『逆説の世界史』井沢元彦

第123回

2017.9.1

第五章|多神教文明の興亡Ⅱ

第1話 インダス文明の盛衰

仏教を東アジアに定着させたシルク・ロード

大乗仏教とはいかなるものか?

『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版2016』は次のように定義している。

大乗仏教(Mahāyāna Buddhism)

1世紀頃に興った仏教の二大流派の一つ。古来の仏陀の教えを拡大し新しい解釈を加えた教派で、自分ひとりの悟りのためではなく、多くの人々を理想世界である彼岸に運ぶ大きなすぐれた乗物という意味で、みずからの立場を大乗仏教と呼んだ。(中略)大乗仏教と(引用者註 それ以前の)部派仏教では、仏陀の本質のとらえ方と、仏教徒として目指す理想が異なる。部派は古来より釈迦すなわち仏陀を真実の師とするのに対し、大乗は仏陀を俗界を解脱した存在であるとして、釈迦はその超絶した天上の存在が地上に現れた仮の姿であると解釈する。大乗からみれば、部派の目指す羅漢は限られた己の目標にすぎず、すべての仏教徒が目指すべき理想は、菩薩すなわち己の悟りを開くのをおいても利他のために奉仕する姿である。
(一部省略して引用 Copyright 2001-2015 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.)

この部派仏教(既に述べたように、大乗仏教ではこれを蔑視して「小乗」仏教と呼んだ)が大乗仏教に「発展」した過程を、実に辛辣に分かりやすく表現したのが、日本の歴史文学の第一人者、司馬遼太郎(1923~1996年)である。

司馬は、もともと個人の解脱を求め羅漢になることを目指した部派仏教は、「百万人に一人の天才」向けのものだと批判した上で、次のように述べた。

解脱はすばらしい。しかしただの人間にそれを望むべくもないとあれば、いっそ解脱した人を拝むことにすればどうか、ということが大乗仏教の出発だった。釈迦にとっていい面の皮だったろう。かれは死後〝神〟として拝まれるなど、思いもよらなかった。(中略)

本来の仏教は解脱が目的であって、救済の思想はなかった。(中略)

劇的なことに、大乗仏教が出るにおよんで、救済が入ったのである。
(『この国のかたち 二』(文藝春秋社刊)

このエッセイのタイトルは「華厳(けごん)」だが、それは大乗仏教の根本経典の1つである「華厳経」と日本人の関わりをテーマにしているからだ。

華厳経は、悟りを開いた仏陀を「毘盧遮那仏」(バイローチャナ Vairocana 原義は「光り輝く」)の姿だとし、全世界の根源は毘盧遮那仏を含む相関関係にある、と説く。つまり、毘盧遮那仏は「空(くう)」そのものであり、仏陀への道である「利他」すなわち菩薩行(ぼさつぎょう)の象徴でもある。

この思想に感動した聖武(しょうむ)天皇(701~756年/在位724~749年)は、国内の人心を鎮め、天皇家の安泰を願うため、世界的にも極めてユニークな鋳造による金銅製の大仏造立を発願した。これが現在も日本の奈良市にある東大寺大仏殿の本尊、盧遮那仏、通称「奈良の大仏」である。座像で像高は約15メートル、749年に完成し、752年に大仏開眼供養会が行われた。当時、東アジアの最先進国中国でも、鋳造による金銅製巨大仏は極めて珍しい。

大乗仏教の出現によって、このように仏像が造られるようになった。部派仏教の時代の釈迦はゴータマ・シッダッタという歴史的に実在した人物であって、彼を慕う人々にとっては「誇るべき先輩」あるいは「恩師」であった。

それ故、その遺骨(舎利)を納めたストゥーパ(塔)が信仰の象徴であり、他に「ここに釈迦が立っていると考えよ」と足跡だけを台座に刻んだ仏足石(ぶっそくせき 写真参照)や教えの象徴としての法輪だけであった。

大菩提寺にある仏足石(インドのブッダ・ガヤ)
古代ギリシア文化と仏教文化が合体したガンダーラ地方

古代インドでアショカ王と並び称される仏教の庇護者がいる。紀元前後に西北インドを統一したクシャン朝(Kushan)のカニシカ王(Kaniṣka/生没年不詳/在位2世紀頃)である。クシャン朝インドの支配は、ギリシア文化との交流が深かったガンダーラ(Gandhāra)地方(現在のアフガニスタン東部からパキスタン北西部)に及んだ。

ガンダーラ地方にはかつてメナンドロス(Menandros Milindaとも/生没年不詳/在位BC155~130年頃)というギリシア系の王が君臨していたが、そのメナンドロスの質問に、部派仏教の聖者ナーガセーナ(Nāgasena)が、「空」とは何か、「縁起」とは何かを分かりやすく説いたのが、『ミリンダ王の問い』(ミリンダパンハー Milinda Pañha)というお経つまり仏典である。だが、これは仏典というより、まるでプラトンの『対話篇』を想わせるという評があり、私もまったく同感だ。一部、内容を紹介しよう。

『大王よ、たとえば搾出された牛乳がしばらくすると酪に転じ、酪から生酥(しょうそ)に転じ、生酥から醍醐に転ずるでありましょうが、大王よ、もしも「牛乳とは酪と同一であり、生酥と同一であり、醍醐と同一である」とかくのごとく語る人があるならば、大王よ、その人は、はたして正しいことを語っているのでしょうか?』

『尊者よ、そうではありません。それに依存して、〈他のものが〉生じたのです』

『大王よ、事象の連続はそれと同様に継続するのです。生ずるものと滅びるものとは別のものではあるが、〈一方が他方よりも〉前のものではないかのごとく、また後のものでもないかのごとくに〈いわば同時のものとして〉継続しているのです。こういうわけで、それは同ならず異ならざるものとして最後の意識に摂せられるに至るのです』

『もっともです、尊者ナーガセーナよ』
(『ミリンダ王の問い(1)インドとギリシアの対決』中村元・早島鏡正訳/平凡社刊 ※引用者註 酪、酥、醍醐は牛乳から精製されるコンデンスミルク、チーズなどを指す)

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