『逆説の世界史』井沢元彦

第128回

2017.11.15

第五章|多神教文明の興亡Ⅱ

第1話 インダス文明の盛衰

13日本型資本主義を誕生させた「正三教」とは?

正三とはいったい何者か? 一般に僧侶は出家して俗姓は捨てるので、栄西、道元のように呼ぶのが通常だが、彼は仏教思想家ではあるが、俗人として著作活動した期間と正式に僧侶として活動した期間の両方があるので、俗姓の鈴木をつけて「鈴木正三」と呼ぶのが一般的である。

1579(天正7)年、三河国(愛知県)で三河武士の家に生まれた正三は、長じて徳川家康(1542~1616年/将軍在職1603~1605年)に仕えた。武士としては優秀で、関ケ原の戦いや大坂の陣にも出陣し武功をたてた。ところが、世の中に平和が訪れた1620(元和6)年、42歳(数え年)になって突然、出家してしまった。

諸国行脚の旅に出て、とりわけ1637(寛永14)年に起こった島原の乱の後、現地に赴いてキリシタン廃絶のための宗教活動を展開した。1655(明暦元)年、正三は当時としては長寿の77歳で死ぬが、生涯にわたり分かりやすい仮名書きで民衆教化の著作を著し、独自の教えを説いた。

主著は『万民徳用』だが、日本を代表する仏教学者中村元(1912~99年)は、「かれは従来の仏教の隠遁的な傾向に反対し、あらゆる職業が仏のはたらきを具現しているものであると主張した。世俗的な職業生活に努力することのうちに仏道修行が実現されるといい、『何の事業も、皆仏行なり。人々の所作の上において成仏したまうべし』と教えた」(『国史大辞典』「鈴木正三」)。また中村によれば、「職業倫理のうちに仏教の中核がある」という思想を日本で最初に説いたのも正三であるという。

西洋社会における資本主義を生み出したのはカルヴィニズムである、とマックス・ウェーバーは言った。これに対して、私と同じ日本の在野の歴史研究家山本七平(1921~91年)は、鈴木正三こそ日本の資本主義精神の生みの親であると主張した。

その主張は山本の主著『【新装版】山本七平の日本資本主義の精神』(ビジネス社刊)で展開されているが、ここではその著書から山本が引用した正三の言葉とその分析を紹介する。

まず基本知識として、正三の時代は、もともと中国の哲学である朱子学が武士の基本教養として採用された時代であった。長く続いた戦乱の戦国時代、その時代は裏切りや闇討ちなど背徳行為が当たり前であったが、その時代を収束させた覇者徳川家康は、平和な時代に向けてモラルを確立するために朱子学を導入したのである。

しかし、朱子学はシリーズ第1巻『古代エジプトと中華帝国の興廃』でも述べた通り、人間を士農工商という4つの身分に分けるという厳格な制度を規定している。なぜそうするかといえば、近代以前の中国においては、朱子学を身につけた人間こそ、民衆を導くエリートであると考えられていたからだ。具体的には、学者だけでなく、朱子学を受験科目とする国家公務員採用試験(科挙)に合格した官僚もこれに含まれる。つまり皇帝は、個人を修める哲学でもあり政治学でもある朱子学を、いかに身につけているかで人間を区別したわけだ。

そして日本も平和になるに従って朱子学が定着し、支配階級である武士は「士」であるから(中国人は「士」ではなく「兵」ではないかと笑ったが)、それ以外の「農工商」つまり農民、職人、商人よりも身分が高く、その行ないも尊いとするのが、江戸時代の常識となりつつあった。

「経営の神様」松下幸之助の「水道哲学」

しかし、正三はそんなエリート意識、「農工商」に対する差別意識とはまったく無縁の人間だった。

ある時、一人の農民が正三に尋ねた。

「自分は農業が忙しく暇がない。このような賤しい業をせずして来世のことを考えたいのだが、残念なことである。どうしたら救いを得ることができるでしょうか」

正三の答えは簡単であった。「農業則仏行なり」である。寒さや暑さにさえ苦労して鋤、鍬、鎌などを用いて農作業する時には、煩悩の草むらや欲心を刈り取ればよい。そういう心持ちで農作業に励むがよい。むしろ心に隙ができた時は煩悩が増す。農作業に集中している時は余分なことは考えない。これが仏道修行であり、農民だからといって僧侶のような修行を求める必要はまったくない。

