ギロチンハウス。皆はそう呼ぶ。公式な名称はセカンドキャリア戦略室。しかし、その実態は、社員の首を切るための追い出し部屋ならぬ追い出し小屋だ。

W 決着のとき来たる

 

「なんだと!」
 丸子の顔が引きつった。
「お前ら、ふざけたことを言ってると──」
「わ──!」
 突然、前の席で声が上がった。胡桃沢社長だ。パソコンの画面に向いたその顔は驚愕に歪んでいる。
 丸子はスクリーンを振り返った。そして、絶句した。
「これは、会社の裏金に関するデータです。もちろん、不正に処理されているものです」
 江梨子が告げる。
 子会社から胡桃沢個人へ渡った裏金のルートと金額、その日付。今回のプロジェクトにかこつけて、胡桃沢個人の損失分を隠すための金の流れ。そういったものが、次々にスクリーンに映し出される。役員たちは目の前のパソコンの画面を、部長たちはスクリーンを、息を詰めるようにして見つめている。
 現社長の父親である、先々代の社長が関わった裏金と不正経理のデータが映されたときには、会議室は騒然となった。
 ──そんなバカな。
 スクリーンに目を釘付けにしながら、あり得ない、と丸子は思った。監査室の中は、二十四時間態勢で監視していた。自分のパソコンからデータがコピーされたはずはない。
 ──では、どうやって……。
「ツボタマリコ、って誰です?」
 とぼけた声で勝見が訊いた。
 丸子は目を剥いた。やはりパスワードが知られている。
「やっぱりアイドルの名前なんですか?」
「八十年代に一世を風靡した──」
 アイドルの本名だ──、と言いかけ、丸子は唇を噛んでこらえた。
「いったい、お前ら……、パスワードをどうやって……」
「あなた方監査部と同じ方法をとったんですよ」
「同じ方法?」
「ギロチンハウスの中を監視するために、分電盤の中に小型カメラを仕込んでるでしょう? こっちは、あなたのデスクの横にあるキャビネットの中に仕込んだんです。一番端のファイルの背表紙に穴を開けて、その内側にカメラを入れて、あなたのパソコンのキーボードが写るように調節しました」
 丸子は空唾を呑み込んだ。同時に、新たな疑問が湧いた。
 普段、この極秘のファイルを開くことはほとんどない。この前は、パスワードを変更するためだった。それ以降は、一度もファイルには触れていない。
 ──だとしたら……。
「俺がパスワードを変更するように……、仕向けたのか?」
 丸子が下島に目を向ける。
「お前……、裏切ったのか?」
「人聞きの悪いことを言わないでください」
 下島は眉をひそめた。
「私は、仲間を裏切らなかった。それだけです。トイレで鈴本部長とトラブルになって、そのあと監査室に連行されるとき、私は、江梨子さんと勝見クンに内緒で行動するのはもうやめよう、って誓ったんです。せやから、監査部のスパイになるように言われたことも、すぐに伝えました」
「筆談でね」
 江梨子が付け加える。
「カメラで監視され、盗聴もされている可能性が高いと思ったんで、私たち、大事な話は筆談でしてたんです。なんせ一日中暇なんで、やり取りする時間はたっぷりありますから」
 携帯を使ってやり取りするという方法もあったが、下島が操作が不得手だというので断念した。筆談は原始的な方法ではあるが、メモ用紙を破いて捨ててしまえば記録は残らない。監査部の目を欺くには有効だった。
「それと──」
 江梨子は丸子に目を向けた。
「あなたは、私たちの会話を録音するよう下島さんに命じました。それを下島さんから聞いたとき──、正確には、筆談で知らされたとき──、私は、逆にこれを利用できないかと思いました。それ以来、どこでこのカードを切るか、ずっと考えてたんです」
「下島さんは、ダブルスパイがバレないかって、結構ビビッてましたけどね」
 勝見が付け加える。余計なことを言うな、というように、下島が勝見に向かって目を細める。
「私たちは西村麻里さんを呼び出し、嘘の計画を伝えました。監査室に出入りできる西村さんに私たちが接触することで、あなたに危機感が生まれると思ったからです。その上で、パスワードが地下アイドルの名前と生年月日の組み合わせだとこちらが知っていることをあえてあなたに教えて、パスワードを変更させようとしたんです」
 丸子は、喉の奥で呻き声を上げた。
 しかし、まだ疑問は残る。パスワードがわかっていれば、外部からでもパソコンに侵入してファイルを開くことは可能だろう。しかし、隠しカメラを仕掛けてそれを回収するためには、実際に監査室に出入りしなければならない。江梨子たち三人も、西村麻里も、一度も部屋には入っていないはずなのだ。
 ──だとしたら……。
 監査部の中に、江梨子たちのスパイがいる。
「ああっ!」
 丸子は思わず声を上げた。
 ──あまりに予想外の話の展開の連続で思い至らなかったが、スクリーンに映される画像を操っているのは……。
 愕然としながら、丸子は壁際のデスクに目を向けた。


