『逆説の世界史』井沢元彦

第116回

2017.5.2

第五章|多神教文明の興亡U

第1話 インダス文明の盛衰

未だに解読できない「インダス文字」の謎

現在のインドを中心に発達したヒンドゥー(Hindu)文明を語るためには、それ以前にインダス川(the Indus)流域を中心に栄えた世界四大文明の1つ、インダス文明を語らねばならない。

このインダス文明には「ハラッパー(Harappa)文明」という別名もあるが、これは20世紀前半、インドがまだイギリスの植民地だった時代、インド亜大陸の一角(現在、インダス川流域はパキスタン領)のハラッパー、そしてモヘンジョ・ダーロ(Mohenjo-Daro)から大規模な遺跡が発見され、そこからこの文明の巨大さが知られるようになったからである。

ハラッパー遺跡はインダス川上流のパンジャーブ(Punjab)地方にあり、「周囲約5q、高さ約10mの低い丘を形づくっている。発掘された遺跡の中央には南北400m、東西200mの平行四辺形の城塞があり、その北側には労働者用長屋と作業場と穀倉が、南側には2つの墓地がある。(中略)街路は舗装されて排水溝も整備され、青銅器、彩文土器、特に文字を刻んだ多数の印章を出土し」た。

一方、モヘンジョ・ダーロ遺跡は「前3000〜2000年紀頃の城塞と市街があり、前者は城壁に囲まれ、大浴場、穀物倉、僧院などがある。市街は道路、下水が整備され、家屋は煉瓦でつくられている。土器、銅器、未解読文字を刻んだ印章、石刃、陶製の人像や動物像、玩具、装身具などの遺物」がある(「」内はいずれも『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2016』より引用)。

通説では、インダス文明の時期は、先行のエジプト文明、メソポタミア文明より遅れ、紀元前2500年から紀元前1800年までの間であるが、全体の規模は東西1600キロメートル、南北1400キロメートルと広大で、エジプト文明、メソポタミア文明を遙かに凌駕している。それ故、インダス川流域を遠く離れた遺跡もあり、この文明全体の呼称としては「ハラッパー文明」の方がふさわしいという研究者もいるほどだ。

しかし、その数多くの遺跡(最近では約2600あると言われている)の中でも、ハラッパーとモヘンジョ・ダーロの二大都市の遺跡が群を抜いて大きく、これが1つの大国の中の二大都市だったのか、それとも年代的に先行するハラッパーが何らかの原因で衰えた後、モヘンジョ・ダーロが首都の地位を受け継いだのか、など諸説があり、真相は未だに不明だが、両都市ともこの文明の中核であることは間違いない。

モヘンジョ・ダーロ遺跡(パキスタン)

ところで、この文明自体を象徴するキーワードがあると、私は考えているので、それを皆さんにまずお伝えしたい。それは「分からない」という言葉だ。もちろん、ふざけているのではない。

エジプト文明と比べてみると、まずハラッパーもモヘンジョ・ダーロも昔は何という名前だったか分からない。それどころか、この「インダス帝国」が何と呼ばれていたかも分からない。

2600も遺跡があるのに、王宮や大神殿や巨大な陵墓の類がまったく出てこないから、皇帝(王)がいたのかどうかも分からないし、どんな宗教だったかも分からない。

当然、王様の名も神々の名も分からない。「クフ王のピラミッド」とか「ラムセス2世」とか「豊饒の女神イシス」などという固有名詞が知られているエジプト文明とは、なんという違いだろう。しかもエジプト文明の方が古く、インダス文明は新しいのである。

それなのに、なぜこんなことになったのか?

1つ考えられるのは、ロゼッタ・ストーン(Rosetta stone)が無かったからだろう。同じ内容の文章が古代エジプトのヒエログリフ(Hieroglyph)とともに、比較的解読しやすかった古代ギリシア語で刻まれた石板であるロゼッタ・ストーンが存在し、発見されたからこそ、学者はヒエログリフを解読できた。それまでテキストは山のように発見されていたのに、つまりデータは豊富だったのに、ヒエログリフはまったく読むことができなかった。その状態が「インダス文字」の場合はまだ続いているのだ。

また、後述するが、実はインダス文字の文書自体が皆無で、これが文明解明の大きな障害となっている。

なぜインダス文明とヒンドゥー文明には連続性がないのか

この文明のもう1つの謎は、それがある時突然、滅んでしまったことである。これもエジプト文明やメソポタミア文明あるいは黄河文明などと大きく違うところで、その後、同じインド亜大陸に生まれたヒンドゥー文明との連続性がまるで見られない。

例えば黄河文明においては、その固有文字であった甲骨文字が、後の中華文明の漢字となったような文化の継承がまるでないのである。

それもあって、インダス文明は未だに「分からない」点の多い、謎の文明と言える。しかし、文字は読めなくても考古学的遺物は多数発見されているので、それを元に文明の形態を推理することは可能だし、文明の崩壊についてもそれは不可能ではない。これから、その作業を進めていこう。

考古学者ではなく言語学者としての視点からインダス文明の実像を解明しようと試みた日本人研究者の長田俊樹(1954年〜)氏は、その著書『インダス文明の謎 古代文明神話を見直す』(京都大学学術出版会刊)の中で、まずインダス文明の解明があまり進まない社会的原因として、発掘数の少なさを挙げる。

総発掘数は遺跡全体の1割以下であり、主要遺跡の学術報告書の公開も遅れ気味だという。

それに加えて、インド、パキスタン、アフガニスタンに分布する遺跡の中で、中枢を占めるインドとパキスタンの両国の関係がギクシャクしていて、「インドの考古学者はパキスタンの遺跡を自由に訪問することができない。もちろん、その逆のパキスタンの考古学者がインドの発掘遺跡を自由にみて歩くことも難しい」(以下、「」内は長田著の前褐書からの引用)という事情がある。

そんな情況の中で、日本人の長田氏は両者を比較検討することも容易にできるわけで、そうした利点を生かし、インダス文明の実体を明らかにするプロジェクトに取り組んだというわけだ。

長田氏によれば、一般にインダス文明に共通する要素は「土器、青銅製品、焼成レンガ、都市計画、素焼きの三角ケーキ、スタンプ印章、標準化された度量衡、そしてインダス文字」だという。

  • 1
  • 2
トップページへ