ギロチンハウス。皆はそう呼ぶ。公式な名称はセカンドキャリア戦略室。しかし、その実態は、社員の首を切るための追い出し部屋ならぬ追い出し小屋だ。

V 諜報戦は激しさを増す

 今夜の圭子は、黄色いミニのワンピースだった。
 膝上十センチほどの高さから、太めの足が剥き出しになっている。なかなか壮観だ。嫌いではない。
 いつものカウンターの端の席で、勝見は手を上げた。嬉しそうに腰を振りながら圭子が近づく。チョイ悪オヤジ風の髭面マスターが、渋い声で「いらっしゃい」と声をかける。
 今日も、店には他に客はいない。
「同じものを」
 圭子は、勝見の前に置いてあるグラスを指さした。今日はボルドーの白ワインだ。
「どうやった、警察の取り調べ」
 隣に腰を下ろすと、すぐに圭子がたずねる。
 警察の取り調べ──、と聞いてマスターが一瞬こっちを見た。もちろん、すぐにまた元のポーカーフェイスに戻る。客の前で、マスターは空気でいなければいけない──、はずなのだが、そっぽを向くフリをしながらも、聞き耳を立てているのがわかる。
 まあ、しかし、それも仕方がない。この前ここで話題にしていた坂口好美が死体で発見されたのだ。テレビのローカルニュースでも報道されているから、マスターも知っているのだろう。
「取り調べはシンドかったですけどね。でも、わかったこともあります」
 空気になり切れていないマスターは無視して、話を続けることにする。
「好美さんは、妊娠してたようです」
「えっ!」
 マスターが声を上げた。
 勝見と圭子が、カウンターの向こうに目を向ける。マスターはこそこそと背中を向け、白ワインをグラスに注ぎ始めた。
「担当の刑事さんに訊かれたんですよ。被害者のお腹にいるのはあんたの子か、って」
「へえ」
「僕の反応を見たかったんでしょうけどね。僕が本当に驚いたんで、それを見て、父親じゃないとわかってくれたみたいです」
 圭子の前に白ワインのグラスが差し出された。続いて、二人の間にメニューが置かれる。
「妊娠のことなんて、警察が話しちゃっていいの?」
 肩を擦り寄せながら、圭子は訊いた。
「さっき見たら、そのこと、ネットに出てました。もう八ヶ月目に入ってるとかで、お腹もそれなりに大きかったでしょうから、身近にいる人ならみんなわかってたはずですからね。隠してもしょうがないと思ったんでしょう」
 看護師だという隣室の女性も妊娠には気づいていただろう。妊娠を知っていたからこそ、好美に万が一のことがあったら大変だと思い、警察に知らせたのかもしれない。
「警察は、自殺やと思ってるの? それとも他殺?」
「うーん……。微妙なところみたいです。ところで──」
 勝見は圭子に顔を向けた。熟女臭と香水が入り混じった、濃厚な香りが鼻を衝く。今日はブルガリか。
「調べてもらえました? 頼んだこと」
「もちろん。けど、もうちょっと待って。もうすぐ連絡もらえることになってるから」
「連絡って、誰から?」
「四年前まで好美さんと同じ総務の五係にいた、桜井さくらいさんて女の子。あなたも知ってるでしょ?」
「ああ、覚えてる覚えてる」
 四年前は、勝見はまだ五係ではなかったが、総務部には在籍していたから、もちろん顔は覚えている。話をしたことも何度かある。
「確か、寿退社したんですよね」
「そうそう。でね──、その子なら好美さんのことよく知ってるだろうと思って、連絡してみたの。今は別の仕事してるんやけど、家に帰って昔の写真とか見たら記憶がはっきりするからって」
「それで、好美さんが付き合ってた男のことがわかるんですか?」
「多分」
 意味ありげに圭子が微笑む。
「社員の家族に冠婚葬祭があると、総務部って手伝いに行かされるやろ。特に、女性社員は何人もかり出されることがあるやんか」
「ええ」
「五年前、あなたが怪しいと睨んだ男の父親の葬式があってね。そのとき、総務部から何人か手伝いに行ってるのよ。ただ、誰が行ったか、記録には残ってないの。けど、当時好美さんと同じ五係にいた桜井さんなら知ってるはず。もしかしたら、決定的な証拠が出てくるかもよ」
「へえ」
 それは願ってもない。
「ねえ、何食べる〜?」
 さらに身体を寄せながらメニューを引き寄せ、圭子が甘えた声を出したとき──、
 スマホが着信音を鳴らした。
「お、きたきた」
 桜井という、元総務部五係の女性からか。
 圭子が身体を離し、隣の椅子の上に置いていたバッグを手に取る。
 バッグから取り出したスマホを操作して、まずメールの文章に目を通すと、圭子は、添付されている写真を開いた。
「あなたの思った通りやったわよ」
 にやりと笑いながら、スマホを勝見に渡す。
 カウンターの向こうでマスターが首を伸ばしているが、完全に無視して画面に目を向ける。
 そこに写っていたのは、黒いスーツ姿の男と、黒いワンピースに真珠のネックレスを身に着けた女のツーショットだった。葬式だというのに、男は笑顔で女に話しかけ、女のほうは、はにかんだような笑みを返している。
 女は坂口好美、男は──。
「好美さんが口説かれてるみたいやったんで、桜井さん、面白がってこっそり撮影してたらしいわ。今日私が連絡したとき、そのことを思い出したみたいで……、データを探して送ってくれたんや」
「なるほど……」
 それで筋は読めた。
 一般的に、男というのは、喪服の女性に惹かれる傾向にある。好美は元々、そこはかとない寂しさを感じさせる女性で、そういうタイプは喪服がよく似合う。この男は、実の父親の葬式の手伝いに来てくれた好美に欲情し、不謹慎にもその場で口説いた。そして、不倫関係に陥った。
 それから五年後──。好美は男の子どもを身ごもった。
 もしかしたら、以前にも一度ぐらい妊娠したことがあるのかもしれない。そのときは否応なく堕ろすしかなかった。しかし、今度は、是が非でも好美は生みたかった。四十歳という年齢のことを考えると、これが最後のチャンスだという思いもあっただろう。
 男は焦った。折しも会社ではリストラが始まろうとしている。好美の妊娠が発覚し、自分との不倫関係が明らかになれば、会社を首になるばかりか、家庭もめちゃくちゃになる。
 だからまず、男は好美を退職させた。子どもは認知するとか、妻とは別れるとか、うまいことを言ったのだろう。
 退職してから、好美は、男に結婚を迫った。
 進退窮まった男は、とうとう好美を殺した。自殺に見せかけて。
 携帯の通話記録を見れば、好美が誰と付き合っていたかはわかるはずだが、今日受けた感じでは、警察はまだ不倫相手を特定できていないようだった。あるいは、二人は、自分たちだけの連絡専用の携帯を持っていたのかもしれない。好美を殺しておいて、その専用携帯だけを持ち去れば、自分との関係にまではなかなかたどり着けない。自殺として処理されてしまえば、なおさらだ。
 ──そうはさせるか!
 画面の中で好美を口説く男に向かい、心の中で勝見は吠えた。
 まずは、この事実を江梨子に伝える。そして、下島を含めた三人で今後の作戦を練る。
「ねえ、今夜も酔っていい?」
 ──おっと……。
 その前にやるべきことがあった。
「もちろん」
 満面に笑みを作ると、勝見は圭子とグラスを合わせた。


