ここまで、中国史籍による場合は「国」とし、その他の場合は「クニ」と書いてきた。「国」というのは、本来の漢字では國で、或(=域=地域)が四角で取り囲まれた形をしている。四角の四本棒が示しているのは壁とか塀のたぐいである。「城」というのも土手か土塀で囲まれた場所を指し、似たような成り立ちの字である。こういう囲まれた比較的狭い空間から出発した国というものが権力構造の強大化とともに拡大していった。万里の長城というのも巨大化した国という字を囲む長い棒線であると考えればわかりやすい。

 唐の杜甫が「国破れて山河在り」と詠った国は現在のわれわれが脳裏に描く国家ではないし、現代の中国とも直接には重ならない。城壁で囲まれた長安の都を中心とする唐の支配体制であり、次句の「城春にして草木深し」の城は長安の城市である。

 一方「クニ」とわざわざカタカナで書いたのは、朝鮮半島から日本列島の一部に多数存在したラ(羅)、またはそれに類する人間と土地との複合体というほどの意味である。漢代までに確立されていた、天子と城壁で囲まれた首都を中心とする構造をもつ大陸的観念の国とは少し違っている。中国周辺に多数発生していたクニの多くは、自然発生的な人間集団の根っこを残した原初国家的な存在であっただろう。

 おそらく「ラ」は、人の集まった状態または場所を指すことばとして出発し、その早い段階の例としてはムラ(村)が挙げられるだろうと思う。現代の韓国・朝鮮語では「ムル(水)ラ」、現代日本語では「ミズ(水)ラ」となるべきことばで、ムルとミズは同根の語である。水を中心に、あるいは水に囲まれて人の集まった場所がムラと思われる。水田耕作に携わる人間集団の住む場所もムラだし、環濠集落もムラだろう。

『魏志』倭人伝に描かれた世界は、個々の生産・生活集団のムラをかなり統合した小国ともいえる「ラ」が叙述されている。それが「国邑」の意味に違いない。『魏志』のなかで倭人に先立って述べられている「韓」の世界も似たような多くのラ群で構成されていたことは、百済をなぜ「くだら」と読むかという問題を論じたところですでに話題にした。

 光武帝の朝廷に至った倭人は出自を問われて、
「ナ(ヌ)ラなり」
と答えていたかもしれない。漢にはラということばはないから、右の倭人のいうナ(ヌ)に「奴」の字を当て、ラを一応「国」的な存在ではあるとして「奴国」と表記した。相手が国でなければ漢との外交関係は成立しないし、そうでなければ四方の諸国の中心であるとする漢帝国の体制としては収まりが悪い。「漢委奴国王」は倭人的世界からいえば「漢のワ(イ)のナ(ヌ)ラの首長」の翻訳にほかならない。以下めんどうなので奴をナと書いて進めます。

 ナラの原義は右のとおりだと思うが、ではそのときのナラとはどこだったのだろう?

 金印の授受が行なわれた時点、後漢朝廷の現場で語られたナラは、金印が発見された現・福岡市あたりだったと考えるべきである。その意味では特定の場所を示す固有名詞としての地名といえる。しかし京都がミヤコの意味であり、東京が東のミヤコを意味するように、「ナのラ」という意味のことばが一定の時間に一定の土地と結びついていたに過ぎない。奴人のラの中心が移動すればナラもまた移動する性格のものだったと思われる。

「東京」の語は、高麗時代には慶州を意味したし、渤海の都城の名でもあり、ベトナム北部トンキンの漢字表記でもある。倭人がヤマト国家を形成する過程で、かつて倭の代表をもって任じていたナの中心ナラが首都または王城の地の意味をもつことばとして残り、現在の奈良盆地に長く都が営まれるようになったとき、そこがナラとして定着したと考えられるのである。

 ナラは現在の韓国語・朝鮮語では「国」を意味している。「ウリナラ」といえば、日本語の「わが国」に当たる。そこから奈良のナラは韓国語・朝鮮語起源だとする説が生まれた。おそらく拙論に対して、「漢委奴国王」を1字ずつに分けないで奴国をナラと読み替えればいいではないか、という反論があるであろう。しかし、それでは新羅や耽羅の羅が解けない。ラはひとつの独立した単語である。

 奈良のナラとウリナラのナラとが同意であるかどうか? このことは今、確信をもって語ることができない。ウリナラのラも漢字で書いたときの羅に当たることはまず間違いないだろうが、ナが同じだとすると、漢が認定した奴国が対馬海峡の両側に広がっていたのか、はたまた朝鮮半島にあったナラが九州北部に移動してきたのか、いくつかの可能性は考えられるが、その問題を論じることは目下の私の能力を超えている。

 ともかくも倭人の系譜の古代国家が奈良盆地に成立して、ナラが奈良になったのである。

【参考文献】
石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 中国正史日本伝(1)』岩波文庫 1985
李基文『韓国語の形成』(韓国文化叢書6)成甲書房 1983/dd>