ギロチンハウス。皆はそう呼ぶ。公式な名称はセカンドキャリア戦略室。しかし、その実態は、社員の首を切るための追い出し部屋ならぬ追い出し小屋だ。

T 女キャリアは狙われる

 昨日と同じく、公園に人の姿はなかった。
 下島を待つ間に、酒とつまみを仕入れるため、勝見と二人でコンビニに向かう。
「ねえ」
 真剣な顔つきで缶酎ハイを選んでいる勝見に、江梨子は声をかけた。
「はい?」
 冷蔵ケースの取っ手に腕を伸ばしたままの格好で、勝見がこっちに首を捻る。
「あなた、関西弁、あんまり出ないわね。こっちの出身じゃないの?」
「僕、出身は千葉なんです」
 ケースを開けながら答える。
「関西方面て、修学旅行ぐらいでしか来たことがなくて、大学も東京だったし。だから、社会人になったら一度こっちに住んでみたいと思ってたんですよ。そしたら、たまたまうちの会社の試験に受かったもんで」
「へえ、そうなんだ」
「そういう榊さんも、関西弁じゃないですよね」
 言いながら勝見は、缶酎ハイを続けて三本、手にしている籠の中に放り込んだ。
「私は、生まれは静岡なんだけどね。父が銀行員で、小さい頃から全国を転々として暮らしてたのよ。大学は東京で、就職も──」
「そうか。榊さんは、東京支社の採用なんですよね」
「よく知ってるわね」
「有名人ですからね、榊さんは。立浪たつなみさんに本社に引き抜かれたんでしょう?」
「まあね」
 立浪、というのは、江梨子の力量を買ってくれていた女性役員だ。先代の社長に気に入られ、唯一の女性役員にまで出世した。だが、社長が交代したのがきっかけで派閥抗争に巻き込まれた。そしてその結果、確実とみられていた任期の延長が認められず、会社を去らねばならなくなった。
「下島さんは、僕ら三人が揃ってハメられたんだって言ってましたけど」
 勝見は、隣の冷蔵ケースの前に移動した。
「僕や下島さんみたいな社員を、榊さんと同列に考えるのはおこがましいですよね。あの人、何考えてんだか」
 今度は缶ビールに手を伸ばす。
「ねえ、はっきり言っていい?」
 江梨子は腕を組んだ。
「なんですか?」
 缶ビールを籠に放り込みながら、勝見が顔を向ける。
「あなたさ、二十代で係長になったのよね? なんで? 話してても、全然シャープさが感じられないんだけど。うちの会社じゃ、二十代で係長って、結構早いわよね」
「いやあ」
 照れたように笑うと、勝見は肩をすくめた。
「まあ、総務の五係って、雑用係みたいなもんですから」
「それにしても──」
「僕の場合、いつも誰かが助けてくれるんですよ。入社したときからしょっちゅうミスしてたんですけど、その度に誰かが尻拭いしてくれて……。それだけじゃなくて、いろいろと助けてもらいながら企画したことが認められたり、僕がやったんじゃないことがいつの間にか僕の手柄になってたりして……、それで、気がついたら上司の間で評価が上がってたりなんかして……」
「助けてくれたのって……、もしかして、年上の女性社員とか?」
「はあ……、まあ、そんな感じかな」
 総務部に君臨するお局様の顔が浮かんだ。
 ──年上の女性が放っておけないタイプの、草食系のイケメンか……。
 薄く目を閉じると、江梨子は小さくひとつため息を漏らした。
 まあ、それもひとつの才能と言えなくもない。ただ、今回のリストラに関しては、それがアダになったということだろう。このイケメンは、年上の女性社員を信じ過ぎたのだ。
「私、つまみ選んでくるから」
 勝見に背を向けると、江梨子は、乾き物が並んだコーナーに向かった。
 確かに、男性二人組と自分との間に共通点はないように見える。ただ、リストラ期間のぎりぎり終了間際になって、降ってわいたような事件が身の回りで起こり、それがきっかけでギロチンハウス送りになったのは、三人に共通している。これは、やはりおかしい。
 ──下島の言うように、もし本当にハメられたのだとしたら、考えられる理由は、おそらくただひとつ。
 乾き物の前で、江梨子は足を止めた。
 ──問題は、どうやってそれを証明するかだ。
 乾き物の袋をいくつか籠に入れながら、江梨子は考えを巡らせた。

 コンビニの袋を下げて戻ると、公園にはすでに下島がいた。
