2 佐美長神社 伊雑宮所管社 志摩市磯部町恵利原

 神々の物語には、稲作にかかわるものが多くあります。
 日本人が生きていく上で、いかに稲作が大切で重要であったか、その感謝の念が昇華され、神々の物語として伝わっているのです。伊勢神宮の一年で最も重要な祭典、神嘗祭かんなめさいは、その年の新穀を神前に捧げ、収穫を感謝するもの。それは、ご祭神の天照大神あまてらすおおみかみが天上界で育てた稲穂を授けて下さったという神話が根拠となっています。伊勢神宮では神話を祭典として今に伝えているのです。
 そして、二十年に一度の式年遷宮しきねんせんぐうも、「大神嘗祭」と呼ばれるのです。二十年という式年には、新穀だけでなく神の社殿まで新しく建て替えて、大がかりな神嘗祭を行うからで、古くは神嘗祭の日に遷宮が行われていました。今は、社殿の造替ぞうたいがクローズアップされていますが、その根底にある稲作への感謝を忘れてはならないと思います。
 稲作は日本人に大きな恵みをもたらしました。なぜなら一粒の種もみから、品種によっては千粒以上の米を稔らせることができるのです。そして連作障害もありません。米は限られた土地で多くの人を養うことができる食糧なのです。
 『倭姫命世記やまとひめのみことせいき』には、内宮ないくう創建ののち、倭姫命が天照大神に供える御贄地みにえちを定めるため、志摩国(三重県志摩市)を巡る旅が書かれています。そこに真名鶴まなづる伝承があります。
 「鳥の鳴く声高く聞こえて、昼も夜も止まずしてかまびすし」。鳥の鳴き声が昼も夜も聞こえるので、倭姫命が使いをやると、千の穂が実る稲を白い真名鶴がくわえ鳴いていたというのです。
 その真名鶴がじつは穀物神の大歳神おおとしのかみで、志摩市磯部町いそべちょう佐美長さみなが神社にまつられたといいます。佐美長神社が大歳社、穂落社ほおとしやしろとも呼ばれたのも、志摩国の稲作の始まりを物語っているのでしょう。
 伊勢神宮内宮から志摩国へは、伊勢道路で島路山しまじやまを越えると意外に近いものです。車で二十分足らずですが、地層が異なるせいか、海が近いためか、伊勢とは異なる空気を感じます。途中の山には、倭姫命と猿田彦神さるたひこのかみが出会ったという猿田彦の森や、天照大神が隠れたと伝わる「あま岩戸いわと」と呼ばれる水穴など神話ゆかりの地があります。天の岩戸はかつて「瀧祭窟たきまつりのいわや」と崇められ、そこから流れ出る石清水は名水百選にもなっています。また周辺には、鍾乳洞の風穴ふうけつや、音声をよく反響させる大岩壁の「おうむ岩」など、特有の地質が生みだした旧跡があり、どこか原初的な匂いが漂うところでもあるのです。
 島路山を下ると、別宮の伊雑宮いざわのみやの森が望めます。伊雑宮は、瀧原宮たきはらのみやとともに遙宮とおのみや≠ニ呼ばれ、天照大神がご祭神です。ここは和御魂にぎみたま荒御魂あらみたまは一つの宮に一緒にまつられています。倭姫命が志摩国を巡る際、土地の伊佐波登美命 いざわとみのみことが迎え、この地に天照大神をまつる宮を創建したと伝わります。志摩というと漁業のイメージが強いですが、伊雑宮の周辺は志摩地域で最大の沖積低地が広がり、田園地帯となっているのです。ことに毎年六月二十四日に行われる御田植おたうえ式は、日本三大御田植祭として知られます。このあたりは古代、町名と同じ磯部氏が住んでいました。磯部氏は、海部あまべ氏らとともに海洋民の一集団でありましたが、半農半漁の生活スタイルをとったことが、今もこのあたりで農業が盛んなことに繋がるのかもしれません。
 伊雑宮が所管する佐美長神社は、伊雑宮から南へ約八百メートルの地にあります。平成二十六年十一月、別宮の伊雑宮の式年遷宮が行われましたが、その後すぐに、神職が佐美長神社の遷座祭を執り行うために向かったと耳にしました。伊雑宮が管轄する神社のために、引き続き祭典が行われたのです。
 国道に面した鳥居から三十六段の石段を昇ると、思いがけず広い神域があります。そこに佐美長神社が東に面して建ちます。神宮百二十五社は南面が多いのですが、ここは東に広がる海に向いているのです。じつは万葉の恋歌にも、伊勢の海に鳴く鶴が詠まれていました。
 伊勢の海ゆ 鳴き来るたづの 音どろも 君が聞こさば 我恋ひめやも
『万葉集』巻十一、二八〇五
 (伊勢の海から鳴いてくる鶴のように 遠音とおねだけでもあなたが聞かせてくれるなら私は恋いこがれるものですか)
 古地図には神社の北側の谷筋は「ゴンガ谷」と記されています。古代の郡の役所、郡衙ぐんがが転化した地名と思われ、かつてはこの役所に志摩地域から米をはじめ、海産物が納められたと考えられます。
 佐美長神社の神域には、四つの小さな祠が横一列に並んでいます。すでに八〇四年の文献に記された佐美長御前みまえ神社四社です。ご祭神は御前神とあり、特に神名は記されていませんが、千年以上を経た今もこうして神宮百二十五社として大切にまつられているのです。知るすべはないのかもしれませんが、そこにもきっと古の物語があるのだろうと、鶴の遠音が聞こえたという遥かな空に思いを馳せました。