韓国で陶磁に関する会話をしていると「カマ」ということばがよく出てくる。「窯」のことである。朝鮮半島のやきものに関心を抱いたはじめのころ、私はこれを日本語だと思っていた。

 近代的な用語のなかには日本人が漢字を援用しながらヨーロッパ由来のことばを転用ないし造語したものがあって、それらがそのまま中国や韓国で通用している場合がある。「革命」は古い漢語であるが、「レヴォリューション」の訳語にこれを当てたのは日本人だといい、この語は中国でも朝鮮半島でもふつうに使われている。「ケミストリィ」としての「化学」もそうだ。

 朝鮮半島は、日本が植民地化していた時代があり、そのころに渡った日本語がそのまま残存した例がある。いまは使われているかどうか確認していないが、かつて印刷における校正刷のことを「ゲラ」と表現しているのを聞いたことがある。これはもともと、文章を活字で組み上げるための枠の謂いで、日本から入ったことばだと思う。

 窯業にも日本企業が進出していた歴史があって、そういう工場でやきもの作りに従事した経験のある人がいる(日本支配が終わったのが1945年だから、たぶんまだご存命の方がおられるだろう)。そんなおひとりと1970年代に知り合いになり、その人がしきりに「カマ、カマ」といわれるのを聞いて、これも日本語の残影だと早合点した。

 その後、少し深く朝鮮半島の陶磁史に関わるようになって、研究者たちと語りあったり、論文だの報告だのを読むようになると、「カマ」なる語にひんぱんに接するようになった。窯址のことを「カマト」といい、窯内の区分された焼成室を「カマカン」という。カマが日本語だという先入主はどうも怪しいことに気付くことになった。

 例によって余談になるが、韓国でも朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)でも一時「国語純正化」という動きが盛んだったことがある。外来語を排して、固有語を使おうというものである。外来語に抵抗感の薄い日本人は少しマネしてもいいように思うことがあるが、行き過ぎると面倒なことになる。韓国ではひところ漢字教育をやめてしまった。漢字はたしかに外来文化である。すべてハングルで表示しようということになって、1970年代には街中からアルファベットや漢字の看板が見当たらなくなって、外国人にはおおいに不自由だった。現在は漢字、ローマ字看板が復活して、ハングル看板に混じっている。

 新聞、雑誌、書籍ももっぱらハングル表記になって、この傾向はいまもかなり引き継がれている。とくに小説などは原則ハングル表記である。テンプラだのザブトンだのは、かつては通じたが、いまの韓国の若い人たちには忘れられつつある日本語だろう。

 漢字由来の単語がきわめて多く、地名、人名も統一新羅から高麗時代にかけてほとんどが漢字化され、いまの地図や名刺の多くが漢字の音によるハングル表記である。同音異字の場合、小生などは漢字がないと区別がむずかしく、頭にも残りにくい。たとえば広州、光州は同音で、韓国人にも不自由とみえ、ときに京畿道グァンジュ、全羅南道グァンジュなどといって区別している。

 北朝鮮ではさらに徹底していて、考古学関係の論文でも、よほどのことがなければ漢字はみられない。1990年代のはじめころ、ピョンヤン出版の『朝鮮考古研究』などに掲載された陶磁史関連論文を読んでいた時期があるが、青磁だの象嵌だのも固有語で表記し、「青い色の磁器」とか「彫り込んで文様を埋めた青い磁器」などとあって、読むのに苦労した覚えがある。もっとも、すべてを固有語化することはむずかしかったとみえ、磁器だの青磁だのは漢字の朝鮮語読みのまま「チャギ」「チョンジャ」とハングルで表記されているものもあった。これらの基本用語まで固有語化するのはあまりに非能率的だからだろう。

 カマに戻りましょう。前にも参照したことのある鄭大聲さんは『食文化の中の日本と朝鮮』で、新井白石が『東雅』という論のなかに「釜をカマというのは、韓語の方言に由来するのだろう。というのは今も朝鮮の風習では、釜をカマと呼んでいる」という意味を書いているのを引きつつ、竈、釜という厨房設備がカマという呼称を伴って朝鮮半島から日本に渡来したと述べておられる。鄭さんはカマだけではなく、「くど」や鍋という語と朝鮮語との関連などにも触れていておもしろいが、目下の論旨からはずれるので、興味のある向きは直接この本に当たってください。しかし、「くど」はいまや死語であろうから、説明しないとわからない読者がおられるかもしれない。

 老生のこども時代には、台所の土間に竈が設置されていて、煮炊きに使われていたが、これを「くど」あるいは「おくどさん」と呼んでいた。「おくどさん」の「お」と「さん」は敬称ないし丁寧語である。下部に焚口があり、ご飯を炊く羽釜やイモなどを蒸す蒸籠もこの「くど」の上で火にかける。電気炊飯器やガスコンロなどが普及して、いまは民俗展示あたりでなければお目にかかれない。われながら年をとりました、というところで次回に。

【参考文献】
鄭大聲『食文化の中の日本と朝鮮』講談社現代新書、1992