また、こうも言っている。

「農民として生まれたことは、その役目を果たすことを天より授かった運命だと思うべきである(正三はこうした天命を受けた人間を「役人」と呼んでいる。通常の意味とは違い、この場合は農民を指す)。職業一筋に自分のためだけを考えずに一心に農業をすれば、『役人』は多くの食料を産出して万民の命を助けることになる」と。

職人がやって来て農民と同じ悩みを打ち明けた。仕事が忙しくてとうてい仏教を修行することはできない、という悩みである。

正三の答えも同じだった。どんな仕事でもそれは仏行である。それに励むことによって成仏をすることができる。もし職人がこの世にいなければ人々はいろいろな道具が使えなくて困るだろう。(政治を担当する)武士なくしては世の中が治まらず、農民なくして食料調達することはできない。そして商人がいなければ、世界の自由もない(原文 商人なくして世界の自由、成べからず)。

あらゆる職業は世のためと人のためになっている。これこそ仏の本来のお考えであり、人間は本来持っている仏性(仏になり得る性質)を己の仕事に励むことによって発揮することができる。

「商人が自由の源」という考えについて、山本七平は次のように述べている。

われわれは、自由という言葉をさまざまに使うが、少なくともその基本的な「不自由でない」という状態は、流通によって支えられていることに、案外気づかない。一切の流通がとまれば、人はあらゆる面で拘束をうける。現代なら、石油の流通がとまり食糧の流通がとまったら、日本人の全員が動くに動けない状態となり、「自由」を論ずる自由さえ失ってしまうであろう。

そして、この流通の基本をなすのが「売買の作業」であり、これを担当するものはまさに「国中の自由をなさしむ」べく、天道から命じられた役人なのである。
(引用前掲書)

ただ武士と商人の決定的な違いは、武士はいくら剣の道に励んでも利益や利潤を生みださないが、商人はそれらを生み出してしまうということである。そうしたことに悩んだ商人もいた。

ある時、正三のもとにやって来た商人は、商売をやっているとついつい利益を得ることばかりに集中してしまう。これでは仏道修行などできない。これはどうすべきかと問うた。この問いに対する正三の答えは、「利益を否定する必要はない」であった。世界を行脚し、そのひたすらに国家や国民のためを思い、自国のものを他国に移し、他国のものを自分の国に持ち持ち込み、そのために遠い国に行くのも修行である。山々を越え、心身を鍛え、大河を越えて心を清め、海を渡る時は邪念を捨ててひたすらに仏を念じ、一生はただ浮世の旅だと悟り、一切の執着を離れ、欲も捨てれば道が開ける。そのように私欲ではなく社会奉仕の心で商業に励み、結果として利潤が得られた場合は、それは決して否定すべきものではないというのが、正三の教えであった。

そして山本はここで、現代のある日本の経営者の理念を紹介する。それは自分の経営は利益を求めない。では何を目指すかといえば、水道の水のように商品を供給することだ。道端に水道の蛇口があり、行きずりの人がそれを捻って存分に水を飲んだとしても、多くの人はそれを盗みだといって咎めない。それはなぜか。水が豊富にありコストがタダ同然だからだ。

つまり生産者の使命は、社会が求めている商品を安価な水道の水のごとく提供することであり利益を求めることではない、というのだ。

山本はこの経営者の名前を挙げていないが、この理念のことは多くの日本人が常識として知っている。パナソニックの創始者松下幸之助(1894~1989年)の「水道哲学」である。松下は日本では一時「経営の神様」ともてはやされ人気があったが、この水道哲学も元をただせば「正三の哲学」いや「正三教」である。だから鈴木正三は「日本資本主義の精神」の生みの親であるというのが山本の結論である。

故・松下幸之助 時事通信フォト
  • 1
  • 2
トップページへ