スペイン戦争―第二次世界大戦の前夜ともいうべき1936年に勃発し、1939年にフランコ率いる反乱軍の勝利で終結したこの戦争についての、あまりにも私的でささやかな断片:オーエルの『カタロニア讃歌』、ヘミングウェーの『誰がために鐘は鳴る』、ケストラーの『スペインの遺書』、ダリの『内乱の予感』と、なんといってもピカソの『ゲルニカ』。そして「崩れ落ちる兵士」と呼ばれてきた1枚の写真。

 『ゲルニカ』と「崩れ落ちる兵士」は、スペイン戦争における反フランコ軍、反ファッショの象徴的な意味をもった。

 東京やベルリンの大空襲、さらに広島、長崎の惨禍を経たその後、ゲルニカの空爆はともすれば歴史の谷間に埋もれてしまう運命にあったかもしれない。少なくとも、スペインの一地方都市の名がこれほど世界に知れ渡ることはなかっただろう。ピカソの絵は、政治と戦争の悪を、百万言を費やすよりも雄弁に物語っている。しかし、さらに端的にスペイン戦争を象徴するのは「崩れ落ちる兵士」である。

 頭部を撃ち抜かれ、小銃を手から離しながら丘の斜面を滑り落ちようとする共和国軍民兵―そう説明されてきたこの写真は、戦場におけるひとりの人間の生と死が交代しようとする一瞬を捉えた傑作として、そして写真というものが何を伝えることができるのかというマニフェストとして、過去70数年のあいだ世界の人びとの脳裏に刻み込まれてきて、それはすでに伝説の域に達しているといってもいい。ロバート・キャパの名とともに。

 それがキャパの写真ではなかった? さらに戦場での撮影でもなかった? さらにさらに、この兵士はこのとき死んでいなかったはずだ?

 この写真にまつわる謎ないし疑問については、すでに専門家の間では指摘されていたらしい。わが沢木耕太郎氏も、この写真の「真贋」について長く疑問を抱いてきたひとりである。そして、上記の「?」マークに関して、ひとつの答えを割り出すに至った。そのカギを提供したしたのが、今回の展覧会のもうひとりの主人公であるゲルダ・タローだ。

 私は沢木氏のこの謎解きの経緯を、氏の「キャパの十字架」(『文藝春秋』2013年1月号)で知ったのだが、先日、NHKテレビでも、沢木氏自身が案内役を務めて関連の場所を巡っていたので、それをみた向きも多いのではなかろうか。結論だけをいえば、それはゲルダが撮ったもので、演習中に足を滑らせた一兵士の姿だった、というのが説得力のある沢木氏の推理である。

 この展覧会はふたりの名を冠しているが、キャパもタローも本名ではない。彼らはハンガリーとドイツからナチの手を逃れてパリにたどり着いた亡命ユダヤ人である。スペイン戦争初期の両者の写真が架空の「ロバート・キャパ」というアメリカ人的なひとりの名前で発表されたのは、写真家として戦争の時代を生きる彼らの、いわば便法であった。しかし、ゲルダのあまりに早い死によって、「キャパ」の写真はひとりの人間の作品へと収斂していった。生き残ったキャパ(本名アンドレ・フリードマン)はその後も優れた戦場の写真を撮り続け、世界的名声を確立する。

 展覧会はまずゲルダ・タローのコーナーから始まる。女性兵士、少年や難民たち。なかに荷馬車に荷を積む農民の、ミレーの絵のような、牧歌的ともみえる写真がある。キャプションには「アラゴン戦線」とある。そして空爆の犠牲者たち。

 後半はロバート・キャパで、デンマークの学生の前で演説するロシアの革命家トロツキーに始まり、スペイン戦争の写真が続く。「崩れ落ちる兵士」ももちろんある。日中戦争での日本の空爆のあとやノルマンディー上陸作戦(Dデイ)での「波のなかの顔」と呼ばれる作品などが並ぶ。後者は「ちょっとピンぼけ」どころではない、大ブレの写真が戦場の緊迫感をなまなましく伝える。さらに1954年、ベトナムに急派される前に日本で撮った浅草や京都。そして、地雷を踏んで亡くなる直前のベトナムでの作品も並ぶ。彼はインドシナ戦争で死んだ最初の報道カメラマンだった。

 ゲルダ・タロー(本名:ゲルタ・ポホリレ)は1937年夏、スペインの戦場で暴走する戦車に激突されて死亡した。戦場で死んだ最初の女性カメラマンである。そのときはキャパ(フリードマン)とは別行動で取材をしていた。

 のちに「崩れ落ちる兵士」の撮影アングルについて不審を抱いた日本人の友人に対して、キャパは「お前達にはこの民兵達が、敵弾に倒れる時、どんな歌をどなっていたか想像出来るかい」といい、「この民兵達が、銃を構えて歌声高く"クカラッチャ、クカラッチャ…"」を叫びながら突進する情景を語ったという(ロバート・キャパ(川添浩史/井上清一訳)『ちょっとピンぼけ』文春文庫、1979年の井上氏のあとがき)。このときすでに、その写真は彼自身にとってもひとつの伝説になっていたのかもしれない。ゲルダの思い出とともに。ちなみに「ラ・クカラッチャ(アブラムシ)」という歌はメキシコ革命のなかで生まれた曲である。トリオ・ロス・パンチョスも歌っていました。

 キャパが死んだ後のベトナムの戦場では、沢田教一さんも亡くなった。昨2012年8月20日、シリアのアレッポで山本美香さんがビデオ取材中に銃撃で殺害されたことは記憶に新しい。戦争の世紀、写真報道の世紀、マスコミが巨大化していった世紀―前世紀について、またその直接の後裔である今世紀について、さまざまなことを考えさせてくれる展示でした。