「この度は、ご迷惑をおかけしました」
 直立不動の姿勢を取り、江梨子に向かって深く頭を下げる。
「こんなに早く、よく抜けてこられましたね」
 しばらくはハウスで捉まるだろうと思っていた。最悪、今日は来られないことも想定していた。
 呑みに誘われたけど断ったんです、と下島は言った。
「酒の肴にされるんはごめんですわ」
「家に帰らなくていいんですか?」
 ベンチに腰を下ろしながら勝見が訊くと、下島はがっくりと肩を落とした。
「警察を出たあと女房に電話したら……、あっちにも警察が行って事情を聴いてたらしくて、私がギロチンハウスに異動になったのを知られてしもうて……」
「ええ!」
 勝見が驚きの声を上げる。
「まだ家族に話してなかったんですか?」
「そんなん、話せるかいな。前のリストラ切り抜けたときに、これでもう定年まで安泰や思うたから、女房にギロチンハウスのことを面白おかしく話したんや。あそこは社員の墓場や、幽霊になった社員がふーらふーら漂ってる場所なんやてな。そんなとこに今自分が入ってるのを知られたんやで」
「奥さん、なんて言ってました?」
「ギロチンハウスに異動になったのは本当か、ってそれだけ訊いて……。ほんまや、って答えたら、それきり黙り込んで、いきなり電話切りよった」
 江梨子は、勝見と顔を見合わせた。
 ハウスにいる、他の五十代の住人の顔が思い浮かんだ。あの中で、今の自分の状況を正直に家族に話している住人はどのくらいいるだろう。もしかしたらゼロかもしれない。
「僕ら独身組は、その点気楽ですよね」
 コンビニの袋を開けながら勝見が言った。
 ──なんだと。
 江梨子は眉を吊り上げた。上目遣いに勝見を睨みつける。
 四十二歳の独身女に、今のは絶対に禁句だ。無神経にもほどがある。
「あ、いや……、別にそういう意味じゃ……」
 地雷を踏んだことに気づき、勝見が顔の前で手をひらひらさせる。
「そういう意味って、どういう意味よ」
 両肩をすぼめると、えへへ、といたずらっ子のように笑いながら頭を下げる。その仕草が妙に可愛らしい。お局様が放っておかないわけだ、と江梨子は思った。
「まあ、とにかく乾杯しましょう。下島さんの疑いが晴れたことに」
 天真爛漫な笑顔を向けながら、勝見は缶ビールを二人に手渡した。反省の気配はまるでない。苦笑するしかない。
「事件のことなんだけど」
 控えめに缶を合わせ、ひとくちビールに口をつけると、早速江梨子は本題に入った。
「下島さんの疑いは完全に晴れてるのよね」
「はあ、多分……」
 営業マン時代は、夜はほとんど外食していたため、家に帰っても自分の分の食事が用意されていないのはわかっていた。だから下島は、自宅の最寄り駅で電車を降りたあと、近くのラーメン屋に寄ったのだという。そしてその後、コンビニで雑誌を読んで時間を潰してから帰宅した。ラーメン屋の店員が下島を覚えていたのと、コンビニの防犯カメラに姿が映っていたこと、帰宅するところを隣家の住人が窓からたまたま目撃していたことから、警察ではアリバイを認めざるを得なかったらしい。
「警察は、リストラ組の中に犯人がいると思ってるのかな」
「まあ、そんな感じやったです」
 下島がうなずく。
「ギロチンハウスの中だけやなくて、退職した社員の中に、西村さんを襲いそうな人がいないかどうか、何度も訊かれましたから」
「なんか気分悪いですよね。容疑者扱いされてるみたいで」
 勝見が口を尖らす。
「そうなのよ」
 江梨子が同意する。
「ほんと、ムカつく」
「西村さんて、うちにくる前は東京の会社におったんですよね」
 下島が、細い目をさらに細める。
「犯人がそのときの社員って可能性もあるんやないですか?」
「でもねえ……」
 江梨子は腕を組んだ。
「結局西村さんも、前の会社をリストラされてるのよ。それに、西村さんがいた会社って、外資系でしょ? 確か前の社長はアメリカ人じゃなかったかな。ということは、そこで働いてた社員て、べったり日本式に染まってる会社の社員よりドライな考え方の人が多かったと思うのよ。客観的な数字を基にリストラされても、それはそれで仕方ないと割り切ってたんじゃないかな」
