暑中お見舞い申し上げます。

この原稿がサイト上にアップされているころは「残暑お見舞い」の時期ですが、たぶんそのときもなお猛暑が続いていることでしょう。トシとともに暑さがこたえるようになりましたが、健気に(?)展覧会をのぞいています。

○『草原の王朝 契丹 美しき3人のプリンセス』展

 契丹に関する展覧会は、いわゆる「遼のやきもの」をべつにすると、これまであまりなかったのではないか。ならば単純に「契丹」展でもよさそうなものであるが、主催者としては「惹句」というか、ことばのアイ・キャッチャーをつけたい、というわけで長いタイトルになったに違いない。

 契丹はカタイともキタイともいい、英語で表記するとCathay(キャセイ)で、これなら飛行機か香港を思い浮かべる向きも多いだろう。英語圏ではチャイナとともに中国を指す。ロシア語で中国男性をキタエというそうだが、べつに「北へ、北へ」とロシアへ進出した中国人のことではなく、一時期の西方社会では、契丹の人びと=中国人、と思われていたようである。「遼」ともいうのは国号を中国風に「大遼」と称した時期があるからで、10世紀初めから1125年に滅亡するまでの契丹族の国家を総称するなら「契丹王朝」であるということになる。契丹と、これを滅ぼした金、この両者によって北方の領土を制圧されたことが宋代中国の禍根で、その後のモンゴル元への道を開いた基ともなった。契丹王朝の存在は、虎のような北方騎馬民族に起因する漢族のトラウマのひとつでしょう。

 契丹の王族・貴族には死者の顔に模した仮面をつけて埋葬する習俗があったようで、王女の仮面や頭蓋骨も展示してあって、それがタイトル後半の所以だが、小生の想像力では美しい女性であったかどうかは判断がつきかねた。しかし、副葬品の数々が美しいことは100パーセント保証する。

 契丹族は元来が遊牧系の人たちで、副葬された馬具や馬上の武具の装飾がすばらしい。障泥という鞍に挟み込む泥除けがあって、支持体は板であるが、鳳凰文が彩色と銀で描かれている。韓国慶州の新羅古墳で出土した天馬図の障泥が名高いが、今回のものは描線が豪快である。また、墓室に付随する板絵が展示してあったのもよかった。風俗画としても宗教画としてもおもしろい。契丹の墳墓絵画は、かつて日本で調査・出版した『慶陵』(上・下、京都大学文学部、1952・53年)の図版でみたのが最初だが、気候風土のせいか、残存状態のいいものがあるようだ。

 金属器や陶磁器、装身具ももちろんたくさん展示されている。銀に鍍金を施した器類は、唐風を継承しているようだが、やはり豪放な味わいがある。

 じつはこの展覧会、昨年9月から、九州国立博物館、静岡県立美術館、大阪市立美術館を経てきている。最後の展示でようやく拝見しました。契丹美術がこれだけまとまってみる機会はなかなかないであろうから、未見の方は暑さにめげずみに行くだけのことはある。館内は涼しいです。

○『京三条せともの屋町』展

 茶道資料館では、かねて考古学の成果から茶の美術を見直す企画に取り組んでいて、『遺跡出土の朝鮮王朝陶磁―名碗と考古学―』『建盞・天目』『東南アジアの茶道具』などの展覧会やシンポジウムを主催してきた実績がある。今回の展覧会は、京都市三条通りに店を構えていた焼物商の遺跡出土品から推定される16世紀末から17世紀初にかけての茶陶を展示し、あわせてそれらの遺跡出土品を示したものである。少しくどいいい方になったが、展示の主体は伝世茶陶で、京都における茶陶の流通の裏付けとなる遺跡出土品が確認できる構成となっている。

 第一陳列室に、利休消息などともに長次郎の黒・赤の2碗が出ている。ともに小振りの作だが、おだやかな魅力がある。いわばつぎに展開する、志野や織部の明るくにぎやかな世界に先駆ける、静寂に包みこんだ華とでも申しましょうか。

 ついで、信楽、備前、伊賀、瀬戸、黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部、美濃伊賀、唐津、高取と、和物茶陶の面々が顔を揃える。

 千年の都というのはやはりすごいもので、17世紀の初めといえば、織豊政権が滅び、世は徳川政権へと急激に収斂していく時代であるが、文化的にも経済的にもなお強い力が京都に存在していたことを出土品が示している。そんなことを考えたり、香合や向付の遊び心に惹かれたりで、しばし暑さを忘れることができました。

 近くの京都市考古資料館では『特別展示 ひょうげた器 三条せともの屋出土茶陶』(12月2日まで)が開かれているが、まだ日にちがあるので今回は素通りして、大和文華館『特別企画展 朝鮮の美術―祈りと自然―』をみてきました。高麗青磁九龍浄瓶に久々にお目にかかったほか、銅製銀象嵌柳水禽文浄瓶がなんともきれいでした。8月12日終了で、紹介が遅れたことは主催者にも読者にも申し訳がない。