなくてはならない。『朝鮮王朝実録』中の「世宗実録」には、付録として儀礼用の道具を図示した部分がくっついている。多くは中国の儀器に倣ったもので、中国青銅器の名前がついたものもある。これも事大の表われで、規範を明確にして、儀器はこの図に則りなさい、という意図である。

 この図のなかに「白磁青花酒海」と題する蓋付きの壺があって、龍の絵が描かれている。よくみると、龍の爪は3本で、前回に触れた出光美術館蔵の青花龍文壺の龍と同じである。世宗12年7月条には、王が慕華楼で中国の勅使を迎えるため景福宮に行幸した際、「青花雲龍白磁酒海三箇」を下賜された記事があって、この青花雲龍白磁酒海は、「世宗実録」付録に描かれた壺と同種のものではないかと思われる。図にあるのが中国製であるのか朝鮮国産であるのかについては、研究者の間で意見がわかれているが、私は中国産だったと考えている。世宗代にはまだ朝鮮半島で青花磁器を生産していなかったと推定しているからである。理由はもちろんありますが、少し面倒な考証になるので、いまはバイパスします。

 右のように世宗のころの文字と図に龍文壺が出てくるが、朝鮮王朝前期の実物となると残っていない。やきものは壊れやすく、戦乱・動乱も少なからずあった。壬辰倭乱はその大なるもののひとつである。中国産か朝鮮産かの議論の決着がつきにくい原因も、残存遺物がないことが最大の原因である。

 一方、その時代から200年以上経った17〜18世紀と推定される青花龍文壺はかなり現存している。これらのなかに五爪の龍がいるのである。それもひとつならず。

 おそらく、これらの龍文壺は世宗時代に祭祀に使われていた壺の朝鮮生まれの後裔で、細部の描写は違うが、文様の基本構成を同じくするものたちだ。じつは、これまた前号で紹介したフランス返還の儀軌書にも五爪の龍が出てくる。こちらは建築内壁画の図柄で、華麗に彩色された龍の絵が記録されているのである。

 いろいろな史料から、朝鮮朝廷は中国の視線をつねに気にしていたふしがある。にもかかわらず、儀式用の壺や建物に中国皇帝専用とされる五爪の龍文を描いていた。ここのところが私にはよくわからない。

「どうして?」

 2、3の韓国の友人に訊いてみた。相手は陶磁史や絵画史の専門家である。

「わからない」

 というのがその答えである。

 中国の体制は明から清に替わっている。そのころ、朝鮮の王室は中国皇帝一族として待遇されていたのだろうか。ご存じの方はぜひお教えください。

 龍とやきものについては3回で話を終えるつもりで(上)(中)(下)としました。以上で予定は完了ですが、龍についてはもうちょっと書いておきたいような気がする。次回を(下の下)とするのは、文字通り下の下の策ですから、補遺とでもしましょうか。