日本と朝鮮半島の歴史的な関わりに関心のある方で、『日本のなかの朝鮮文化』という雑誌を読んだり、読まないまでも名前を知っている人は多いであろう。この50号まで続いた雑誌を主宰された鄭詔文さん(1918〜89)が1988年に創立したのが高麗美術館である。司馬遼太郎さんや金達寿さんら関西在住の文化人が鄭さんの考えに共感し、協力したと聞いている。美術館の青花白磁の表札の文字は司馬さんの筆になる。

 今回の企画はタイトル通り、陶磁器、家具、染織、金工、木竹・漆器、書画など多岐にわたる館蔵品のなかから陶磁器を選んで並べたものである。1950年代から収集を始めたという一個人のコレクションによる展覧会なので、世に名高い大名品が集まっているというわけではないが、祖先の地ではない日本で、故国の文物をひたすら集めようとした故人の思いと愛着が伝わってくる展示である。

 展示室の入口のところに、この美術館のシンボルマークになっている「鉄砂帆船魚文壺」が飾ってある。口のやや大きい丸壺で、気泡を含んだ凹凸のある白地に漁船とおぼしき帆かけ舟、帆をあやつる人物、中空を這うがごとき魚が鉄絵で描かれている。背面には大きな魚一尾の絵があるそうだ。絵は稚気に満ちてみえる。「20世紀初頭」としてあるが、もっと前あるいは後の作品だという人もいるであろう。制作時期、窯場ともにわからない。これを自然な野生的野放図とみるか、意識的な作為とみるかで評価も変わってくるかもしれないが、なんともおもしろいもので、鄭さんが愛したというのも無理からぬことである。

 展示場に入る。

 高麗では「青磁象嵌雲鶴文碗」、「青磁陰刻蛟文托」、「青磁象嵌菊花文盒子」などが目を引いた。菊花文の盒子の底裏には黒象嵌で「進」の字があるそうだ。「進上」の意味であろうが、丁寧な作ぶりのもので、高位の女性の持ち物だったのだろう。

 朝鮮王朝(李朝)では、白磁「中」銘鉢がきれいなものである。15世紀の広州官窯の製であるが、精選された原材料による整斉な作品で、形にも寸分ゆるみがない。王朝初期の緊張感のある体制を感じさせる。

 高さ51cmに及ぶ「白磁大壺」も比較的珍しいものである。17〜18世紀には「タル・ハンアリ(月壺)」と呼ばれる丸い大壺がかなり制作され、今も朝鮮陶磁収集家の間で人気の高い器種で、この大壺もそれに類するものである。ただ、形が普通のタル・ハンアリに比べると長いのが特徴である。

「白磁瓜形硯」は珍品で、ウリを横にして水平に半截し、上を蓋に下を硯身にしたやや大形のスズリである。朝鮮王朝の陶磁には後期の文房具に雅趣のあるものが多く、スズリはことに形、文様にヴァラエティがあって、机上に欲しいところだが、貧書生としては、ときに眼福に与ることで満足しなければならない。

 紹介のタイミングを外し、この記事が出るころには残り期間が僅少になっているはずだが、東京では静嘉堂文庫美術館で『朝鮮陶磁名品展 高麗茶碗、漆工芸品とともに』が開かれている。時間の許す方は、こちらの方もぜひ駆けつけてご覧ください。三菱財閥を築いた岩崎家が集めた高麗・朝鮮時代の陶磁と螺鈿が鑑賞できます。

 図録の表紙にもなっている「青磁象嵌葡萄文瓢形水注」は文様の間地を白で象嵌し、文様を青磁で残した「逆象嵌」という手法のもで、日本でも鎌倉の遺跡から類似の破片が出土している。「青磁輪花盤」は典型的な翡色青磁で洗練された美しさがある。朝鮮王朝では、粉青沙器の玉壺瓶が何点か並べられていて、文様の種類・技法を見比べるだけでもおもしろい。