 古いビルの横手にある、地下に続く階段の前で立ち止まると、丸子は、いつものように鋭い目つきで辺りを見回した。
 午後十一時を過ぎ、木屋町通は酔っ払いで溢れている。千鳥足のサラリーマン、派手な化粧の女、大きな声と身振りで歩く外国人の団体。高校生ぐらいにしか見えない、若い男女の姿も目立つ。
 この前ここに来たときは、誰かに尾けられているような気がした。神経質になり過ぎているのかもしれないが、注意は必要だ。立浪たちのバックに、もし先々代社長の元愛人がついているとしたら、用心し過ぎるほど用心しておかなければならない。絶対に弱みを握られるわけにはいかない。今は大事なときだ。
 しかし、大事なときだからこそ、ここに来たくなる。思い切り発散しないと、心身の状態を平常に保つ自信がない。
 誰もこっちを見ていないことを確認すると、丸子は素早く階段を駆け降りた。別に法律に触れることをしているわけではないが、ここに来ていることを会社の人間に知られるわけにはいかなかった。
 地下に降り、短い廊下を進んで、スチール製の分厚いドアを開ける。
 その途端、大音量の歌声と叫び声が鼓膜を震わせた。
 低い天井ではミラーボールが回転し、様々な色のレーザービームが、二十メートル四方ほどの薄暗い店内を移動している。
 受付で入場料を払い、客の間を縫って前に出る。
 正面のステージでは、振袖の裾をちょん切ってミニスカートにしたような衣装を身に着けた七人の少女が、マイク片手に歌っていた。そのすぐ前では、様々な年代と服装の十人ほどの男たちが、扇子を振り上げて踊りながら、犬の遠吠えのような声を上げている。
「サッチーン!」
「キミちゃーん!」
「ヨシコぴょん!」
 歌の合間に、メンバーひとりひとりの名前が、リズムに合わせて連呼される。
 少女たちは、京都を中心に活動する地下アイドル「姫君シスターズ」。その前で息の合った踊りを披露しているのは、グループの親衛隊だ。
「あ、マルちゃん」
 一番端で踊っていたハゲ頭の中年が、丸子の姿を見つけて手を振った。
「よっちゃん!」
 丸子が満面に笑みを作る。
 ハゲ男の本名は知らない。ここでは「よっちゃん」と呼ばれている。丸子は「マルちゃん」だ。
 ネクタイを外し、オールバックの髪を指先でくしゃくしゃにする。親衛隊だけが持つことを許されている金色の扇子をバッグから取り出すと、丸子も踊りに加わった。
 歌に合わせてジャンプし、扇子を持った右腕をひと回し。左足を蹴り上げ、そのまま片膝をついてメンバーの名前を叫ぶ。一糸乱れぬ親衛隊の振付が誇らしい。
「ルイちーん!」
 お気に入りのメンバーの名前を大声で叫ぶ。
 ステージからルイちんが笑顔で手を振ってくれる。
 まさに至福の時間。この瞬間のために生きているといっても過言ではない。
 丸子は、吹き出す汗を拭うこともなく踊り、叫び続けた。


