『逆説の世界史』井沢元彦

第122回

2017.8.1

第五章|多神教文明の興亡Ⅱ

第1話 インダス文明の盛衰

「0(ゼロ)」を生み出した大乗仏教「空(くう)」の理論とは

仏教をインド亜大陸全体に広めたマウリヤ朝第3代のアショカ王(Aśokaḥ 阿育/生没年不詳/在位BC268頃~232年頃)は、どんな人物だったのか?

祖父チャンドラグプタ(Chandragupta/生没年不詳/在位BC317~296年頃)と父ビンドゥサーラ(Bindusara/在位BC293頃~BC268年頃)が築いた領土を継承して、現在のインドの大部分とアフガニスタンの一部を支配し(地図参照)、古代インド史上最大の帝国を築き上げた。都はパータリプトラ(Pāṭaliputra 現在のインド共和国ビハール州パトナ)であって、ガンジス川中流域の農業地帯が帝国の中核であり、貿易や国内交易でも利益をあげていた。

ところが、カリンガ(Kaliṅga 主に現在のオリッサ州)を征服する際、地元民の抵抗に遭い、結果的に多くの人民を殺傷してしまった。このことを深く悔いた王は仏教に救いを求め、武力による征服ではなく、仏教によって国を統治することを決意し、実行に移したのでる。

具体的には、王も国民も等しく仏法に帰依し、その教えるところを実践することだ。個人は慈悲の心を保ち生き物を殺傷せず、国家も慈悲の心で国民を大切にし、そのために王国では道路を整備し、井戸を掘削し、病院を建設した。人類初の福祉行政を行なった国家だったかもしれない。

王が最も強調したのは、不殺生(殺すなかれ)であった。その方針を徹底させるため、自ら領内を巡察し、仏跡を整備し、新たに石柱(アショカ王の石柱)も建てた。釈迦(ゴータマ・シッダッタ)の生誕地ルンビニー(現在のネパール)の位置が明確に分かったのも、そこに石柱が建てられたからだ。

石柱には「仏法を広めよ」という王のメッセージと仏教の教えそのものが刻まれている。現在のインド文化はヒンドゥー教が主流だが、この石柱はインド文化を代表する遺物として、現在のルピー紙幣のデザインにも登場している。

アショカ王の石柱(インドのワーラナシ―)

このため仏教はインド全域ばかりか、周辺の土地にも伝播した。仏教徒は彼を名君と讃え、様々な伝説が生まれた。

例えば、インド南方のスリランカ(Sri Lanka)に仏教を伝えたのは、アショカ王の王子マヒンダ(Mahinda/生没年不詳)で、当時のスリランカ王デーワーナンピヤティッサ王を帰依させたところから始まった、と伝えられている。

釈迦の死後約百年経って、弟子たちの集団が戒律に対する解釈の違いで2つのグループに分かれた。これを「根本分裂」と呼ぶ。この分裂以後、仏教教団はそれまでの仏教を守っていこうとする上座部(上座に座る長老を意味する)と革新的な大衆部(たいしゅぶ)に分かれた。

分裂の直接のきっかけについては、実は明確な定説はない。ただ、はっきりしているのは、信徒の守るべき戒律について、上座部が厳格さを貫こうとしたのに対し、大衆部が柔軟な対応をしようとしたことが根本原因だということだ。

そして、その大衆部から、教義の面でも、従来の仏教とはまったく違うものが誕生した。その新しい仏教を生み出した人々は、それを自ら「大乗(仏教)」と呼んだ。

大乗とは、サンスクリット語のマハーヤーナ(Mahayana)の漢訳で、「(バスのように多くの乗客を目的地に連れて行ける)巨大な乗り物」という意味である。それまでの仏教は開祖釈迦のような出家修行者が自ら悟りを開くためのものだったが、我々の新しい仏教はすべての人々を救済に導くものだ、としたのである。

そこで彼らは、上座部の人々の唱える仏教を「小乗」と呼んで蔑んだ。「一人しか乗れない小さな乗り物」ということだ。

ヤハウェの救済対象がユダヤ民族のみだったのに対し、それがイエスによって全人類に拡大されたと確信したキリスト教徒が、ユダヤ教の聖書を『旧約(古い契約の)聖書』と呼び、イエスの教えを記録したものを『新約聖書』と呼んだことに似ている。

ただ、「小乗仏教」という言い方はあまりに差別的であるため、現在はこの言葉は用語としては使用せず、代わりに「大乗以前」を継承する仏教を「上座部仏教(あるいは部派仏教)」と呼んでいる。

大乗仏教は当然ながら出家中心主義を改め、市民として結婚し、社会にとどまる在家信者の救済を目的とした。

通常の仏教史では、この後、大乗仏教の理論家たちが、釈迦の教説をいかに哲学的に完成させたかに重きをおいて解説するのだが、私はその哲学的完成は大乗仏教の後世に与えた影響にはあまり関わりのないことだと考える。もちろん、この考え方自体通説とは異なる、私独自の考えなので、果たしてそれでいいのかどうか、この点は読者の皆さんに考えていただきたい。

インド最大の仏教学者が完成した「空」の理論

その判断の前提として、その「哲学的完成」の概略を述べておこう。

まずは「空」の理論である。サンスクリット語のシューンヤ(Sunya)の訳語で、「この世に独立した実体は何も無い」ということだ。ユダヤ・キリスト・イスラム教の根本にある「神という絶対の実在からすべては始まった」という考え方の対極にあることが分かるだろう。

ヒンドゥー教もブラフマン(宇宙の真理)とそれに一致するアートマン(自我)の存在は認めていたが、釈迦はそうした考えを「諸法無我」として否定した。

その「否定」を理論化したのが「空」で、インドの最大の仏教学者とされる龍樹(ナーガールジュナ Nagarjuna/AD150~250年頃)によって完成された。

彼の著『中論』によれば、「存在や時間など、すべて独立して存在するとされるすべての事物は、実際には事物同士の相関関係、相互依存の関係によって初めて成り立つのであり、もともとの絶対的な実在は無い。その状態を空と呼ぶ」ということだ。現代風に言えば、例えば天体としての太陽はそのほとんどが水素とヘリウムからなり、相互に連関して「太陽」を形作っている。それをばらばらに分解したとしても、その構成要素はやはり連関によって成立しているのであり、絶対的な実在は何一つ無い、すなわち空である、ということだ。

ちなみに、その相互依存の関係のことを「縁起」と呼び、「空」の理論と並んで「縁起説」と呼ばれる。

しかし、このように考えてくると重大な問題が生じる。仏教の大前提として存在する輪廻転生において、すべてが「空」であり「我」も存在しないなら、輪廻転生するはずの「主体」は一体何なのか、それも存在しないのか、という問題である。

この問題に明確な解答を与えたのが、2世紀後半から3世紀にかけて活躍したとされる無著(アサンガ Asanga 生没年不詳)と世親(ヴァスバンドゥ Vasubandhu/400~480年頃または320~400年頃)の兄弟であった。

彼らは「唯識論(ゆいしきろん)」を唱えた。空の理論が示すように、この世に実在のものは無い、すべては相互連関に過ぎない。物体が確固として存在しているように見えても、それは相互連関の過渡期の一現象に過ぎない。それを認識している「個人の中にある視覚や聴覚など」を「識」と呼び、唯その「識」のみが実在している、とするのが唯識論だ。

これは、物体は実在せず認識する心のみが存在すると考える西洋の「唯心論」に似ているようだが、実はその「識」すらも実体を認識できない不確かな存在である、と大乗仏教は考える。

古代インド全図
  • 1
  • 2
トップページへ