ブロンディとポパイ。敗戦によって自前のヒーローの多くは影が薄くなっていったなかで、アメリカ産漫画のカタカナ名主人公が柔らかい脳に刻み込まれてしまった、というのが「われらが世代」ではなかろうか。老生などはそれらの名前がしばしば食べ物と結びついてもいる。色気よりも食い気の年頃であったせいでしょう。

 ブロンディといえば、たちまち電気冷蔵庫とその中の豊かな食品、そして彼女の亭主がバスタブにつかりながら新聞を広げ、分厚いサンドイッチにかぶりつくシーンが目に浮かぶ。ポパイならホウレンソウの缶詰。みている当方はとにかく腹がへっていた。

 学校給食が始まると、アメリカの食糧援助の一環としてコッペパンと脱脂粉乳を溶かしたミルクが与えられた。これらが不味かったという人たちがいるが、たいてい私より2、3歳下である。こちらは文句なくいただいたほうで、この差は大きい。少年期には国土だけでなく、頭も腹のなかまでもアメリカに占領された状態で育った。その先にハリウッド映画があった。

 中学校のときまでは、映画は許可制で、「タメになる」映画しかみにいってはいけなかったのだが、洋画と日活映画だけは父親の交友関係から無料パスが家にあったから、夕食のあと親には無断でこれをポケットに入れてよく出かけた。それが高校時代まで続く。洋画の主流は西部劇で、日活でも宍戸錠や小林旭主演の和製西部劇をよく作っていた(これはさすがに少し気恥しい気分でみました)から、教科書やノートの余白はピストルや小銃の落書きで埋まるというぶっそうなことになった。しかし、当時どんな映画をみたのか、個々にはあまり憶えていない。ジェームズ・スチュワート主演の『ウィンチェスター銃'73』やゲイリー・クーパーの『真昼の決闘』、ロバート・ライアン、ジェフリー・ハンターの『誇り高き男』などが記憶にあるが、後のふたつに関しては主題歌の印象のほうが強い。Do not forsake me, Oh my darlingというフランキー・レインの歌などを憶えているのはラジオでその後もくりかえし聞いたせいだろう。

 クーパーとバート・ランカスターが競演した『ヴェラクルス』はぜひみようと思っていたのが、上映時に病気でみられなかったことが記憶にある(後に何度かみました)。ランカスターは『殺人者』や『真昼の暴動』(ギリシアの文化大臣になった女優メリナ・メルクーリの夫君ジュールス・ダッシンの演出が冴えていた)、『空中ブランコ』など、西部劇以外の映画で鮮烈な印象があるが、『OK牧場の決闘』もなつかしい。これもフランキー・レインがOK、OK、OK Corralと大声で主題歌を歌っていました。

 西部劇には音楽が欠かせない要素としてあったようで、ジョン・フォード監督作品で使われた「いとしのクレメンタイン」や「黄色いリボン」は忘れられない。アラン・ラッド主演の『シェーン』はジャック・パランスの殺し屋がかっこよかったが、主題歌もブレイクした。『大砂塵』(今回の展示にはない)に流れる「ジャニー・ギター」もよかったですね。近年になってペギー・リーのCDを買い込み、ときどき聞いて感傷にひたっているのは一種の老化現象かな。

 何年も前のことであるが、テレビで西部劇の放映をみていたら、ジョン・ウェインのせりふのスーパーインポーズに「先住民」ということばが使われていた。画面の彼が「インデアン」といっているのは口の動きでわかる。古い西部劇を放映するのは訂正もまた必要であることを知った。西部劇で、白人至上主義からの転換が顕著になるのは1980年ころからだそうだが、善悪の単純な色分けで成り立つような作劇法では西部劇も生き残れなくなった。チャンバラ時代劇とともに、作品生産も急激に減少していったように思える。すでに人生の負け越しが決まったような老生などは、古い西部劇をみると、やっつけられるほうに感情移入をしてしまったりして、若いころのようには楽しめなくなった。

 展覧会の紹介はどうなっているのか? というお叱りを受けそうだが、昔の映画のポスターを眺めながらナン十年か前を偲ぶのが老生世代にとってはこの展覧会のほとんど唯一の観方ではなかろうか。映画史に関心の深い人を別にすると、中高年のセンチメンタル見学にはぴったりの企画で、老生にはけっこう楽しかった。ポスターの異国のヒーローたちをみていると、自分が被占領国民であることも忘れてなつかしい感情が湧くのをどうしようもない。情けない?

 ちなみに、一般の入場料が200円のところ、65歳以上は70円でした。