『逆説の世界史』井沢元彦

第132回

2018.11.1

第五章|多神教文明の興亡Ⅱ

第1話 インダス文明の盛衰

17「強い」一神教に負けなかった「強い」多神教とは?

インドにおいては、紀元前アショカ王の時代に全土に広まった仏教は滅び、その仏教を力ずくで滅ぼした「強い一神教」イスラム教も滅びはしなかったが、インドの伝統的民族宗教であった「弱い多神教」ヒンドゥー教に圧倒された。現在のインド共和国はヒンドゥー教徒が8割を占める。つまり「強い一神教」「弱い多神教」という前提条件が間違っていたと考える他はない。

では、どこをどのように修正すべきなのか。

宗教の問題は他の歴史上の問題と違って、史料を元に実証的に検証することは不可能に近い。あくまで仮説に基づく推論を展開するしかないのだが、まず解明のヒントになるのは、ヒンドゥー教は信仰する複数の神々の中にブッダ(釈迦)つまり仏教の「主神」を取り入れていることだ。現代の多くのインド人にとって、ブッダはヒンドゥー教世界の中の神の一員に過ぎない。

これに対して一神教は、言うまでもなく神を1つしか認めない。だからアラーがイエスを「使徒(人間 引用者註)に過ぎぬ」(『コーラン』「五 食卓」の章第79節 井筒俊彦訳 岩波書店刊)と断言したように、「自分以外は神と称するニセモノである」と主張する。

しかし、多神教はそもそも複数の神の存在を認めているから、他の宗教の神を自分たちの「神々クラブ」に入れることは問題がない。ただし、1つだけ「会員となる条件」がある。それは「自分だけが神だと主張しない」ということである。「神々クラブ」は複数の神が同時並行で存在することを認める団体なのだから、この最低条件は絶対である。

一神教を信じる人々にとっては冒涜的に聞こえるかもしれないが、だからこそアラーやイエス・キリストはこのクラブに入れない。

ブッダは別だ。大乗仏教が典型的だが、仏教は複数のブッダの存在を認めるので「神々クラブ」への入会条件を満たしている。そしてクラブへの加入が認められるということは、そのクラブの基本方針つまり教義に取り込まれる危険性が生じる。

私はこれまで述べたように、「インドにおいて仏教はイスラム教徒に滅ぼされた」としていた。これは世界の多くの歴史学者が認める定説でもあるからだが、今ここに私はこの定説への支持を撤回する。

仏教はインドにおいて滅びたのではない。多神教であるヒンドゥー教に取り込まれたのだ。だから当然「イスラム教徒が滅ぼした」という見解も間違いだということになる。

宗教とは、施設の破壊や信徒の虐殺などの物理的手段によって本当に滅ぼすことができるものだろうか? 初期ローマ帝国でも、例えば皇帝ネロ(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus/37〜68年/在位54〜68年)によって多くのキリスト教徒が虐殺されたが、キリスト教はしぶとく生き残り、後にローマ帝国の国教に指定された。それが宗教というものの強さにして恐ろしさだと思う。

16世紀の日本は、スペイン、ポルトガルの2大海洋帝国がキリスト教を布教することによって中南米等を植民地化したことに脅威を感じ、政府がキリスト教信者は見つけ次第死刑にし、厳しく取り締まった。その結果、17世紀初頭に成立した江戸幕府は日本国内からキリスト教徒を撲滅したと信じ、記念碑まで建てた。しかし、実際には「潜伏キリシタン」と呼ばれる信徒が数多く(明確な数は確定していない)存在し、表向きは仏教徒として振る舞うなどして信仰を守り続けていた。

ここで日本の例を挙げるのは、日本にもヒンドゥー教に勝るとも劣らないほど「強い」多神教である民族宗教があり、それが現在も生きているからだ。それを「神道」と呼ぶ。ここで、その神道が後に入って来た仏教、そしてキリスト教にどのように対応したかを述べよう。それをヒンドゥー教と仏教の関係と比較することによって、それぞれの宗教の特質がより明確に浮かび上がると思うからだ。

神道の概略について説明しておくと、まるでギリシア神話の神々がオリンポス山にいたように、日本の神々は原則として「高天原」と呼ばれる俗世とは離れた聖地にいる。神々は当然複数で、これもギリシア神話の神々のように担当分野を持っている。火を司る神や食物を司る神だが、その中に太陽の女神がいる。これが天照大神という最高神で、女性であることが最大の特徴かもしれない。

この子孫が、現在も「日本国および日本国民統合の象徴」と憲法で定められている天皇家の祖先ということになっている。当然、古代から日本を統治してきた天皇はこの神道の信徒であった。ところが、6世紀に中国を経て朝鮮半島から仏教がもたらされた。当初日本ではこれを宗教として受け入れるかどうか、国粋的な保守派と海外文明を積極的に受け入れるべきだという革新派の戦争に発展し、結局、革新派が勝利を収めた。その結果、天皇家自体も熱心に仏教を信仰するようになった。

8世紀には、当時の世界の最先進国の1つでもあった中国にも存在しない、像高約18メートルの青銅製の鋳造仏(俗に言う「奈良の大仏」)を建立した。これは現代の国家で言えば、何のロケット技術もなかった国がいきなり有人宇宙船を打ち上げるような大プロジェクトである。費用も天文学的だった。しかし、それを天皇が先頭になって建立するほど、日本は仏教に入れあげた。当然、日本と交流のあった中国などアジアの国家は、日本は仏教国に変わった、と見たに違いない。つまり、仏教によって神道は滅ぼされたということだ。

実情はまったく違っていた。仏教は確かにあつく信仰されたが、日本古来の神道も民族宗教としてしぶとく生きつづけた。仏教の陰に隠れてではない。寺院の傍らに神道の神殿である神社が破壊されることもなく運営され、天皇はそれを礼拝していた。それどころか、その後中世の早い時期に、神仏つまり「神道の神と仏教の仏を一体化した言葉」が使われるようになり、日本の神と仏教の仏は根源的に同じものだということになった。

ガンジス河で行なわれるヒンドゥー教の礼拝(インドのウッタル・プラデー州ワラーナシー)
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