9 下御井神社 外宮所管社 外宮神域内

 食の神さまである 豊受大神とようけおおみかみをまつる外宮げくうには、二つの御井みい神社があります。
 上御井神社かみのみいのじんじゃと下御井神社。
 私たちが参ることができるのは下御井神社です。外宮神域にある多賀宮たかのみや、土宮、風宮の三つの別宮が建つ地にあります。
 御池みいけに架かる亀石の橋を渡り、土宮を左に折れます。細い流れが注ぐ道に沿って行くと、御垣みかきに囲まれた小さな社殿が見えます。それが下御井神社。社殿は、扉を開けると井戸がある構造で、つまり井戸の上に社殿が置かれているのです。
 外宮では、日別朝夕大御饌祭ひごとあさゆうおおみけさい という神さまに食事を供える祭典を毎日行なっています。外宮創建以来欠かさず続けてきた大事な祭典です。
 神さまに供える食事は、御水、 御飯おんいい、御塩と、季節の野菜や果物、魚、海草、鰹節、御酒で、神職が調ととのえ、外宮の御饌殿みけでんに供えます。
 米は五十鈴いすず川流域の神宮神田しんでんで収穫されたもの、塩はその河口の御塩浜みしおはまで採れたかん水(濃い潮水)を煮詰めたもの、野菜や果物は専用の畑、神宮御園みそのから、と原材料は自給自足を原則としています。
 そして水は、毎朝、神職が上御井神社から汲んでいるのです。こちらも外宮の神域にありますが、立ち入り禁止。神職は、自分の姿を井戸の水面に映さないようにして、長い柄のついた柄杓で井戸水を汲むのが習わしといいます。そのような慎み深い姿勢を伺うと、やはり清浄な井戸は、人から遠ざけた方がいいのかもしれません。
 上御井神社は、「忍穂井おしほい」と呼ばれ、高天原たかまがはら真名井まないうつしたものと伊勢神宮は伝えます。

 をしほ井のけふ若水に汲みそめて御あへたむくる春は来にけり 度会家行
 世々を経て汲むとも尽きじ久方の天より移すをしほ井の水  度会延誠 

 南北朝時代の歌集『風雅和歌集』には、外宮の神主の度会わたらい氏が詠んだ「をしほ井」の和歌が載ります。忍穂井の若水を汲むと、春が来たと感じる、また天よりうつした井戸の水は尽きることがないと、忍穂井を讃えているのです。
 また、外宮のご祭神の豊受大神が、丹後から伊勢に移る際に、この井戸も遷ったという伝承もあります。食の神さまにとっては、井戸はそれほどに大切なのです。
 秋田裕毅ひろき 著の『井戸』(法政大学出版局)によると、井戸は縄文時代にはほとんどなく、弥生時代中期の遺跡からよく見られるようになるといいます。特に大型の建物とセットとされる丸太 り貫き井戸は、日常の飲料水や手工業用の水を得ることが目的ではなく、神祭りに必要な聖なる水や地下世界に住まう神をこの世に招く清らかな通路になるのではないか、と指摘しています。
 確かに、水の豊かな日本では、井戸を掘る手間をかけるよりは、清らかな湧水や川水を汲んだ方が手軽です。それにも関わらず、弥生時代に登場する井戸の存在は、ただ水を得るというだけでなく、祭典に必要であったからとする考察に、井戸への興味を新たにしました。
 そして、食事を調えるための火も、毎朝、おこすのです。伊勢神宮では「きる」といいます。御火みひきりという古代と同じ構造をもつ道具を使い、火がきられるのです。外宮にある博物館「せんぐう館」には、この道具が展示されているので、拝見できます。
 神さまの食を調えるために、毎朝、井戸から水を汲み、火をきる。
 水道水やガスが当たり前となった社会とは隔世の感がある営みを、伊勢神宮では当たり前のように行なっているのです。日本人の文化を伊勢神宮では、祭典として伝えているのです。
 そこには、火や水への感謝があります。

 祈らくは豊宇気とようけの神貧しかる
 我等が子にもかてを足らしめ
 明治四十四年に参拝した歌人、与謝野晶子の歌です。子沢山で知られる与謝野夫妻ですが、晶子はあまり子供の歌を作っていません。けれど、外宮の食の神である豊宇気の神(豊受大神)を前にして、我が子の「糧(食糧)」が十分であることを祈らずにはいられなかったのです。その気持ちは時代を超え、どの親も胸に持っています。