『逆説の世界史』井沢元彦

第130回

2018.10.01

第五章|多神教文明の興亡Ⅱ

第1話 インダス文明の盛衰

15仏教はなぜ発祥の地インドで衰退したのか?

商売は人間の屑のやることだと、かつて人類の多くは考えていた。近代以前の中国ではそうした偏見が最も強かった。同じ人民でも、農民や職人は「ものを作る」ということで社会に貢献しているが、商人は人が汗水たらして作ったものを右から左に動かして利ザヤを稼ぐ横着な連中だ、という偏見である。この偏見が宗教的信念として固定化されたのが、後に国教とも言うべき地位に昇った儒教であり朱子学だ。

だから中国は、15〜16世紀にはスペイン、ポルトガル、18世紀にはイギリスが実行した貿易拡大による海外発展、つまり海洋帝国としての大発展の道を、近代に至るまで一度も選択しなかった。大艦隊をつくる能力はあった。しかし、そんな貿易つまり海外との商売などという反道徳的行為を、神聖なる国家が推進するのは許されないという感覚である。

中国ほどではないが、キリスト教世界やイスラム教世界でも、そうした感覚はあった。砂漠の真ん中で隊商(キャラバン)が他の隊商に出会えば、まず確かめるのは相手の武装であった。容易に勝てる相手なら対等な取引をする必要はない。相手を殺して女子供は奴隷にし、商品を奪ってしまえばいいからだ。海の上もまったく同じことだ。警察などいないから、やりたい放題のことができる。

だから商取引というのは、ちょうどギャング団の麻薬の売買のように、カネと品物は同時に交換するものである。そうしないと危険だからである。

では、都市の中、場合によっては警察も駆けつけてくる明るい太陽の下の市場(バザール)なら、そんな心配はないかといえば、やはりカネを先に出すのは危険だ。カネを受け取った人間が店の奥に消えてしまい、店の人間がそんな人は知らないと言えば、それまでの話だからである。

ユダヤジョークにこんなのがある。

古代ローマ帝国の時代、自分は極めて頭がいいと思っているローマ人がユダヤ人の召使いに「バカ者のリスト」を作れと命じた。召使いは当時ローマ世界で有名だった人間を次々に書き連ねたリストを持って来たので、主人のローマ人は喜んでいたが、最後に顔をしかめた。そこには自分の名前が載っていたからである。召使いに文句を言うと、彼はこう答えた。「私もこの間まで御主人様は賢者だと思っていました。ところが御主人様はエジプトの商人に品物を送ってくれるようカネを先渡しいたしました。私はあの商人が品物など送ってこないと思います。もし送ってきたら、御主人様の名前を外してエジプトの商人の名前を入れましょう」

ユダヤジョークだからイスラム教徒の多いエジプト人が悪役になっているが、とにかくこれが人類の商売あるいは商人に対する常識だった。商人は「騙す」もので、信用できないということである。

だから、「値切る」ということも常識だった。商人というのは詐欺師も同然だから、商人が提示する商品の値段というのは「掛け値」である。つまり「商人が最初提示した価格は正当な利益を大幅に超えた不当な利益を含むものであるから、値切ることが消費者の正当な権利を守るためにも必要だ」というのが人類の常識だった。現代社会でも「商品価格というのは値切るものだ」という常識は、欧米にも、中国にも、イスラム教世界にも当然のように存在している。

実はその常識を否定した文化があった。

17世紀の日本に三井高利(1622〜1694年)という商人がいた。当時、「江戸」と呼ばれた首都(後に「東京」と改称される)で「越後屋」の屋号で呉服店を開業した。「現金(取引)掛け値なし」の新商法を始めたのである。消費者による値切り交渉は一切認めないし、顧客であってもツケ払いも認めない。そのため、商品である着物類には「適正な価格」を記した紙製のタグをつけた。これを「正札」という。

それがなぜ適正な価格だと言えるのか、と疑問を感じる読者もいるかもしれない。確かにこれは商人側の一方的な提示である。しかし、越後屋のこの商法は、江戸の消費者に熱狂的に受け入れられ、店は大発展した。越後屋の商品が適正な価格であるということを消費者も認めたということだ。越後屋は価格に見合うような商品を、消費者に提供していたということである。もし、消費者が「騙された」、別の言葉で言えば「品質の割には高すぎる」と感じたなら、他に「値切れる」ライバル業者が多数存在する中で、越後屋だけが繁盛するはずがないからである。後に両替商も営業するようになった三井家は、近代になって日本有数の百貨店三越(三井の越後屋の略)を創設し、あるいは現在の三井住友銀行(SMBC)の源流である三井銀行を興すまでになった。

日本という国は、古代から発展してきた京都と大阪を中心とした西の地区と、17世紀以降に発展した東京を中心とした東の地区の2つに大きく分かれるのだが、越後屋で正札商法が始められてから東を中心とした地区ではこれが当たり前となり、日本全国に広がった。古代からの意識を残している西の地区では、まだ「値切る文化」が残っているが、首都が京都から東京に移転したこともあり、現在はこの「正札文化」が日本人の基本的姿勢になっている。

当連載の愛読者には、なぜ日本にこのような「正札文化」が世界に先駆けて発達したか理解できるだろう。商売は決して「詐欺」ではなく「仏行」だからである。そこには倫理がなければならない。適正な利潤は、生きていくために上乗せしなければならないが、決して暴利を貪ってはならない。まさに値段に見合うような高い品質の優良な商品を消費者に提供することが、商人の使命なのである。こうした伝統が先に紹介したパナソニックの創業者松下幸之助の「水道哲学」にも繋がっている。

もっとも当時、日本の政府であった江戸幕府徳川将軍家は、国家運営のために中国の朱子学を導入していたので、政治を担当した武士は商業や商人を蔑視した。だから、すべてが資本主義化されたわけではない。だが、朱子学以前に日本に導入された仏教の影響により、日本型資本主義が形成され、後の国家近代化つまり明治維新に大きく貢献したことも紛れもない事実なのである。

ナーランダー(インド北東部)の仏教大学の遺跡
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