7 御塩殿神社 所管社 伊勢市二見町

 こおろ、こおろ。
 形をさず、混沌こんとんとした世界を、男女の神さまは「あめ沼矛ぬぼこ」という飾りのついた立派な矛でかき回しました。矛を引き上げると、矛先から塩が滴り落ち、固まって島ができた…『古事記』、『日本書紀』の二つの神話は、国土の誕生を同じく語ります。
 四方を海に囲まれた日本は、人が生きていく上で欠かせない塩を、海水から採ってきました。その塩作りの過程を、国土の成り立ちにしているのです。「こおろ、こおろ」は製塩の過程の擬声語であり、日本の国を固めていく音なのです。
 私も濃い海水をひたすら煮詰める塩作りを体験したことがあります。透明な液体が数時間経つと急にドロドロとしたペースト状になり、さらにかき回していると白い塩の結晶がぽつぽつと現れました。その瞬間は感動すらしました。海水から塩を採ることは、古代の人々にとって命をつないでいくことでもありました。
 伊勢神宮では人の手によって作られた塩を、供えています。
 鎌倉時代に記された『倭姫命世記やまとひめのみことせいき』によれば、倭姫命の巡幸じゅんこうの際に、二見ふたみの土地の神、佐見都日女命さみつひめのみことが塩を献上してから、伊勢神宮の神々に供える御塩みしおは二見のものに定められたといいます。佐見都日女命は堅田かただ神社(伊勢市二見町)のご祭神としてまつられています。
 伊勢神宮の塩作りは御塩浜みしおはまと呼ばれる入浜式いりはましき塩田で行われます。内宮ないくう神域を流れ下る五十鈴いすず 川河口、伊勢市二見町西に広がる六六〇九平方メートルの砂地。毎年七月には伊勢湾の海水が入り混じった五十鈴川の潮水を塩田に引き入れ、たっぷりと潮水を含ませた砂を真夏の太陽光と乾いた風で乾燥させます。炎天下であれば一日の作業で、塩分濃度三%のものが一五〜二〇%にもなった潮水「かん水」が採れるのです。奉仕員が裸足で塩田に入り、 浜鍬はまくわ で表面に砂を均等にいては、乾かし、また撒くという作業を一日に何度も行ないます。なかでも長年作業に携わってきた長老は、作業の合い間に空の具合をじっと見つめています。少しでも雨が降りそうなら、作業を早めたり、シートを被せたりしなくてはならず、その按配を見ているのです。塩作りは、人々の経験と天候に左右されていました。
 作業の最後には、塩の結晶がついた砂を御塩浜に作った穴に集め、そこで「かん水」を採取します。その穴は沼井ぬいと呼ばれます。天の沼矛といい、塩作りに「沼」の字が使われるのは、粘り気のある濃厚な潮水の状態を表現しているのでしょうか。
 採取した「かん水」は、木樽に詰め、一キロメートルあまり離れた同町荘の御塩殿神社内の御塩汲入所くみいれしょへ運び込みます。そして八月初旬、その隣に建つ御塩焼所やきしょで一昼夜、潮水を鉄の平釜で煮詰め、荒塩あらしおができるのです。
 御塩殿神社の鳥居をくぐり、参道を行くと正面に見えるのが御塩殿。御塩殿神社はその隣に建つ小さな社です。
 御塩焼所と御塩汲入所は、御塩殿の裏手、二見浦ふたみうらに面した松林の中に建ちます。萱葺かやぶき屋根をそのまま地面に伏せたような形をした二つの建物は、素朴で簡素。八月初旬には、戸を開け放ち、大きな平釜に薪で火を入れます。もうもうと湯気が上がる中での夏の作業は厳しく、地元の奉仕員が白衣姿で行います。
 鎌倉時代、お伊勢参りの際にここへ立ち寄った鴨長明は紀行文『伊勢記』で記しています。
 「二見浦へ出で行く道に小松原の中に鳥居あり、社は見えねど尋ねれば神供じんく堅塩かたしおを納め奉る所なり、名をば御塩殿となむ申す」
 二見潟 神さびたてる 御塩殿 
 幾千代みちぬ 松かげにして

 神さびた佇まいは今も変わりません。
 御塩は、荒塩にした後、保管し、毎年十月と三月に焼き固めるのが独自の習わしです。
 御塩の焼き固めは三角錐の土器に、荒塩を詰めて、火を入れた竈で焼きます。すると三角錐に固められた御塩ができます。それを「堅塩」といいます。塩もこう固めれば数も把握でき、保管も効き、その上、運搬もたやすくなるのです。使用時はそれを必要な分だけくだくといいます。「堅塩」は年間約三百箇が作られます。
 堅塩は御塩道みしおみちを通って外宮げくうへ納められます。二見から伊勢の外宮まではかつては辛櫃からひつを担ぎ歩いて運ばれましたが、今は車にとって変わられました。けれど、決められた御塩道を運ぶことは変わっていません。伊勢の勢田川せたがわに架かる清浄坊橋しょうじょうぼうはしはその通り道にあたります。この橋は葬列は通らないのが習わし。堅塩は運ぶ道中にも清浄を徹底させたのでした。
 神道では、お祓いに塩を使います。それは水の清浄性によって、目に見えないけがれが祓われるとする信仰なのです。
 こうした塩作りは、御塩殿神社のご祭神、御塩殿鎮守神ちんじゅのかみが見守ります。
 御塩殿鎮守神とは、御塩殿を守る神さまの意味ですが、塩作りの神というと、塩土老翁しおつちのおじ、また塩椎神しおつちのかみが知られます。神話では山幸彦が海幸彦から借りた釣り針を失って困っていた際、舟で海神の宮へ案内したことや、神武天皇に統治に適した東方の地があることを申し上げた博識の神でもあるといいます。命に関わる塩作りの神話には、ものを知った翁がふさわしいのでしょう。そのせいか、御塩殿神社はいつ訪れても神さびた風情で、心が落ち着くのでした。