 キーボードから手を離すと、家長博美は立ち上がった。
 ──いよいよ真打の登場だ。
 江梨子は、勝見と下島をうながして壁際に寄った。その前を、いつものように足音もなく博美が通り過ぎる。
 テーブルの前に進み出ると、博美は、目の前の胡桃沢を見下ろした。
「社長、私が誰かおわかりになりませんか?」
 ぽかんとした表情で見上げながら、胡桃沢は、無言で首を振った。
 博美が薄く笑う。
「私の母は、あなたの父親の愛人でした。私は、腹違いのあなたの妹です」
 ヒッ、と音を立てて、胡桃沢は息を吸い込んだ。丸子が、思わず、といった感じで一歩後ずさる。
 一瞬の静寂のあと、会議室は騒然となった。
「私は、まだ母のお腹の中にいるとき、あなたの両親に殺されかけました。母は必死で私の命を守ってくれました。私は、そんな母のために、いつか胡桃沢一族に復讐したいと思って生きてきました」
 博美はクールだ。涼しげな目で胡桃沢を見下ろしている。
「私が大学生のとき、胡桃沢がFX取引で莫大な損失を出したらしいという噂を聞きました。そして、その損失額と同額の金が、子会社から引き出されているのではないかということも。母は、調査会社を使って、定期的にこの会社の裏情報を集めさせていたんです。私は、会社の内部に入り込んで、実の父親の不正を暴こうと思い立ちました。それが、私が考えた復讐でした。
 入社試験を受ける前、私は、母に頼んで立浪さんを紹介してもらいました。立浪さんは、入社試験は公平・公正に受けてもらうが、入社できたら自分の片腕になってほしいと言ってくれました」
 胡桃沢の顔が歪んだ。
「五年前のリストラのとき、立浪さんは、裏から手を回して、私を監査部に異動させました。残念ながらそのときには不正の証拠は見つけられませんでしたが、私は監査部に残ることができました。それからは、丸子部長の信頼を得るために、どんな命令にも従いました。この日のために」
 江梨子は丸子を見た。顔は青ざめ、唇はわなわなと震えている。
「これは、明らかな背任行為です。このファイルがその証拠です。胡桃沢社長と丸子部長には、相応の責任をとっていただきます」
 胡桃沢は、すがるような目で役員席を見回した。しかし、味方だったはずの役員たちは、今は全員がうつむき、視線を合わせようとしない。
 窓の外から騒ぎ声が聞こえてきた。
 江梨子と勝見、下島が窓に歩み寄る。それにつられるかのように、会議の出席者たちも立ち上がり、窓の外に目を向ける。
 騒いでいるのは、ギロチンハウスの住人たちだった。全員がハウスの前に出てきている。何人かはA4のコピー用紙を頭上に掲げている。
 一枚にひとつずつ、大きく文字が書かれている。三階の会議室からも、はっきりと読み取れる。
『胡桃沢社長と丸子部長をギロチンハウスへ送れ』
 住人たちは拳を突き上げ、口々に何か叫んでいる。
「お前らがこっちへ来い!」
「今から俺たちが監視してやる!」
「毎週反省文を提出しろ!」
「俺たちを元の部署に戻せ!」
 ──等々。
 会議室に乗り込む前、江梨子たちが、ハウスの住人たちに胡桃沢と丸子の企みについて話していたのだ。ついさっき、勝見が携帯でGOサインのメールを送り、それを合図に住人たちは外に出てきた。
 ギロチンハウスの住人には、怒る権利がある。
「あなたはもう終わりです、社長」
 兄に向かって、博美は宣告した。


<次回は11月10日(金)更新予定です>