碧浪島には行ったことがないが、莞島は訪ねたことがある。

 この島に付随する将島という小島があって、新羅末の9世紀に張保皐なる豪族が本拠(清海鎮)を構えて勢力を張っていた。この人物、黄海や対馬海峡を往来した武将兼海商で、唐からも信任を得て山東半島の東端に領地をもらい、新羅人のコロニーを経営した。846年に彼は暗殺され、清海鎮も壊滅してしまったが、その存在形態は東アジア海域における羅国家の伝統を思わせるものがある。当時は耽羅がかろうじて存続していた時代である。莞島は韓国随一のアワビ生産地で、このあたりも済州島とちょっと似ている。

 例によって話が横道に逸れる。韓国のテレビドラマに『海神』というのがあって、これは張保皐を主人公にしているそうだが、多くの韓流ドラマ同様に私自身は観ていない。

 清海鎮遺跡は新羅史研究において重要であるのはもちろんだが、高麗青磁の研究者の間でも注目されていた時期がある。将島を含む莞島は全羅南道康津郡のすぐ南の海中にあり、康津郡は高麗青磁最大の生産地として知られる窯場がある。高麗青磁が中国越州窯青磁の刺激によって発生したものであることは広く認められていて、黄海を自分の庭のように往来し、中国に強いコネクションを持っていた張保皐が青磁製作技術を朝鮮半島に導入したのではないか、という推論がかなり有力な仮説のひとつとして提唱されたことがあった。その考えが正しければ、高麗青磁に先立つ新羅青磁があったことになる。将島の発掘調査によって、新羅青磁が発見されるかもしれない、という期待があったのである。私もかつて張保皐青磁導入説におおいに惹かれたひとりである。

 結論からいうと、清海鎮遺跡から青磁は出土したが、それらは中国の越州窯青磁だと判断されている。

 その後、高麗の都だった開城(現在は朝鮮民主主義人民共和国)に近い地域に越州窯の窯に酷似したいくつかの窯址が見つかり、南の康津郡よりもそれらの窯が先行するだろうとする説が強くなった。朝鮮半島青磁の発生に関しては今なお論争があるが、新羅青磁は存在せず、10世紀に高麗青磁として出発したのだろうと目下の私は考えている。

 もう少し張保皐関連の話を続けさせていただきます。

 張保皐は博多に来航したこともあって、日本の記録では張宝高という名前で出てくる。比叡山延暦寺で最澄について学んだ慈覚大師円仁は彼におおいに世話になった。というのは、円仁さんが承和5年(838)に唐に渡って仏法を学ぼうとしたとき、入唐の便宜を図ったひとりがこの張保皐だった。円仁さんは唐に足かけ9年滞在するが、仏教排斥の嵐(会昌の法難)に遭遇し、むりやり還俗させられるなどの苦労を重ね、帰国の際も張保皐の旧部下の世話になっている。このとき張保皐は先述のとおり暗殺されて、この世にいなかったのである。

 円仁さんの求法の旅の次第は、その『入唐求法巡礼行記』に詳しい。歴史学者・元駐日アメリカ大使として日本人にもおなじみのエドウィン・ライシャワー氏が世界三大旅行記として挙げたひとつがこの書である。ちなみに他のふたつは三蔵法師玄奘の『大唐西域記』とマルコ・ポーロの『東方見聞録』。これによると、円仁さんの通訳としてしばしば新羅人が活躍している。大唐帝国の勢威が衰えつつあったこの時代、新羅政権もまた揺らいでいて、国家という軛からかなり自由なかたちで、3か国語をあやつって生きるマージナルな新羅人がおおいに活動していたようである。

 今年(2013年)6月に中国の浙江大学で行なわれた「高麗青瓷 国際学術会議」なるものに出席したが、ひとりの朝鮮族女性が通訳として大活躍していて印象的だった。韓国語の発表を即時に中国語に訳し、その逆もやり、さらに英語を中国語に、次いで韓国語で通訳し、日本語も会話ならまず問題がないという人で、二日にわたって4つの言語を即座に切り替え続けたのには驚きました。4年前、ソウルで開かれたシンポジウムでも通訳を務め、そのとき私と会っているそうだが、聞いて初めて「そういえば……」という程度で記憶が定かでない。うら若く美しい女性の顔も憶えられない情けない昨今であるが、彼女の雄姿を眺めながら、円仁さんの通訳事情を思い浮かべておりました。

 この連載、100回で終えることにしている。あまり道草ばかり食ってもいられない。次回から何度目かの軌道修正をして、なんとか辻褄を合わせる所存です。

【参考文献】
円仁/足立喜六訳注・塩入良造補注『入唐求法巡礼行記1・2』平凡社、1970、1985