タピスリー(タペストリー)については、あまり熱心な鑑賞者ではない。だいたいが戦後のもっとも物資の乏しい時代に育って、衣服は継ぎのないのを着るのがかえって恥ずかしいような環境だったから、染織に興味が薄いうえに、タピスリーは絵画からの二次的派生物ではないか、という思いが自分のなかに長くあった。ひとことでいうと、織物という、絵筆・絵具よりも制約が大きそうな技術でわざわざ絵画的なテーマを扱うこともないではないか、貴族趣味の致すところではないか、といった偏見ともいうべきものである。しかし、クリュニーの《貴婦人と一角獣》だけは、若いころに美術書の複製図版でみて、「これは別格」と思い、一度実物をみたいと思っていた。

 もう「フランスに行きたしと思えども、フランスはあまりに遠し」という時代ではない。老生でも何度かパリには行っている。しかし、3日前後の短期滞在ばかりで、クリュニー中世美術館には足を運んでいない。「アベノミクス」(いかがわしい命名ではある)による円安で、ヨーロッパもまた遠くなりつつあるが、今回の展示で身近にみられたことはありがたい。

 このタピスリー連作は6面の組み合わせから成っている。うち5面は《触覚》、《味覚》、《嗅覚》、《聴覚》、《視角》の五感を表わし、1面は《我が唯一の望み》というテーマだという。最後の《望み》が「愛」なのか、五感を昇華した「聖なる魂」なのか?

 そして、各画面の貴婦人にはライオンと一角獣が寄り添う。一角獣は、ヨーロッパの古代から中世にかけて実在を信じられたイキモノで、欲望から清浄に至るさまざまな事象の象徴として描かれてきた。実在動物のライオンがやや空想的に描かれているのに対して、空想動物の一角獣がきわめてリアル(?)に表現されているのもおもしろい。テーマとの深い関連性の故かもしれない。貴婦人を求める心はとっくになくしているが、こんな一角獣がいるなら探しにいきたい。

 タピスリーのなかで、なぜこの作品が好きなのか? まず背景のしっとりした赤をあげなければならない。ただし、展覧会図録の解説によると、もともとはもっと鮮やかな赤であったものが、時とともに今みるピンクがかった色合いになったのだそうだ。染料はアカネだという。褪色による変化の結果に惹かれていたことになる。その背景のなかに、おだやかな色のハーモニーで人物や衣裳、植物、動物が組み合わさって、なんともデリケートな味わいが醸し出される。ときとして表現力を誇示しているかにみえる多くのタピスリーと異なって、きわめて品格が高い(と、そう多くのタピスリーを熟視したわけでもない小生は思うのです)。控え目で品位のある表現は、注文主に関わるとされる貴婦人の細くしなやかな体、静かで知的な表情(長めの相貌はボッティチェリ『ヴィーナス誕生』のヴィーナスにちょっと似ている)にも一貫する。このデリカシー感覚は絹糸によるものかと考えたが、実際はウールがほとんどで、絹はおもに服飾品と宝飾品に限定的に使われているのみであるという。金糸・銀糸は使われていない。派手さ、どぎつさが抑えられているのは、そのせいかもしれない。

 作られたのは1500年前後。パリまたは北フランス、あるいはネーデルラントあたりかという。このタピスリー製作の機縁、下絵の画家や伝世経過については、それぞれに興味深い物語があるが、展覧会場のパネル解説か図録の論考に譲るしかない。ここでは、この作品が詩人リルケに強いインスピレーションを与えたことだけをいい添えておきます。

 これがフランス国外で展示されるのは、1973年から翌年にかけてニューヨークのメトロポリタン美術館への貸出以来二度目のことだそうだ。クリュニー中世美術館タペストリー展示室の全面改修に際して、今回の日本での展覧会になったということで、少しまえまでの円高効果のせいもあったのかな?

 この機会に、フランス「中世の秋」のはなやかさのなかのしっとりとした気品ある世界にしばしひたってみてください。関連する染織美術、絵画、金工、陶器、装身具などもいろいろみることができます。