「ペーパーレス社会」ということばが一時はやった。たぶん今でも生きていることばなのだろう。パソコンと情報回路の発達によって紙がなくてもすむような社会になる、というほどの意味だろうと解している。
 最近出席したシンポジウムでは、不安になるくらい印刷物がなかった。開催場所、時間、発表者名簿などはEメールで連絡がきた。発表はすべて(だったと記憶する)パワーポイントで行なわれ、内容のデータはUSBがまわってきて、それを各自のパソコンに流し込む。

 その後、主催者からEメールがまた届いて、発表を論文化しPDF化して送れ、という。それを編集して、参加者にやはりEメールで送るのだそうだ。

 シンポジウムと論文化依頼の間に大地震があった。東北の製紙工場、インク工場も大きな被害を受けて、紙とインクの供給が逼迫している。ペーパーレス化がいっそう進行するだろうな、というのが紙媒体による印刷物の恩恵を受け続けてきた老生のひそかなる危惧である。

 印刷博物館は、一般の展覧会愛好家にはあまりなじみがないかもしれない。大手印刷会社の凸版印刷が経営する博物館で、印刷と印刷物の歴史展示室や体験工房などが設置されている。ルターのドイツ語訳聖書を、鉛鋳造活字と活版印刷機との組み合わせでグーテンベルクが印刷したのがヨーロッパ近代の夜明けである、というふうなことを大昔に学校で教わった記憶があるが、それらの資料も並んでいる。

 さて、今回の企画は表題のとおりで、高野山金剛峯寺などの印刷関連品が中心である。地味といえば地味であるが、これがなかなかに綺麗で、かつ力強い。なにせ出品リストでチェックすると、国宝2点、重文30点(期間中、若干の展示替えがある)という重量級の展示である。(重文)、高麗版一切経(重文)、紺紙金銀字一切経(中尊寺経、国宝)、駿河版銅活字(江戸初期のもので、日本における銅活字による出版はこれによるのが最初だそうです)などなど。

 面白かったのは、版木が数多く見られたことだ。鋭く強いの痕と何度も刷り込まれて黒光りする版木はそれ自体で心を打つものがある。高野版の経本や弘法大師の著作の版木はもちろんであるが、「高野大師行状図画」は版木(重文)と刷物が並行して見られる。

 曼荼羅の版木(江戸時代、重文)というのが個人的にはことによかったですね。たたみ一畳ほどもある大きな板を3枚組んだもので、表裏から見られるように立てて展示してある。重量感にあふれる雄偉な姿であるが、惜しいことに前期(6月5日まで)限定の展示なので、拙稿が読者の目に触れるときは見られないでしょう。紹介が遅れたことをお詫びします。

 両界曼荼羅図が立体印刷で見られるという展示があって、これは何十年か前からこの印刷会社が開発してきた円柱レンズを利用したもののようだが、3次元化というのが映画では近ごろ流行しつつある。展覧会も少しずつそういう傾向を取り入れてきているようで、これもひとつの試みだろう。