志賀島出土の金印の5文字を眺めれば、「漢は倭の中の奴国の指導者にこの印を与えて、その国王と認める」という後漢朝廷の意図が読み取れるようだ。ここで有名な『魏志』倭人伝の冒頭の文章を再度思い起こしていただきたい。

 倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて国邑をなす。旧と百余国。漢の時に朝見する者あり、今、使訳の通ずる所三十国。

 倭人は今の韓国中部から東南に行った大海の中にいて、山や島に居住して国邑を作っている。もともと百か国以上あった。漢の時代にその朝廷に使いが来て、天子に拝謁した。今は使いや通訳の往来する国が三十ある、という内容である。

 倭人の国がたくさんあったことがわかる。と同時に、徐々に統合される傾向にあって、当時は30のクニが中国と通交している。ただし、この「今」というのが魏国の今なのか三国全体の今なのか、あるいはまた後漢以来の今なのかはよくわからない。『魏志』倭人伝が述べる倭人と倭国の状況は、『後漢書』においても類似の表現がみられ、元情報が得られた時期の「今」がいつなのかよくわからないからだ。『後漢書』の当該部分はつぎのようなっている。

 倭は韓の東南海中の中にあり、山島に依りて居をなす。凡そ百余国あり。武帝、朝鮮を滅ぼしてより、使駅(訳)漢に通ずる者、三十許国なり。

 ふつうにいえば、後漢の後に三国時代があるのだから、三国のひとつの魏の歴史を述べた『魏志』よりも『後漢書』のほうにより古い情報が含まれているはずだ。しかし、成書年代からいえば、『魏志』を含む『三国史』のほうがおおよそ1世紀ほど早く書かれた。

『三国史』を書いた陳寿(233〜297)の倭人に関する情報源は、今は一部の逸文しか知られていない『魏略』という書にあったとされる。『後漢書』の筆者范曄(398〜445)は、『魏略』の記事を陳寿から孫引きし、少し改変したらしい。『魏略』を書いた魚豢という人物の情報源がなんであったのかはわからないが、後漢または魏に来朝した倭人や通訳官からの生情報が含まれていた可能性はある。陳寿も范曄も歴史家であるからには、自分でも情報収集を試みたであろうが、場所や国数などの基本的なところでは魚豢の認識を越えることはなかった。現在のわれわれも、もっぱら魚豢氏の知識を頼りに日本の古いかたちを推定していることになる。頼りないといえば、頼りないですね。ともかく後漢の初めから三国時代にかけて30ほどの倭人のクニが中国大陸と往来していた、と解しておきましょう。

 そのうちのひとつの使者が光武帝の朝廷にやってきた。「われこそ倭人の国の代表なり」くらいのことは口上で述べたかもしれない。後漢朝廷では倭といっても複数のクニらしき存在があることはすでに承知している。

「汝は倭のいずこの人なりや?」

「されば倭の奴人なり」

 みてきたような風にいえば、まあ、こんなところだったのではないでしょうか。

 前回にも触れたが、漢の朝廷が諸国に与えた金属製の印がいくつか発見されている。これらは現在のように書類に捺す印ではない。紙はすでにあったが、書写の材料としては竹か木の縦長の板(札)が一般的だった。これを紐でつないだ形が「冊」、巻きずし用の簀子のように巻いたものが「巻」で、いまだに書物を数える単位として使われている。書き間違うと、小刀で表面を削って書き直した。記録係の役人を指す「刀筆の吏」ということばは、古くは小刀と筆が彼らに必須の道具だったことに由来する。ということは、書類改竄が案外簡単だったということでもある。そのため信書は巻いて紐で縛り、結び目を粘土で覆い、そこに印を捺して先方に届けた。封印である。

 中国の中原からみると、倭の反対側の西南、現在の雲南省に●というクニがあった。現在は省都昆明にある●池という巨大な湖にその名をとどめている。司馬遷が撰した『史記』の「西南夷列伝」にこの●のことが出てくる。時に元封2年(前109)、漢の武帝は巴蜀(ほぼ現在の四川省)の兵を動員して西南夷を攻めたが、●王は漢に服属することを申し出たので許し、「●王に王の印を賜い、またその民に長たらし」めた。西南夷の君長は一〇〇を数えたが、王の印を受けたのは●と現・貴州省を本拠とした夜郎だけだったと『史記』はいう。

 雲南省に石寨山という●の遺跡がある。その墓のひとつから「●王之印」と彫られた金印が出土した。日本出土の金印とは時代に1世紀半ほど差があり、細部も多少違うが、両者相似た型式のものである。

 もっとも、これらの金印は通常の実用品ではなかっただろう。漢や後漢への親書には使ったかもしれないが、クニに帰って周囲に見せる威信財のようなもので、これがあれば漢帝国からいっぱしの国として認められたという証しだったに違いない。

*「●」は「さんずい」に「眞」

【参考文献】
石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 中国正史日本伝(1)』岩波文庫、1985
宋范曄撰・唐李賢等注『後漢書』中華書局(中国)、1964校点
箭内亘訳並註『国訳史記列伝 下巻』(国訳漢文大成 史記 四)、国民文庫刊行会、1922
雲南省博物館編『雲南晋寧石寨山古墓群 発掘報告』文物出版社(中国)、1959