足利健亮さんが「日下・東・百済―古地名和訓の成立を推理する」をお書きになった契機は、「日下と書いてクサカと読むのはどうしてか。東は、なぜアズマとも読むことになったのか。そして、百済はなにゆえにクダラなのか」という疑問をずっと抱いていて、それに対する納得のできる答えをみつけたからである。

 日下も東も、地名・人名としてわれわれの周囲にある。私の知人にもこれらの姓をもった人たちがいる。こういう身近なところに問題を見出して、長年考えるというのはいいですね。改めて訊かれると、全然わからないということはいっぱいあって、疑問をもたなかったことがかえって不思議ということになる。

 日下については、私もなぜだろうと思ったことがあるが、まったく追究する発想がなかった。百済は、日下、東に比べると身近なこととはいえないが、多くの人が学校の社会か歴史の授業で、目にし耳にしたことはあるだろう。これについては私も長年にわたって真面目に疑問をもってきて、いまは愚案ともいうべきものがあるが、それはあとで申し上げます。

 まずは足利さんの、日下がなぜクサカなのか。

 クサカの本来の漢字表記は「草香」である。この「草」の字から上の草冠と下の十を省略すると、「草」が「日」になる。足利さんが引き合いに出しておられるとおり、これは現代中国が字画の多い繁体字から一部をはぶいて簡体字を作ってきた方法で、たとえば麺は面と書いてすませている。考えてみれば漢字からカタカナを作るのだって同じようなところがある。足利さんは例証として、「菩薩」を草冠だけ二つ続けて書く古くからの方法を挙げている。縦棒が平行する「サ」が重なったような文字は古文書によく出てきて、小生にも馴染みがある。最初はなんのことかわからず、注解をみて「なるほど」と納得したものだ。「下」は「カ」の音をもつもっとも簡単な字で「香」に代替しただけだという。

 自然科学の世界では「エレガント」と評される式がある。アインシュタインの有名なエネルギーと質量の等式E=mc2などはエレガントの代表例で、簡潔明快な形に大理論がまとめられている(のだそうです)。足利クサカ説は、アインシュタインの学説ほどの世界的影響力はなさそうだが、はなはだエレガントで、おおいに感心しました。ご当人が自ら納得されたのも当然である。

 次の「東=アズマ」に対する解。

 これは、「もともと上野国吾妻郡一帯が原義は不明ながらアガツマと呼ばれていたのがアズマ=東になった」というものであるが、小生にとってはあまり関心をもってこなかったせいか、「なるほど」という以上のものはない。

 さて、クダラ問題についてであるが、足利さんはつぎのように書いている。

―私は、百済の人が日本へ仏教を伝えたことにヒントがあるのではないかと思う。百済国名の『日本書紀』における初見は「神功摂政前紀」庚辰十月条であるが、その古訓にクダラのほかにクダラクとするものがあったことは、見落とせない。なぜなら、この後者の古訓は、フダラクという音につながりそうだからである。―

 仏教国百済をフダラク(補陀落)と同化し、それがクダラクに転訛して、さらに末尾の「ク」が脱落しクダラという訓になった、というのである。

「ク」と「フ」は発音のうえで親近性があり、代替性がある。モンゴル・元の皇帝をフビライ・ハンといったりクビライ・カンといったりする。ウズベキスタンの都市をブカラと表記することもあればブハラと書いたりもする。外国語の末尾の子音も日本人には聞き取りにくく発音するのも難しい。現代韓国語でいえば、混ぜご飯の「ビビンバップ」の最後の「プ」は母音のないpの音で日本人にはうまく聞きとれず、いいにくいため、「ビビンバ」で終わってしまう。streetが日本ではsutoriitoになる、というようなことをライシャワー氏も書いていた。

 というわけで、百済人がどういう発音をしていたかはさておき、足利説はありうるようにも思えるが、どうもクサカ説のようなスッキリ感がない。

 ここで再び国を意味する「ラ(羅)」を登場させたい。

 クダラは、シラギが「シ」または「シン」という羅だったように、「クダ」という羅だったのではないか? しかし、新羅=シラギに比べると、百済=クダラはあまりエレガントな等式にならない。「クダ」について、少しくだくだしくなるが、説明が必要であろう。それが次回のテーマでなければなりません。

【参考文献】
足利健亮「日下・東・百済―古地名和訓の成立を推理する」『新編日本古典文学全集2 月報2』小学館、1994