「いや、しかし……、私みたいに家庭を持ってたりしたら、簡単に割り切れるもんやないですよ。それに西村さんは、うちの会社にあっさり再就職が決まって、また前と同じような仕事をやってるわけやから、腹立ててる人も多いと思いますよ」
「だからって、京都まで追いかけてきて襲撃なんかするかなあ」
「見てください」
 勝見が不意に、自分のスマホを目の前に差し出した。ロードバイクにまたがった西村麻里の姿が画面に映っている。
「何これ」
「ネット配信されてた、女性誌の記事みたいです」
 写真の上に、『輝く女性特集』という見出しがついている。日付は、二年余り前だ。
 横から下島が顔を寄せてきた。耳の裏から発せられる加齢臭が鼻を衝いたが、ここはぐっと我慢した。口で息をしながら指先を広げて下島のために文字を大きくしたあと、スクロールして内容にざっと目を通していく。
 西村麻里は、アメリカで「ヒューマン・リソース・マネージメント」を学んだあと、アメリカの医療機器メーカー「J&Bメディカルケア」の日本支社に就職。その辣腕ぶりが業界で注目を集めている。趣味はロードバイクで走り回ること。自然の中だけでなく、街中でも路地をひとつ入れば新しい発見がある、ストレス解消にはもってこいだ──等々。
 江梨子と下島が記事を最後まで読んだことを確認すると、勝見はスマホを取り上げ、素早く操作した。再び江梨子に差し出す。
 今度画面に現れたのは、企業の裏情報が飛び交う怪しげなサイトだった。そこに、麻里についての投稿がある。
『「J&Bメディカルケア」を首になった西村麻里は、「京都クルミ製作所」にヘッドハンティングされたらしい。前の会社のように不幸な目に遭う社員が出ないことを祈る。』
 投稿者のハンドルネームは『J&Bメディカルケア元社員』。投稿は約一年前。つまり、これを見れば、現在麻里が京都クルミ製作所にいるのはわかってしまうということだ。
「僕は、江梨子さんの意見に賛成です」
 珍しく真剣な表情で勝見が言った。
 ──おいおい……。
 同意してくれるのは嬉しいが、呼び方が「榊さん」から「江梨子さん」にかわっている。
「江梨子さんの言う通りですよ。東京でリストラされた人間が、わざわざ京都まで来て担当者を襲うなんて──、ないない」
 江梨子に向かって親しげに微笑みながら手を振る。
 ──なんだ、このいきなりのフレンドリー感は……。
「それに、この投稿見た人間なら、麻里さんがうちの会社にいるのはわかるわけだから……、犯人はリストラ社員とは限りませんよね」
 今度は「西村さん」が「麻里さん」にかわっている。この男は、女性は名前で呼ぶと決めているのか。
「まあ、犯人捜しは警察に任せるとして──」
 江梨子は、勝見と下島の顔を交互に見た。
「私たち三人がハメられた件に関してなんだけど」
 下島の表情がパッと輝いた。
「そうです、そうです。大事なんは、そっちのほうです」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 戸惑った様子で勝見が口を挟む。
「江梨子さん、僕たちがハメられたって、本気で信じてるんですか?」
「まだわからない。でも、その可能性はあると思う」
「そうや、その通りや」
 下島が何度もうなずく。
「鍵を握ってるのは、やっぱり西村さんなのよ。彼女の口から直接訊き出すしかない」
「けど、訊き出すいうても、会ってもらえるでしょうか」
「入院してる間だったら、逃げられないでしょう?」
「病室に押しかけるってことですか?」
 勝見が目を丸くした。
「すぐには難しいかもしれないけどね。容態が落ち着いて一般病棟に移ったら、三人で行ってみない?」
 たとえ麻里と会えたとしても、こちらの知りたいことをすんなり話してくれるとは思えない。ただ、面と向かって質問することで、反応を見ることはできる。もしかしたら突破口が開けるかもしれない。
 なんにせよ、今のままではギロチンハウスからの脱出など、夢のまた夢なのだ。
「やりましょう」
 握りしめた拳を下島が振り回す。
「まあ、二人がそう言うなら。どうせ、他にやることもないし」
 勝見が肩をすくめる。
「絶対にギロチンハウスから出て行くわよ」
 そう宣言すると、江梨子はひと息で残りのビールを呷った。


<次回は7月14日(金)更新予定です>