新安船上の食事風景をどう考えるか。これはなかなかにむずかしい問題だ。

 船のなかはきわめて階層性の強い社会である。船長や主要な荷主またはその代理人と、下級船員とでは食事の内容、摂食の場、食べ方に差があったであろうことは想像される。しかし、そういったことをとりあえずおいて、中国製の食具はひと通り揃っていたと思われる。高級船員と商人は、おそらくそれなりの中華料理を中国の食具を使って食べたのではないか。そして、これらの食具はだいたい共有物であったであろう。

 いっぽう、乗り組んだ人たちそれぞれの出自によっておのおの食具が持ち込まれたケースもあったに違いない。日本製の漆器や高麗の金属製スプーンの存在はそのことを暗示しているが、それらは共有物ではなく、個人に属するものだった可能性がある。

 じつは食具の属人性ということも、かねがね気になっていることのひとつである。前にもちょっと触れたかと思うが、日本の一般家庭では、飯茶碗とハシはだいたい個人別になっていて、夫婦においてもミョウト茶碗という個人性をもつものが存在する。いっしょの墓には入りたくないという夫婦も増えているそうだから、これはこれでいい仕掛けかもしれない。わが家のことをいっているのではありません。為念。汁椀や皿・鉢のほうは家族共有というのが多いだろう。韓国の場合も、家庭によって差はあるようだが、食具の属人性がみられ、とくに男系長子においてその傾向が強いという。

 大昔の週刊誌に、マイホームを建てるために倹約を徹底した夫婦の話があった。飯茶碗も汁椀も夫婦でひとつを共用して、ひとりがご飯を食べている間に片方が汁を飲むという生活を続け、大工仕事も自力でやっていて、ついにご主人のほうは体力消耗して亡くなったというのだが、食器を共有することがどう倹約につながったのか。象徴的意味はあったのでしょう。

 それはともかく、新安船でのハシ使用はどうか。

 新安船のみならず、韓国の高麗時代の遺跡からハシが発見されるのは、まだ細かくは調べていないけれど、スプーンに比べるときわめて少ないように思われる。とりあえず手許にある墳墓遺跡の報告書をみても、金属製スプーンが発掘されている例はかなりあるが、ハシが揃っているケースはあまり多くない。

 全羅南道長興郡といえば、高麗青磁の最大の生産地のあった康津郡に隣接するところで、郡内にも高麗青磁の古窯址がある。この長興郡の新月里という場所で多目的ダム建設によって水没する地域の調査が1997年から2003年にかけて断続的に行なわれ、その結果、青銅器時代から朝鮮王朝時代にわたる各時代のお墓が発掘された。その報告書のひとつに高麗時代の遺物を出土した14基の墓(一部に朝鮮時代の製品が副葬された墓を含むから、埋葬年代自体は朝鮮王朝にかかるものがある)の調査内容が掲載されている。

 これらの墓はいずれも土壙墓といわれるタイプで、地面を長方形に掘りくぼめて遺骸を安置する。たいてい副葬された高麗陶磁が発見されていて、時代の差があり、その質も精粗さまざまであるが、象嵌青磁や鉄絵青磁も出土している。副葬品は碗、皿、小壺、瓶の組み合わせがほぼ共通する主な器物である。死者の飲食用セットと考えていいだろう。うち金属製スプーンを出土した墓が9基ある。ところが、ハシはまったく発見されていない。

 全羅北道群山市は韓国西海岸の南北の中間あたりにある街で、百済最後の都だった扶余を流れる錦江の下流対岸に位置し、戦前の日本建築がまだかなり残っている。小型のタコ類、ワタリガニその他、海産物の美味なところでもある。ここを通る西海岸高速道路の建設に伴って、百済時代から高麗時代にかけての余方里古墳群が発掘調査された。高麗墓と推定される石で囲んだ石槨墓15基と土壙墓4基が報告されているが、破壊がいちじるしく、遺物の出土した墓は石槨墓1基、土壙墓4基のみで、うち土壙墓からはすべて金属製スプーンが出土しているが、ハシは出ていない。

 ではハシの出土がないかというと、そういうわけではない。

 やはり道路建設に伴う発掘だが、忠清北道丹陽郡玄谷里というところで中央高速道路建設に際して高麗古墳群が調査されている。地図でみると、小白山と月岳山とのふたつの国立公園に挟まれ、忠州湖に近く、風光明媚な地域のようだが、行ったことはない。ここで調査された高麗墓は石槨墓が27基、土壙墓が6基である。この古墳群は総じて保存状態がよく、遺骨がかなりよく残っていた(合掌)うえ、鶏卵と思われる卵殻やシカの骨なども出土している。ここで金属製スプーンが出土したのは石槨墓6基、土壙墓3基で、そのうちハシを伴うのは、それぞれ2基の合計4基である。ハシはすべて金属製。ハシがあってスプーンを伴わないケースはない。ハシだけ盗掘していく「ハシオタク」がいるとも思われないので、食具の出土数としてはスプーンが優越していることがうかがわれる。

 次回にもう少しこの古墳群について検討してみましょう。

【参考文献】
木浦大学校・韓国水資源公社『長興新月里遺跡 潭津多目的ダム水没地域文化遺跡Z』(木浦大学校博物館学術叢書 第147冊)、2007
韓国道路公社・円光大学校博物館『群山余方里古墳群 西海岸高速道路―舒川―群山間建設区間内文化遺跡』、2001
ソウル市立大学校博物館・韓国道路公社『丹陽玄谷里高麗古墳群―中央高速道路建設区間(驪州―堤川間)文化財発掘調査報告書―』(ソウル市立大学校博物館学術叢書 第4集)、2008