6 子安神社 所管社 内宮の神域

 神さまも恋をして、結婚し、そして子をなすようです。
 『古事記』を読んでいると、男女の神々はじつに大らかに行動し、それが時にはあまりに激しいことに、現代の私たちはとまどうことすらあります。古代という時代はもっと大胆に生きていたのでしょうか。
 神話には、さまざまな女神が登場します。
 その中でも、美しく、慎みがありながら、芯は強い、そんな女神がいらっしゃいます。
 天照大神あまてらすおおみかみは孫の瓊瓊杵尊ににぎのみことに、天上界から地上界へと天降あまくだりするよう命じます。御子神みこがみもいらしたけれど、生まれたばかりの瓊瓊杵尊が選ばれ、多くの神々を伴い、九州の日向ひゅうが国(宮崎県)の高千穂に降りられました。
 そして、瓊瓊杵尊は、笠沙かささ御崎みさきで、美しい乙女と出会います。
 「誰か女ぞ」。だれの娘か、尊は乙女に尋ねました。
 「大山祗神おおやまつみのかみの女、名は木花開耶姫このはなさくやひめ」と返事がありました。古代では、女性が名乗れば求婚に応じたことになるのです。尊はすぐに結婚を申し込みましたが、乙女は父親の大山祗神の許しがほしいと告げます。
 瓊瓊杵尊が使者を立て、結婚の申し出をすると、父親の大山祗神はたいそう喜んで、姉の磐長姫いわながひめと、多くの献上品を添えて娘を嫁がせました。ところが、姉の磐長姫は容姿が醜かったので、瓊瓊杵尊は姉を親元に帰し、妹の木花開耶姫とだけ結婚してしまうのです。
 これを知った大山祗神は、深く恥じ入って、「娘を二人、あまつ神の瓊瓊杵尊のもとへ嫁がせたのは、磐長姫は、尊の命が岩のように永遠に変わらず揺るぎないことを、木花開耶姫は、木の花が咲き栄えるように繁栄あることを祈ってのこと。このように磐長姫を帰されると、尊の命は、木の花のようにはかなくなることでしょう」と告げました。
 以来、天皇の寿命は長久ではなくなったといいます。
 神話は、天照大神の孫という高貴な瓊瓊杵尊を通して、外見だけで女性は判断するなという警告を発しているのでしょうか。男性心理を鋭くつきます。
 また、山を司る大山祗神の二人の娘、磐長姫と木花開耶姫を通して、女性はさまざまな能力があることを表してもいます。山は盤石な岩が土台をなしているし、美しく咲く花々があればこそ実がなり、豊かさをもたらします。大山祗神は、二人の娘たちのそれぞれの能力でもって、大切な夫を支えることを望んだのです。
 そして、瓊瓊杵尊に見初められた木花開耶姫は、一夜の契りを交わし、子を身ごもります。本来ならば幸せの絶頂にあるはずなのですが、夫の瓊瓊杵尊は、一夜の契りで妊娠したのはおかしい、ほかのくにつ神の子ではないかと疑うのです。それを聞いた木花開耶姫の態度は立派でした。
 「私の身ごもっている子がもしも、国つ神の子ならば無事に産まれないでしょう。もしも天つ神である貴方様の御子ならば無事に産まれるでしょう」と告げて、ただちに戸口のない大きな産屋うぶやを建てると、中に入り、土で入口をふさいでしまいます。そして、出産のときを迎えると、産屋に火を放ち、三人の御子を見事に産むのです。
 木花開耶姫は美しいだけではなく、気高さをもち、そして実行力もある女神なのです。
 このことから木花開耶姫は、安産の神と信仰されるようになります。
 また、富士山の浅間せんげん神社のご祭神としてもまつられているのは、燃え盛る産屋で子どもを産んだということで、火山をイメージしたからでしょう。
 内宮の子安神社は、宇治橋を渡り、参道をそれてまっ直ぐに進むと、神宮司庁じんぐうしちょう へ向かう途中の木立の中にあります。鳥居をくぐると、小さな 手水舎てみずしゃ が設けられ、二つの社殿があらわれます。手前が木花開耶姫をまつる子安神社。ほかの百二十五社と異なるのは、小さな鳥居がたくさん奉納されていることです。鳥居には参拝者の願いが書き込まれています。以前は 御垣みかきの回りにずらりと置かれていましたが、今では数が増えたため、奉納する棚が設けられました。鳥居はそれぞれが持参してくるものです。
 以前、取材中にこの前を歩いていたら、男性スタッフの一人がちょっと待ってと、子安神社へお参りに行ったことがありました。それほど信心深い人には思っていなかったのですが、子どもの安全を祈ることは別なのだとしみじみ感じました。
 また、江戸時代前期の古地図には、この子安神社へ至る道に、おびただしい数の鳥居が並び立っている様子が描かれています。お稲荷さんでよく見かけるように、大小こそ異なるものの、鳥居を奉納するのは今も昔も変わらない風習なのです。
 子安神社の隣には、父の大山祗神をまつる大山祇神社があります。ここは神話さながらに父と娘がまつられています。この神社の前を神職が通ると、必ず足を止め、きちんと拝礼をされます。それをいつも尊いことだと拝見しています。