韓国では台所のことをプオック(bu-eok)という。炊事場として「プオックカン」ということばもあるが、旅行中にそういう空間に出入りすることはあまりないので、耳にしたことはない。末尾のカンは漢字語の「間」だ。やきものを焼く窯の焼成室を「カマカン」と呼ぶが、このカンも同じである。

 現在の韓国の都会では、マンション生活が多くなり、昔ながらのプオックは古い家や田舎の民家、あるいは民俗村にでも行かないとなかなか見られない。先日、高麗青磁窯址の密集している全羅南道康津郡でのシンポジウムに参加したとき、「外国のゲストは特別に寺院で宿泊してもらいます」ということになっていて、白蓮寺というこの地の名刹で一宿一飯にあずかった。お寺に向かうバスに乗り込む私に、旧知の韓国の陶磁研究者が「テンプル・ステイ?」と、笑いながら声をかけた。韓国ツアーで最近流行しているもののひとつに、お寺の僧坊に泊まって、朝夕の勤行に参加し、精進料理を食べるという体験型旅行があって、これをテンプル・ステイといっている。
われわれ一行―小生を含め日本人2人、中国人2人、韓国人の世話役ひとりと中国語通訳2人の計7人―は、すでにレセプションで食事を済ませていて、寺での夕食は抜き。静かにして大声をたてないように、といった注意を受けて、夜も遅かったので、すぐ各部屋に別れた。日本人2人は同室であったが、ミャンマー調査などもいっしょにした仲間だからお互い気楽である。室内の壁には「テンプル・ステイに参加する心がけ」というタイトルの紙がピンでとめてあって、「寺刹は修行と祈祷の空間であるから静寂と質素を守ること」とか、「朝夕の仏への礼拝と供養には必ず参加」「道場での喫煙・飲酒は禁止」などといった項目が並んでいた。

 われわれ一行は、みずから希望してテンプル・ステイをしたわけでもないからか、修行には参加することもなく、翌朝は食堂でそろって朝餉をいただいた。野菜料理数種、キムチ、味噌汁にご飯という献立で、椅子席はないが簡単なビュッフェ形式になっている。テンプル・ステイを志したらしいアメリカ人女性3人に、お坊さんのひとりが流暢な英語でなにやら説明していました。

 食事の後、食堂の周りを歩いてみると、竈があった。現在の韓国語では「アグンイ」という。このことばは小生にはなじみで、窯業では窯の焚口を指す。アグンイはこの場合、竈全体というより、薪などをくべる開口部を意味し、それが竈施設全体の呼称に転化したのではなかろうか。もしそうなら、愚説のカマドの「ド=戸、門」説に近いことになる。

 竈から少し離れた位置に甕器という陶製の壺・甕を並べた「チャンドックデ」という、発酵食品や保存食品を貯蔵する地面より少し高くした土台施設がある。これも、かつてはどこの家屋でも必須の設備だったが、キムチやミソをスーパーで買うご時世になると、すたれていくのはやむをえない成り行きである。竈と壺・甕が並ぶ光景を、少し懐かしい気分で眺めました。

 白蓮寺は、康津のなかでも高麗時代中期に名品を焼いた青磁窯址が密集してある沙堂里のあたりから10キロほど北方、康津湾の入江の対岸に、山を背景にした小高い場所を占めている。境内をぶらついていると、木々の間から康津湾がみえ、折からの朝陽を受けて海面が銀色に光っていた。康津産の高麗青磁は、この湾を南に下って外海に出、朝鮮半島の西岸に沿って北上し、都の開城に運ばれた。運搬船には同時に全羅南道で徴収された米穀その他の貢税品が積まれた。寺は現在の郡庁所在地であるかつての康津邑城から遠からぬところにあるから、高麗時代には物資を載せて出港した船が、都を目指して旅立っていくのをみることができたに違いない。

 現在の寺と海との間には田畑が広がっているが、多くの地面は近代の干拓によって陸地化されたものだ。寺域を区切る石垣の上に立って、おそらくは指呼の間を通っていったであろう、帆を高く掲げた高麗船の姿を脳裏に想い浮かべて、朝の清澄な空気のなかでしばし感慨にふけったものでした。白蓮寺のテンプル・ステイは、高麗青磁に関心を抱く老生のような人間にはちょっといい経験でした。