3 倭姫宮 別宮 伊勢市楠部町

 神さまや身分の高い人が苦難の旅をする物語が各地に伝わります。
 天照大神あまてらすおおみかみの弟神、素戔嗚尊すさのおのみこと高天原たかまがはらの追放、日本武尊やまとたけるのみことの東国征伐、そして昔ばなしのかぐや姫も月から地上へ降りてきた……、こうした物語は「貴種流離譚きしゅりゅうりたん」と呼ばれます。
 伊勢神宮も、倭姫命やまとひめのみことという古代の天皇の娘(皇女)が、大和から各地を巡り、ようやく伊勢の五十鈴の川上にたどりついたことに始まります。
 この旅は、倭姫命巡幸じゅんこうと呼ばれ、貴種流離譚の一つとして古代ファンの興味を集めてきました。
 『日本書紀』にはその経緯がつづられています。ときは神武天皇から数えて十代の崇神すじん天皇の世、疫病が国中に流行り、民の半数以上が死んでしまうという非常事態が起こりました。ことを憂いた天皇は神々に祈り、天照大神と日本大国魂神やまとおおくにたまのかみを宮殿の内におまつりしました(同床共殿どうしょうきょうでん)。
 今ならワクチンを接種するなど医療行為が最優先されるところですが、古代にあってはひたすら神に祈りを捧げるしかなかったのでしょう。その苦悩は計り知れませんが、この崇神天皇の王宮と目されるのが奈良県桜井市の纏向まきむく遺跡です。そこから伊勢神宮の唯一神明造ゆいいつしんめいづくりとよく似た棟持柱むなもちばしらをもつ掘立柱ほったてばしら式の建物跡が発掘され、王宮内で天照大神をまつった建物ではないか、と近年話題にもなりました。
 しかし、神の勢いを畏れた崇神天皇はともに住むのを不安に覚え、天照大神を皇女の豊鋤入姫命とよすきいりひめのみことに託し、大和の笠縫邑かさぬいのむらにまつりました。父帝が娘に、天照大神をまつらせるという役目を命じ、王宮から、現在の桜井市の檜原ひばら神社のあたりに天照大神をうつすのです。
 次の垂仁天皇の代、さらなる変化がありました。先帝の崇神天皇にならい、神々を敬い、おまつりすることを怠ってはならないと、垂仁すいにん天皇は天照大神を豊鋤入姫命から離して、若い倭姫命に託すのでした。
 古代日本は、実は女性の自立性が高い社会であったとされます。それは、女性には呪術性を帯びた霊力があるとされたためで、神まつりを行う役目を担ったり、敬意がはらわれたりしました。これを、民俗学者の柳田国男は「いもの力」と呼びました。「妹」というのは実質的な妹というだけでなく、同族の女性や配偶者などを指し、そうした女性の霊力が男性により実質的な権力を分かち与えたのでした。
 豊鋤入姫命、倭姫命。二人の皇女は、まさに父帝を助ける「妹の力」を発揮し、祭祀を担ったわけです。  倭姫命は天照大神が鎮座するのにふさわしい聖地を探します。大和の笠縫邑(奈良県桜井市)から、宇陀の 篠幡さきはた(奈良県宇陀郡)、さらに引き返して近江おうみ国(滋賀県)に入り、美濃みの(岐阜県)をめぐって伊勢国(三重県)にたどり着きます。『日本書紀』はさらりと記しますが、現在の奈良県から滋賀県、岐阜県を経て、伊勢へ至る旅というのは長く、厳しい道のりであったに違いありません。けれど、倭姫命は旅先での困難や試練にも逃げることなく立ち向かい、自分に命ぜられた務めを全うしようとしたのでしょう。ときには風光明媚な景色や土地の産物に女性ならではの好奇心で、瞳を輝かせたように思います。巡幸先では、倭姫命が名付けた地名が少なくありません。
 そして伊勢の五十鈴の川上で、ついに神の声を聴くのです。
 「この神風の伊勢の国は、常世とこよの浪の重浪しきなみ寄する国なり、傍国かたくにのうまし国なり。この国に居らむとおもふ」
 伊勢の国は、常世という理想郷からの浪が打ち寄せる、豊かな地であるから、そこに鎮まりたいと。天照大神のお言葉のままに、倭姫命は伊勢の地に大神をまつりました。それが伊勢神宮内宮です。
 倭姫命はその後、再び神話に登場します。景行けいこう天皇の代、東国征伐に赴く甥の日本武尊に天叢雲剣あめのむらくものつるぎを授けたのです。よく知られた場面ですが、ともに「ヤマト」という名の男女が重い任務を担い、各地を巡ったのです。日本武尊は東国征伐後、故郷大和を惜しみながら亡くなり、その陵墓は三重県北部の亀山にあります。一方、倭姫命の陵墓は伊勢に築かれました。伊勢では天照大神を導いてくれた大恩人として、「倭姫さん」と親しみを込めて呼び、大正十二年にはこの皇女を祭神とする別宮、倭姫宮が創建されています。百二十五社のうち最も新しい宮が、倭姫宮になるのです。
 平成二十五年の内宮の式年遷宮がすんだ十一月五日、倭姫宮へお参りに行きました。この日は倭姫宮御杖代講みつえしろこうによる秋の例祭が毎年行われます。祭典が終わった頃に行くと、知り合いの女性に会いました。内宮の遷宮が無事に行われたので、天照大神を伊勢へ導いてくれたことに改めて感謝したといいます。私も同じ気持ちでした。物事には必ず「始まり」があります。それを忘れずに大切にすることを、大正時代に伊勢神宮や伊勢の人々の熱意によって創建された倭姫宮は私たちに教えてくれます。倭姫宮は、「始まり」を大切にする想いの結晶なのです。
 伊勢の倉田山くらたやまの丘陵地に建つ倭姫宮は、ほかの宮に比べて明るい森です。お参りすると、ふっと力みが抜け、軽やかな気持ちになります。きっと倭姫命も、そんな人々を明るくさせる女性だったのではないでしょうか。参道に注ぐこもれ日がきらきらと輝いていました。