ギロチンハウス。皆はそう呼ぶ。公式な名称はセカンドキャリア戦略室。しかし、その実態は、社員の首を切るための追い出し部屋ならぬ追い出し小屋だ。

T 女キャリアは狙われる

 プレハブ小屋の中には、三人掛けのテーブルが、横に三列、縦に五列並んでいる。収容人員は最大で四十五人。
 席は全て同じ方を向いており、前方には人の背中か壁しか見えない。テーブルは高いパーテーションで区切られているから、椅子を引かなければ隣の住人の顔を見ることもできない。気軽に言葉を交わすことができないよう考えられているのだ。しかも、原則私語は禁止されている。よって、ハウスの住人は、一日中孤独と戦わなければならない。
 今回、リストラ勧告を受けた百五十名ほどの社員のうち約半数は、ギロチンハウスに送られる前に自主退職した。残りの社員は順次ここに送り込まれたが、そのうち四十人ほどが、この環境に耐えきれず次々に退職していった。現在ハウスの住人は三十人余り。その中には、五年前にここに異動させられながら、いまだに残っている強者も四人含まれている。
 ちなみに、女性は江梨子一人だけだ。狭い空間で、男たちの汗の臭いと、半数近くを占める五十代のオヤジどもの加齢臭に耐え続けるのは拷問に等しい。女性でここに住み続けた最高記録は七ヶ月と十一日だという。江梨子は、記録を更新するつもりはない。その前に絶対に、以前の部署に返り咲くつもりだった。
 とはいうものの、どうやったらこの場所から脱出できるのか、具体策はまるでない。実のところ、江梨子は焦り始めていた。
 ドアを閉め、テーブルの間の通路を歩き始める。最後にリストラ勧告を受けた江梨子の席は、最後列の一番端にある。騒然としたハウスの中を見回しながら奥へ進む。
「あ、おはようございます」
 同じテーブルの真ん中の席に座る元総務部所属の勝見亮が、パソコンから顔を上げて挨拶した。細身で醤油顔の、草食系イケメン男子だ。
 同じテーブルのもうひとつの席には元営業部の下島裕二がいたが、こちらは身体を丸め、肘をついて顔を両手で覆っている。
「なんの騒ぎなの? 今日はみんな、早いみたいだけど」
 ギロチンハウスの勤務時間は九時から五時。いつもはぎりぎりに出社する住人たちが、まだ始業十分前なのにほとんど揃っているように見える。
「知らないんですか?」
 パイプ椅子に腰を下ろした江梨子に向かって、勝見が驚いたような声を上げた。
「だから、何を?」
「昨日の夜、西村さんが襲われたんですよ。帰宅途中に殴られて、重体だそうです」
「西村……」
 江梨子が目を細める。
「──って、あの人事部の?」
「そうです。今朝ニュースでやってたでしょ? 新聞にも出てるみたいですよ」
「へえ」
 知らなかった。このところテレビはDVDの再生にしか使っていないし、経営企画部にいたときは隅々にまで目を通していた新聞も、ここ数日はほとんど開いていない。
 改めてハウスの中を見回す。
 興奮、笑顔、奇声──。自分たちをここに追いやった張本人である西村麻里が襲われたことを、みんなは喜んでいるのだ。
 ──こわ……。
 背筋に小さく震えが走った。
「これ」
 勝見が、自分のパソコンを指さした。
 パーテーションの向こう側に首を伸ばし、勝見がこっちに向けてくれた画面を覗き見る。ネットニュースだ。
『昨夜九時過ぎ、京都市左京区の叡山電鉄修学院駅から自宅マンションに向かっていた西村麻里さん(35)が、児童公園で何者かに襲われ、意識不明の重体となっています。』
 何者かに襲われ──、ということは……。
「犯人はまだ捕まってないのね?」
「そのようです」
 勝見が難しい顔になる。
「社内では、犯人はギロチンハウスの社員じゃないかって噂されてるみたいです」
「そういうことか……」
 江梨子は顔をしかめた。
 さっき目にしたばかりの、窓に連なった社員たちの表情が脳裏に甦る。大方、出勤してきたハウスの住人ひとりひとりを見ながら、犯人当てゲームでもしているのだろう。
 どっちもどっちだな、と江梨子は思った。ギロチンハウスの住人は事件に狂喜し、それ以外の社員は、傍観者の位置から面白がって見ているのだ。
 ──やれやれ……。
 ため息が出た。なんだかやり切れない気分になる。
 ひとつ向こうの席にふと目を向けると、下島が相変わらず顔を両手で覆っていた。
「どうしたの?」
 勝見の耳に口を近づけ、小声でたずねる。
「さあ」
 勝見は肩をすくめた。
 西村麻里の容態を心配しているのだろうか。まさか、そんなことはあり得ないだろうが……。
「下島さん」
 江梨子は声をかけた。
 返事はない。ただ、荒い息の音だけが指の間から漏れている。
 もう一度声をかけようと口を開きかけたとき、引き戸が開いた。初めて見る体格のいい男が二人、監査部の丸子部長といっしょにハウスの中に入ってくる。
 ハウスの住人全員の視線が集まる中、丸子は、あそこです、と言いながら、江梨子たちがいる一番奥のテーブルを指さした。
「え……?」
 江梨子が勝見と顔を見合わせる。
 下島が手のひらから顔を上げた。たっぷり脂肪のついたその背中が、一瞬強張ったように見えた。
 丸子と、二人の男がこっちに向かってくる。二人の目つきは鋭い。ただ者ではない。
「刑事……、ですか?」
 江梨子に向かって勝見が囁く。
 下島の背中が震えたのがわかった。
「下島さん?」
 江梨子の呼びかけに、今度は振り返った。
「俺は、やってない」
 つぶやくように言う。
「やってないって……」
 勝見が目を丸くする。
「それ、どういう意味です? まさか警察に疑われてるんですか?」
「せやから、俺はやってないんや」
 半分涙声になりながら下島が続ける。
「榊さん、あんたやったらわかるやろ。俺はやってない」
 下島が、真っ直ぐに江梨子を見つめる。その瞳は、捨てられた子犬のようだ。
 江梨子が呆気にとられている間に、二人の男が下島の前に立ち塞がった。
「京都府警の者です」
 二人同時にスーツのポケットから身分証を取り出し、提示する。江梨子も勝見も、初めて目にする警察の身分証を、まじまじと見つめた。
「昨日の夜、西村麻里さんが襲われたことはご存知ですね」
 年長のほうの刑事が質問する。下島は、微かに首を縦に振った。
「そのことで、少しうかがいたいことがあります。署までご同行いただけますか?」
 ハウスの中にどよめきが起きた。静かにしろ、というように、丸子が険しい顔つきでハウスの中を見回す。
 任意同行なら拒否することもできるはずだが、下島は素直に従った。パイプ椅子を引いて立つと、二人の男に挟まれるようにして歩き出す。
 さっきの下島の目が、脳裏にちらついた。捨てられた子犬を、さらに見捨てるわけにはいかない。
「すいません、刑事さん!」
 問題を解いた小学生のように右手を高く上げながら、江梨子は椅子から立ち上がった。
 ──下島は犯人なんかじゃない。
 何故なら、昨日の夕方、自分といっしょにいたからだ。そのときのことを話さなければならない。


<次回は6月23日(金)更新予定です>