T 女キャリアは狙われる
9
午後五時きっかりに会社を出ると、江梨子、勝見、そして下島は、タクシーを拾って麻里が入院している大学病院に向かった。
正面玄関で車を降り、「面会者用入口」と書かれた案内板の矢印に沿って建物の左側面に回る。
自動ドアが開くと、江梨子は右手にある受付カウンターに歩み寄った。勝見と下島が後ろに続く。
警備員に向かって軽く頭を下げると、西村麻里さんに面会したいのですが、と告げた。麻里が一般病棟の個室に移ったのは、勝見を通じて、総務のお局様に確認済みだ。
「西村さんですか……」
初老の警備員の表情が、わずかに険しくなった。
「西村さんに面会できるのは、事前に許可を取った人に限られているんですけどねえ」
これは予想していた。
事件から一週間が過ぎてもまだ犯人は逮捕されていない。病院内で再び襲われる可能性もゼロではない。面会者を制限するのは当然のことだ。
「私、こういう者です」
会社の名刺を手渡す。「セカンドキャリア戦略室」という部署名と名前、それに会社の代表電話番号だけが入ったシンプルなものだ。勝見と下島も、それぞれ自分の名刺を差し出した。
「西村さんのほうから、話したいことがあるから病室に来てほしい、と連絡を受けまして」
これは嘘だ。
でも、麻里なら会ってくれるのではないかと思った。
間違いなく、麻里は自分と同じタイプの女だ。冷静で、大胆で、頭が切れ、プライドが高い。自分の道は自分で切り開こうとする。好奇心も旺盛なはずだ。受付で嘘をついてまで自分に会いたがっている江梨子たちに、興味を持たないわけがない。
「ちょっと待ってください」
警備員は、いったんカウンターの前を離れ、奥のデスクで受話器を取り上げた。おそらく、内線でナースステーションに連絡を取っているのだろう。看護師が麻里に江梨子たちのことを伝え、本人の意思を確認する。麻里が許可すれば病室に通されるはずだ。断られたらいったん引き下がり、別の手段を考えるしかない。ダメで元々なのだ。
待たされたのは、わずか二分足らずだった。
内線電話の受話器を置いた警備員は、カウンターに置かれたノートに名前を記入するよう告げ、首から下げる紐のついた面会者用のカードを三つ差し出した。
エレベーターで五階に上がると、警備員の指示に従ってナースステーションに寄った。カウンターの向こうにいた男性看護師は、三人の名前を改めて確認してから、あちらです、とナースステーションのすぐ先にあるドアを指さした。
江梨子を先頭に、下島、勝見が一列になって廊下を進む。
ドアをノックすると、中から「はい」と尖った声がした。
「私、誰も呼んだ覚えはありませんけど」
江梨子たちが部屋に入ると、四十五度ほどの角度に起こしたベッドの上から、麻里が睨みつけてきた。頭に巻いた包帯が痛々しい。ただ、怪我自体は思いの外軽症で、あと数日で退院できる見通しだという。
「こんなこと会社に知られたら、大変なことになりますよ」
「でも、面会を許可してくれたのはあなたですよ」
江梨子の言葉に、麻里が小さく息をつく。
「いったい、何を企んでるんです」
「ちょっとうかがいたいことがあって」
「私に答えられることならお話ししますが……、その前に……」
麻里は、江梨子の後ろに立つ下島に目を向けた。
「この度は申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げる。
「私、あなたが犯人だとばかり思っていました。警察にもそう言いました。私の誤解でした」
──へえ……。
麻里が自分から下島に詫びるとは、江梨子は思っていなかった。ちょっとだけ感心した。もしかしたら、面会希望者の中に下島がいると知って、麻里は病室に通すのを許可したのかもしれない。
「ただし──、はっきり言っておきますが、ストーカーのような真似をしたあなたにも、責任はありますよ」
──あらら……。
ひとこと余分だ。
「ええんですよ、それはもう」
下島は肩をすぼめた。
「あの状況なら、私が犯人やと思い込むのも無理ありません。もう疑いは晴れたんで、どうってことはありません。で、その後、どうなんですか? 犯人の目星はついとるんですか?」
「いえ」
苦い表情で麻里が首を振る。
「今のところ何も。警察は、通り魔の仕業かもしれないと思い始めているようです」
「通り魔ですか……」
勝見は小首を傾げた。
「まあ、確かにその可能性は否定できませんよね。ただ、警察は、リストラされた社員にこだわり過ぎてるんじゃないかと思うんですけど……」
「つまり──」
麻里の眉間に皺が寄る。
「私が他に何か、恨みを持たれるようなことをしてるんじゃないかってことですか?」
「あ、いえ……、まあ、そういうこともあるんじゃないかと……。本人に身に覚えがないことでも、相手が一方的に根に持っていたりすることもあるでしょうし……」
「相手が、一方的に……?」
「昔読んだミステリー小説の中に、こっちは忘れてるのに、相手だけが一方的に殺意を募らせていく──、みたいな話があったような覚えがありまして……」
麻里の表情が動いた。眉をひそめながらうつむき、自分の手元に視線を落とす。不意に何かに思い当たった、というような反応だ。そのままじっと動かない。
「西村さん、どうしました?」
江梨子が声をかけると、弾かれたように顔を上げた。
「いえ、なんでもありません」
声がわずかに震えている。明らかに動揺している。
「それで──」
麻里はポーカーフェイスに戻った。無理をして自分を抑えているように見える。
「私に何を訊きたいんです?」
麻里の様子は気になったが、江梨子は本題に入ることにした。
「単刀直入に訊きます」
声に力を込める。
「私たち三人がギロチンハウス送りになったのは何故ですか?」
一瞬の間のあと、麻里は、フッ、と鼻先で笑った。
「そんなこと、自分の胸に訊いてみればいいじゃないですか。思い当たることがあるでしょう?」
「ごめんなさい。訊き方を間違えました」
江梨子は微笑んだ。
「私たち三人のおかげで、リストラを免れた社員の名前を教えてもらえませんか?」
麻里に真っ直ぐ目を向けながら、江梨子は言った。
ご愛読いただきありがとうございました。
加筆修正後、書籍化を予定しておりますので、乞うご期待!!