ギロチンハウス。皆はそう呼ぶ。公式な名称はセカンドキャリア戦略室。しかし、その実態は、社員の首を切るための追い出し部屋ならぬ追い出し小屋だ。

U 事件は連鎖する

「丸子です」
 ドアの前で名前を告げると、
「入れ」
 部屋の中から胡桃沢社長の声がした。
 ドアを開け、失礼します、と言いながら一礼する。
 奥のデスクの向こうで胡桃沢が立ち上がった。デスクを回って、その前に置かれた黒い革張りのソファに座る。丸子も遅れて、対面のソファに腰を下ろした。
「どうした?」
 いきなり胡桃沢が訊いた。
 至急社長に面会したい、とだけ秘書には伝えてあった。その内容は極秘中の極秘だ。
「実は──」
 丸子は、わずかに身を乗り出した。
「私のパソコンに、先週、何者かがハッキングを試みた形跡があります」
「なんだと」
 胡桃沢が目を細める。
「ご安心ください。パスワードを打ち込まないと、極秘のデータにはアクセスできません。パスワードは、私の頭の中だけにあります」
「そうか」
 息をつきながらソファにもたれ、足を組む。
「犯人は、誰かわからないのか?」
「アクセスは、社内からではなく、外部からでした。もちろん、だからといって、うちの社員でないとは言えませんが」
「うまいこと立浪のババアを追い出せたと思ったのに……。あのババアと通じる社員が、まだ残っているかもしれないということか」
「その可能性はあります」
「あっちの筋がバックについてるという噂については?」
 あっち──、とは、先々代の社長、つまり現社長の父親の、元愛人のことを指す。ふた回り以上歳の差のあったその愛人を、元社長は、妊娠発覚後にあっさり捨てたらしい。
 詳しい事情は知る由もないが、元社長は、慰謝料や養育費などもほとんど払わず、生まれた子どもも認知しなかったという。今から三十年も前のことだ。
 その後クラブのホステスになり、資産家のパトロンを見つけた元愛人は、その資金とコネクションを使って、現在、京都クルミ製作所の株を極秘裏に買い集めているという。
「そのことについては、現在調査中です」
 表情を動かすことなく、丸子が答える。
「いずれにせよ、証拠がない以上、敵は何もできません。手をこまねいている間に帳尻を合わせてしまえば、それで乗り切れます。そのためには、早く組織の再編に手をつけたほうが──」
「わかってる!」
 苛立ったように、胡桃沢は吐き捨てた。
「西村麻里は、いつから出社できる?」
「今週の後半ぐらいから、と聞いています」
「リストラと再編に絡んだ予算については、大丈夫なのか?」
「西村は、金の流れについてはまるでわかっていません。その点については問題ないのですが……」
「他に何か気になることでもあるのか?」
「はい。実は──」
 丸子は顔をしかめた。
「セカンドキャリア戦略室の、榊、勝見、下島の三人が、入院中の西村と面会しました。榊は、立浪とも会ったようです」
「榊……」
 胡桃沢が小首を傾げる。
「確か……、立浪が目をかけていた経営企画部の女だな?」
「そうです」
「榊がハッキングの犯人か?」
「いえ。それは違うと思います。病室でどんな話をしたのか、西村を問い詰めたところ──、榊たち三人は、何者かの仕掛けた罠にハマって、セカンドキャリア戦略室に追いやられたと思っているようで……」
「罠にハマって──? なんだそれは。どういうことだ」
「リストラ期間の最終段階で、三人それぞれにちょっとした事件が起きまして、そのせいで三人ともセカンドキャリア戦略室送りになったわけですが──」
「それが、誰かの策略だったというのか?」
「はい」
 丸子はうなずいた。
「誰の策略だ? 見当はもうついてるんだろう?」
「はい」
 もう一度うなずく。
「西村は、吉田経営企画部長、鈴本営業部長、大崎総務部長の三人の部長のうち、二人に退職勧告をする予定でした。ただ、誰にするかは、最後まで迷っていたようです。おそらくその情報を、青柳人事部長が、三人に漏らしたのでしょう。青柳は、直接リストラにタッチはしていませんが、西村から随時報告を受けていましたから」
「それで、三部長が結託したということか」
