カマドのド=戸(門)であろうという愚推に続いて、ついでに若干の古い単語について思いつきを述べておきたい。

 しかし、古代言語についてはズブの素人である。この分野には本居宣長(1730〜1801)以来の長く深い研究伝統があり、韓国側からの提言、仮説もまたたくさんある。これから書くことは、すでに先行研究が山とあって、既にいわれていることやとっくに否定し去られた内容を含むかもしれないが、東西の文献を渉猟するだけの素養、学問がないので、まあ、飲み屋談義の一種として読んでいただきたい。もともと、このコラムは雑談を旨としたものだったので、雑駁に堕することもご容赦願いたい。近頃の日本の政治家のなかには、飲み屋談義的発言を飲み屋以外の場所でやって物議をかもしている向きも少なからずあるようだが、この雑文では世の大勢に影響はないから安心である。

 と、前振りをしておいて、のっけから横道に逸れる。

 近年の私の名刺には肩書きを入れていない。さして明示すべきほどの肩書きがないからであるが、名刺を交換すると、よく何をやっているのかを訊かれる。肩書きのない名刺はもらったほうで、なんとなく落ち着きが悪いものらしい。

 前回触れた韓国全羅南道康津郡のシンポジウムは、同郡の高麗青磁窯址をユネスコ世界文化遺産に登録したいという趣旨のもと開催されたもので、国際記念物遺跡協議会の韓国事務局(ICOMOS−KOREA)が主管していた。自然、陶磁史関係者以外の人がたくさん参加していたため初対面が多く、名刺を交換するたびに「汝は何者なりや」と訊かれた。こういうとき、日本では「浪人です」という。韓国では「プランイン」と答える。漢字で書けば浮浪人であるが、これにはわけがある。

 あるとき、日本語のわかる韓国の友人に、「浪人」は韓国語でなんというのだろう、と訊いてみた。韓国語でも浪人と書いて「ナンイン」と読む語はあるが、これはふつう失業者の意で使われる。そのときの友人の笑いを含んだ答えが「プランイン(浮浪人)かな?」であった。徘徊老人化しつつある自分にはふさわしいような気がして、以後プランインを自称しているのである。「浮浪」「浮浪人」の語は『日本書紀』にもあって、この場合は本籍地を離れた住所不定の輩を指す。小生の場合、住所は名刺に明示しているからそれには当たらない。「陶磁史を少し勉強している徘徊人」とでもいうのが、ほんとうのところかもしれない。同じ漢字語でも日韓の間で微妙なニュアンスの差がある。

 日本語と朝鮮語のように、同根と思われる部分がかなりあるうえに固有語と外来の漢字語が入り混じり、かつ相互にことばを交換しあっている場合、しばしば同音同義、同音異義、異音同義、同源異義などの現象が起きる。そこを考えるのはなかなか面白いので、世にはアマチュアも含めて歴史言語を調べる人は日韓ともに数多いるようである。老生もそういうのは嫌いではなく、ことば談義をやってみようというわけで、批判、反論はおおいに望むところです。

 まず「ラ」ということばから。

 これは新羅の羅である。新羅は、日本では「しらぎ」と読んでいる。現代朝鮮語ではシッラ(Silla)と発音するが、これはシンラの音便転訛である。このラが国を意味する語だということは、すでに指摘されているが、小生もそう考えている。司馬遼太郎さんの済州島旅行記『耽羅紀行』にも、「ラ」という音が、国・地方をあらわすことばだったのではないかという推定が述べられ、『魏志』「倭人伝」の末盧国の記述を引いて、「古代、いまの唐津市付近一帯らしい地域がマツラ(末羅・末盧・松浦)とよばれていた」として、「ラ」論ともいうべき議論を展開している。すなわち、済州島の古名である耽羅もまた、羅としての独立した一国であったというのがここでの司馬さんの主張で、他の羅の例として伽羅(伽・)を挙げている。そして、耽羅から済州への変遷について次のように概括する。

―独立国とはいえ、強国の百済に牽引されるところが強かったらしく、やがて、百済の力がよわくなってくると、新羅の勢力下に置かれた。ついでながら百済は耽羅を属国にすると、羅が国をさすことをきらってか、耽津と変称させた。……さらに高麗朝の末期(1291年)に「済州」というふうに、州の字をつけて行政区そのものの名称に改称させられた。―

 耽津、耽羅については改めて触れるつもりだが、とりあえず「ラ」に関して次号でさらに考えてみましょう。

【参考文献】
司馬遼太郎『耽羅紀行』(「街道をゆく」28)、朝日文庫、1990