『逆説の世界史』井沢元彦

第120回

2017.7.3

第五章|多神教文明の興亡U

第1話 インダス文明の盛衰

苦行と瞑想の末に悟りを開いた釈迦の「意外な結論」

釈迦の生涯を検証する前に、あらゆるインド思想の大前提であり、ひょっとしたらインダス文明の当初から存在した可能性もある「輪廻転生」という思想について、さらに補足しておこう。

18世紀後半、江戸時代の日本に、平田篤胤(1776〜1843年)という人物がいた。基本的には国学、つまりそれまでまったく進んでいなかった『古事記』『万葉集』など、8世紀に成立した日本の古典を文献学的方法によって研究する分野での第一人者で、宗教者としては日本古来の民俗宗教である神道の熱烈な信者であると同時に理論家でもあった。ただ、この平田篤胤がユニークなのは、明らかに神道の教義とは本質的には相容れないはずの、いわゆる超常現象にも強い好奇心をもっていたことだ。

平田の時代の武蔵国多摩郡(現在の東京都八王子市)に小谷田勝五郎(こやたかつごろう)という人物がいた。農家の息子である。ところが、8歳になった頃、突然、家族に「自分は近くの程久保村(現在の東京都日野市)で6歳の時に疱瘡で亡くなった藤蔵(とうぞう)だった」と言いだし、あの世に行き生まれ変わるまでのことを詳細に語った。実際に程久保村には藤蔵という少年が実在していて、近年亡くなっていた。その村に行ったこともないはずの勝五郎の話には、藤蔵でなければ分からない情報も入っていた。大人ならともかく、子供が詐欺を働くとも思えないので、この話は大評判となって当時の首都江戸にも伝わった。

大いに興味を抱いた平田は翌年、勝五郎を江戸に呼び寄せ事情をつぶさに聞き、それを一冊の本にまとめた。『勝五郎再生記聞』である。当時の天皇もこの記録を読んだという。また、明治になってこの話を知った小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(1850〜1904年/Lafcadio Hearn)は、随想集『仏の畠の落穂』にこの話を英文で書き世界に発信した。なお藤蔵の地元日野市郷土資料館では、現在もこの問題に関して研究が続けられている。この『勝五郎再生記聞』は近代以前としては最も詳細な「輪廻転生」の記述である。

勝五郎のような体験談は今でも時々世界各地で発信されている。中には捏造もあるだろう。また、ひょっとしたら現代の大脳生理学ではまだ解明されていない脳の働きによるものかもしないが、昔はそんな知識もない。輪廻転生に関する情報はすべて事実と受け止められたのだろう。

釈迦が悟りを開いた菩提樹(ブッダガヤのマハーボディー寺院)

輪廻転生が事実なら、人間は永遠に死なないことになる。より正確に言えば、肉体は滅びても霊魂は不滅である、ということだ。

輪廻転生自体は否定するが、霊魂の不滅は古代エジプトでもキリスト教やイスラム教でも認められている。例えばキリスト教では、最後の審判に「合格」した死者の霊魂は、元の肉体と共に永遠の生を与えられる。

ほとんどの宗教では「霊魂」と呼んでいる、肉体と分離した「人間の本体」について、そのような実体としての霊魂は存在せず、存在するのは宇宙の真理ブラフマンとそれと同じものであるアートマンだけである、としたのが、バラモン教からヒンドゥー教への発展の中で生まれたウパニシャッドの奥義であった。それは、ブラフマンとアートマンが同じ(梵我一如 ぼんがいちにょ)であることを悟れば、人間は肉体や人間関係で生じる不幸、例えば病気や戦争の苦しみから解放され、本当の自由を獲得することもできる、というものだ。

インド思想の共通点として、部外者が抱く疑問は、なぜインド人は輪廻転生つまり「アートマンの不滅」を大いなる喜びとはせず苦しみとするのか、ということだろう。彼らは輪廻転生を脱却すべき悪しきサイクルと捉えているのだ。

その理由を知るためには、ヒンドゥー教に対抗して起こったとも言える仏教の教えを知ることが近道かもしれない。

人間が決して逃れられない「四苦八苦」とは

仏教の開祖いわゆる釈迦は本名ゴータマ・シッダッタ(Gotama〈姓〉 Siddhattha〈名〉で生没年不詳だが、紀元前463〜前383年説と、前565〜前485年説がある(『大日本百科全書(ニッポニカ)』)。釈迦というのは彼の属した部族名で、釈迦族から出た聖者という意味の「釈迦牟尼(しゃかむに)」を略したものである。釈尊(しゃくそん)ともいう。また、悟りを開いた者という意味で、「仏陀(Buddha)」と呼ばれたこともある。ここでは彼のことを「釈迦」と呼ぼう。

後に時空を超越した存在として「釈迦如来」と呼ばれたが、この世に人間として生まれた釈迦の出身地は、現在のネパール国南部である。そこに釈迦族の国があり、カピラ城(カピラヴァストゥ Kapilavastu)という城に釈迦族の王の浄飯王(シュッドーダナ Śuddhodana)がいて、釈迦はその長男として生まれた。母は隣国コーリヤ出身の摩耶(摩耶夫人。マーヤー Maya)であった。その摩耶がルンビニー(Lumbinī)という場所で釈迦を産み、その七日後には亡くなった。誕生に際し、釈迦は摩耶の脇の下から生まれ、生まれてすぐに7歩も歩いて立ち止まり、右手で天を左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(あらゆる世界で私ほど優れた者はいない)」と叫んだと伝えられている。都にあるカピラ城で、釈迦はマーヤーの妹で、父の後妻となったプラジャーパティーによって育てられた。

釈迦は王国の後継者として養育され、立派に成人した。母方の従妹のヤショーダラー(Yasodharā)と結婚し、長男ラーフラ(Rāhula)も生まれた。つまり、家庭生活も含め、順風満帆であった。ところが、その「すべてを手に入れた男」釈迦は、そんな人生に疑問を抱くようになった。

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