「そうです。経営企画、営業、総務、それぞれの部署からひとりずつリストラ候補が出たために、部長二人分とちょうど釣り合う形で、今回の削減目標に達したわけです。そこで青柳が、『これ以上の退職勧告は社員の士気に関わるから』という理由で、リストラを打ち止めにした。おそらく、そういうことだったと思います」
「こざかしいことをしよって……」
 苦い表情で、胡桃沢は腕を組んだ。
「しかし、私はそんなくだらんことには関係していないし、君もそうだろう?」
「はい、もちろんです。ただ、榊たちは、自分たちを陥れた犯人を探すために、いろいろ嗅ぎ回っているようなのです。問題は、そうやってあちこちに首を突っ込むうちに、こちらに都合の悪い情報を掴むことがあるかもしれない、ということで──」
「榊が立浪と会ったというのは、本当なのか?」
「入院中の西村に面会に行ったことを知って、気になったものですから、監査部で使っている興信所に依頼して、榊にだけ監視をつけました。勝見と下島は放っておいても問題ないと思うのですが、榊については、あの立浪が目をかけていたこともあって、少々気になりまして」
「立浪と榊が、以前から通じ合っていたということはないのか?」
「それはないと思います。榊は本社に来てまだ三年しか経っていませんし、課長になったばかりの人間が首を突っ込めるような問題でもありません。ただ──、セカンドキャリア戦略室に追いやられた以上、今のままでは、榊にこの会社での将来はありません。一か八か、立浪と組む可能性もあるかと」
「どうするつもりだ」
「とりあえず、下島をこちら側に取り込みました」
「取り込んだ?」
「はい」
 丸子がうなずく。
「榊が立浪とどんなことを話したか、もうすぐわかるはずです。うまくいけば、立浪と通じている役員や社員の名前も明らかになるかもしれません」
「さすが丸子監査部長。やることに抜け目がない」
 フッ、と鼻を鳴らして胡桃沢が笑う。
「恐れ入ります」
 丸子も頬を弛める。
 今度のことがうまくいけば、役員への昇進は確実なものになる。
 ──誰にも、絶対に邪魔はさせない。
 丸子は、今度は、不敵な笑みを浮かべた。


 午後五時──。ギロチンハウスの住人たちは、力なく椅子から立ち上がった。肩を落とし、腕をだらりと下げた格好で、ぞろぞろと中庭に出て行く。
 本社の社員たちは、それを「午後五時のゾンビの行進」と名付けている。見たまんまのネーミングだ。面白くもおかしくもない。
 先週までは、下島もゾンビの一員だった。でも、麻里が襲われたことがきっかけで江梨子と勝見という仲間を得て、生き返った。そして今、ハウスから抜け出すための正念場を迎えようとしている。
 ──失敗は許されない。
 自分に言い聞かせながら、住人たちの一番あとから中庭に出る。
 今日も窓には社員たちの顔が並んでいるが、その数は一時ほどではない。麻里を襲った犯人はいまだに捕まっておらず、賭け熱もしぼみ気味だ。
 江梨子と勝見の姿はすでにない。三人は、時間を置き、別の道を通って、公園に向かうことにしているのだ。ツルんでいるところは、なるべく社員に見られたくない。
 会社を出て、駅と反対方向に歩く。誰かに尾行されていないか気にしながら住宅の角を曲がり、路地を通り抜ける。
 二人は、すでに公園に到着していた。勝見は、調達してきた飲み物とつまみをベンチに並べている。
 下島はバッグにそっと手を差し込み、丸子から預かったボイスレコーダーのスイッチを入れた。これで、ここからの会話は全て録音される。
 緊張で足が震えた。鼓動が速く、息が浅くなる。
「どうしたんですか?」
 なかなか近づかない下島に向かって、勝見が声をかける。江梨子も、心配そうな顔を向けている。
「遅なってすいません」
 笑顔で手を上げながら、ベンチに腰を下ろす。
 まずは、いつも通りビールで乾杯した。日の光はまだ燦々と降り注いでいるが、ベンチは住宅の影になっているためまだマシだ。暑いからどこか店に入りましょうよ、と勝見は言うが、ギロチンハウス送りになったことが女房に知られたあと、小遣いは半分に減らされてしまった。とても飲み屋に入る余裕はない。江梨子は、気を使ってくれているのか、冷房は好きじゃないからここがいいと言ってくれる。ありがたい。