 ──パスワードは、地下アイドルの誰かの名前と生年月日を組み合わせたものとみて、まず間違いありません。
 昨夜のホテルでの作戦会議のとき、麗子の社内協力者は、そう断言した。
 丸子がこれまで使ってきたパスワードが、全て地下アイドルが絡んだものだということは調べがついているという。今の丸子のお気に入りは「姫君シスターズ」だから、そのメンバーのうち誰かの名前と生年月日を組み合わせたものであることは想像できる。しかし、三回連続でパスワードの入力を間違えると、パソコンがシャットダウンされてしまうため、ファイルを開くのは至難の業だ。
 ──では、どうするか。
 ひと晩考え、江梨子はひとつの方法を思いついた。
 ギロチンハウスに出社してから、その方法で成功するかどうか、もう一度じっくりと考え、やってみようと決意を固めた。
 ──となると、善は急げだ。
 椅子を引き、それとなく勝見と下島の様子をうかがう。
 勝見は、夜遊びでもして寝不足なのか、さっきから生あくびを繰り返している。昨日の深夜、好美の不倫相手に関する決定的な情報を電話で伝えてくれたが、そのとき、女性といっしょにいる様子だった。あのあと、ホテルにでも行ったのかもしれない。お盛んなことだ。
 相手は誰だろう、と考えたとき、一瞬、総務のお局様の顔が脳裏を過った。
 ──いやいや、まさか、それはないだろう。
 苦笑いと同時に、すぐに否定する。勝見なら、若くてきれいな女性をいくらでもくどけるはずだ。
 勝見の向こうの席に目を向ける。
 下島は、いつもと同じように、生気のない顔でテーブルの一点を見つめている。家でも相手にされていないようだし、ここでも難しい立場に追い込まれている。精神状態が心配だ。
 いずれにせよ、勝見と下島とは、運命共同体だ。三人で道を切り開くしかない。
 ひとつ息をつくと、江梨子は立ち上がった。
「トイレ」
 こっちに顔を向けた同志二人に告げ、さっさと歩き出す。
 社屋一階のトイレの個室に入ると、江梨子はすぐにスマホを取り出した。作戦のあらましを書き、社内の協力者に宛ててメールを送る。送信済みのメールは、念のためすぐに消去する。
 ここで返事を待っている余裕はない。長い間ハウスを留守にしていると、監査部の社員に連行されてしまう。レバーを捻って水を流すと、江梨子は急いでトイレを出た。
 就業中とあって、さすがに窓から江梨子を見下ろしている社員はいない。誰もいない中庭を横切ってハウスにたどり着き、引き戸を開ける。
 住人たちは、ほとんど全員がパソコンに向かっていた。火曜日に坂口好美の死亡が伝えられてからというもの、ネットで事件の経過を追うことに余念がないのだ。やることができて、おめでたい限りだ。
 好美が妊娠していたことは、すでに誰もが知るところとなっている。他にも、週に何度かスナックで働いていたこととか、くすねた備品をネットオークションで売りさばいていたこともわかっている。
 勝見によると、好美が住んでいたのは、ずいぶん安っぽいアパートだったという。スナックでアルバイトをし、備品の横領までしていたことを考えると、男に貢いでいたのはまず間違いない。甘い言葉に騙され、妊娠までした挙句に殺されたのだとしたら浮かばれない。
 ゲス不倫男は、警察が自殺で処理してくれることを祈っているだろうが……。
 ──でも、そうはさせるものか。
 大股で自分の席に戻りながら、江梨子は不倫男の顔を思い浮かべた。その腕に手錠がかけられ、刑事に連行される場面を夢想する。
 今度の作戦がうまくいけば、殺人事件の解決だけでなく、今社内で起きている不正を全て、白日の下にさらすことができる。そうなれば、自分も勝見も下島も、元の部署に戻ることができるはずだ。
 アドレナリンが全身を駆け巡るのを感じながら、席に戻る。
 しばらくすると、スマホが振動した。メールの返事だ。
〈いい案だと思います 早速立浪さんに連絡を取ります 今晩詳細を検討しましょう〉
 ──よし!
 江梨子は拳を握りしめた。
 ペンを取り、今日も公園会議を中止する旨をメモ用紙に書く。
『明日、多分重要な話をすることになると思います』
 そう書き加えると、勝見と下島に送った。
『いよいよ何か始まるんでしょうか』
『なんかワクワクしますね』
 下島と勝見の返事を見て、
『乞うご期待!』
 最後に江梨子は、そう付け足した。
 
 その夜──。退社し、いったん自宅マンションに戻ると、江梨子は、昨日と同じようにして、立浪が待つホテルに向かった。
 そして、社内協力者を交えた三人で作戦の詳細を検討した。


<次回は9月29日(金)更新予定です>