8 神麻続機殿神社・神服織機殿神社 所管社 松阪市井口中町 大垣内町

 伊勢神宮では、春と秋に手織りされた絹布と麻布を神さまに供えます。
 人が生きていく上で欠かせない衣食住。
 その筆頭が「衣」になります。私たちは出かける前、まずこう考えます。「今日は何を着ようか」。衣服には寒暖の差の調節や、虫などの外敵から身体を守ること、そして、TPOや気分にあった「装う」という社会的な役割もあります。では、どうして、神さまに「衣」を供えるのでしょうか。
 トントン、トントン、トントン。
 規則正しい音が響きます。白衣白袴の女性が機織はたおり機の前に座り、右手で目の前にぶら下がったき綱を引いては左手でおさ という板を手元に引き、そして足は踏み板を交互に踏みます。両手両足を器用に動かし、作業を進めていくのです。
 神さまに供える麻布と絹布が手織りされるのは、機殿と呼ばれる二つの神社。伊勢神宮百二十五社のうち、最も北に位置します。
 松阪まつさか市郊外、櫛田くしだ 川河口に近い田園地帯に茂る、大きな緑の森。鳥居から入ると、思いのほか大木が多く、古くから守られてきた森であることが伺えます。参道を行くと、空が開け、そこに建物が二棟。向かって左手の小さい方が神服織機殿神社、右手の大きい 萱葺かやぶき屋根が機織りを行う建物です。「かんはとり」という機殿神社。この地方は古くから紡織ぼうしょくが盛んで、神に供える絹や麻の布を織る服部神部はとりかんべという人々が住んでいたといいます。神社の名も、その「はとり」に由来するのです。上御糸かみみいとしも御糸、機殿、服部など紡織にちなむ地名が今も周辺には残ります。
 布を織るのは昔から、手先が器用で、根気のある女性の仕事とされてきました。
 結城紬ゆうきつむぎの織物業が盛んな栃木県下野しもつけ市の甲塚かぶとづか古墳から出土した機織形埴輪はたおりがたはにわ は、女性が機織りをする姿をかたどっていました。六世紀後半の築造と考えられる古墳で、日本初の事例となります。やはり機織りをするのは古代から女性であったのだと思いました。
 この神服織機殿神社では、その伝統を目の当たりにできるのです。四人の織り手は、地元の女性たちが担います。長い人で十五年以上続けています。ちょうど、春の機織りは五月の大型連休と重なるため、子どもが小さい頃は遊びに連れて行けないのが辛かったと以前話してくれました。また、機織りが近づくと、指先を荒さないよう、怪我のないように日々の台所仕事にも気を付けるといいます。普通の家庭の女性が、昔ながらの機織りをする、やはりここは「機織りの里」だと感じました。
 伊勢神宮のもう一つの機殿は、そこから三キロほど離れた地にあります。
 「かんおみ」と呼ぶ機殿は、神麻績機殿神社。麻を糸にする「麻績おみ」氏がこのあたりに住み、紡織をしていたと思われます。こちらは、麻の布を男性の織り手が手織りします。
 絹の布を「和妙にぎたえ」、麻の布を「荒妙あらたえ 」と呼びます。布を表す美しい名前は、その技とともに未来へ残したいものです。
 神さまのための布を織り、それを供えるのが、 神御衣祭かんみそさい。衣といっても、平織の麻と絹の反物で、染色が施されていない白布です。神職たちは、「おんぞ」と呼び慣わします。伊勢神宮の最も重要な祭典、十月の神嘗祭かんなめさいと並ぶほどに古いという神御衣祭は、五月十四日と十月十四日に、天照大神あまてらすおおみかみをまつる内宮ないくうと、その荒御魂あらみたまをまつる荒祭宮あらまつりのみやのみで行われる特別なもの。「衣」はまた身分を表しますから、神御衣祭は高貴な神さまに布を供えるということなのでしょうか。神嘗祭でも皇室から、幣帛へいはく といって、麻や絹などが供えられます。皇室は尊い神さまに布を奉ることを今も続けているのです。
 神話でも、養蚕ようさん、機織りが描かれます。
 糸を吐き出すかいこは、女神の保食神うけもちのかみの身体から生まれ、天照大神が天上界で育てたとあります。その糸は機殿で、女性たちが手織りするのです。高天原たかまがはらにやってきた天照大神の弟の素戔嗚尊すさのおのみことが、皮をいだ馬を天上から放り込んだのが、その機殿。驚いた織り子が、紡織機で身体をつき、亡くなってしまいます。そのため、天照大神が怒り、天岩戸あまのいわとへ隠れるという事態になってしまうのです。素戔嗚尊が狼藉ろうぜきを働く場面が、住居ではなく、機殿や水田のあぜであることは、それだけ当時の社会で、機織りや稲作が重要で、神聖に考えられてきたからでしょう。
 そして、絹糸を生み出す養蚕を伝えるのも女性であったようです。
 五世紀頃と考えられる雄略ゆうりゃく 天皇の時代、皇后、 日下部姫くさかべひめは、人々に養蚕を奨励するため、宮中において蚕を飼育しました。今も皇居に紅葉山御養蚕所が設けられ、皇后陛下が蚕を育てられています。今回の式年遷宮しきねんせんぐうでは、皇后陛下が飼育された「小石丸こいしまる」という貴重な山蚕の糸で神に供える御装束神宝おんしょうぞくしんぽうが織られました。また、この糸を吐く蚕は、不思議な虫として、『古事記』の仁徳天皇の代にも登場します。しかも天皇と大后おおきさき磐之媛命いわのひめのみこと)の仲直りに一役買うのです。大后が宮殿を出た理由は、天皇がほかの女性に通っていたのを知ったからでなく、珍しい虫を見るためであったとします。
 「一度は這う虫となり、一度はまゆとなり、一度は飛ぶ鳥となって、三色に変わる不思議な虫なのです」。これを聞いた天皇は、それは珍しい、と蚕を見るために大后のもとに足を運び、なだめたという筋立てになっています。
 化学繊維のない古代は、糸をつむぎ、布を織ることにもっと深い思いを持っていたのです。