「じゃあ、ひとりずつ、成果の発表といきましょう」
 缶ビールを手にしたまま、江梨子がうながす。
「では、まずは僕から──」
 勝見が手を上げた。スラスラと淀みなく報告を始める。
 総務部のお局様から仕入れたという、坂口好美の不倫と退職との関係、三部長の仲良し度、人事の青柳部長との繋がり等、かなりの情報量だ。
「昨日、早速坂口好美のアパートに行ってみたんですけど、留守みたいでした。ドアの郵便受けにチラシがいっぱい突っ込んであったから、もう何日も留守にしてるみたいです。携帯も切ってるみたいで、繋がりません」
「旅行にでも出かけてるのかな」
 江梨子が首を傾げる。
「不倫相手といっしょですかね」
「どうかな……」
「まあ、会えるまでしつこく行ってみますよ」
「そうね。そうしてくれる。連絡がついたら私もいっしょに行ってもいいし」
「了解」
 勝見は缶ビールを持ち上げた。
「じゃあ、次──。下島さん、お願いします」
「あ、はい」
 いきなり指名されてドギマギした。
 落ち着け、と心の中で繰り返しながら、今朝の鈴本部長とのやりとりを説明する。
 トイレで急襲したと聞き、二人はまず笑い転げた。そして、似顔絵を見せたとき明らかに動揺したことを話すと、やはりヘッドハンターは鈴本が雇った偽者だ、と揃って断言した。
「そのあと、監査部に連れて行かれたんですよね。どうでした?」
 勝見が訊いた。当然の質問だ。
「こってり絞られたわ。今度もう一度騒ぎを起こしたら、会社を辞めてもらうことになるいうて、思い切り脅された」
「下島さん、ちょっとやり過ぎなんですよ」
 笑いながら勝見が言った。
「けど、トイレで小便するのを待ち構えて、っていうのは、なかなかいいアイディアですけどね。絶対逃げられないから」
「鈴本、焦ったでしょうね」
 江梨子も楽しげだ。
 しかし、下島は、やっとのことでひきつった笑顔を返しただけだった。笑っていられるような余裕はない。バッグの中のボイスレコーダーに、どうしても気がいってしまう。
「江梨子さんは、どうだったんです?」
 勝見が訊く。
 江梨子は、立浪から聞いたことだと言って、会社の組織再編計画について話した。そして、勝見が仕入れてきた情報と合わせ、吉田、鈴本、大崎、そして青柳の四部長が結託して自分たちを罠にハメたのだ、と結論づけた。問題は、どうやってそれを証明するかだ。
「立浪さんから、他になんか聞かへんかったですか?」
 何気ない口調を必死で装いながら、下島はたずねた。
「他に?」
「自分が会社を辞めさせられた理由とか、まだ社内に残っている自分の仲間のこととか……」
「そうねえ……。会社を辞めさせられた理由は、具体的には話してくれなかったわね。ただ、会社に問題があるとは言ってた。それを改善しようと頑張ったけど、ダメだったって」
「それだけですか?」
「ええ」
「ほんまに?」
 江梨子が怪訝な顔つきになる。
「下島さん、何が知りたいの?」
「いや、ええと……、もし立浪さんの仲間がまだ会社に残ってるんなら、自分たちの味方になってくれるんやないかと思って」
「でも、立浪さんは、もううちの役員じゃないから。今でも社内に力を持ってるとは思えないけど……」
「ええっ!」
 そのとき、いきなり勝見が大声を上げた。
 下島は、心臓が止まるかと思った。ただでさえビクビクしているときに、勘弁してほしい。
「どうしたの?」
 全く動じる気配もなく、江梨子が勝見に顔を向ける。
 勝見は、さっきからスマホをいじっていたのだが、その画面に目を釘付けにしている。
「これ」
 下島と江梨子に向かって、勝見はスマホを突き出した。ネットニュースのようだ。
『山科区のアパートで女性の死体』
 今度は江梨子が、あっ、と声を上げた。
『今日の午後、坂口好美さん(40)が、自宅アパートで首を吊って死んでいるのが発見された。死後数日が経過していると思われ、京都府警は、自殺・事件の両面から捜査すると発表した。』
「いったい、どうなってるの」
 呻くように江梨子がつぶやく。
 下島は声を出すことができなかった。スマホの画面に目を向けたまま、ただ呆然と固まっていた。


<次回は9月1日(金)更新予定です>