• 83年前に祖父が創業した児童書出版社を突然引き継ぐことになった『もしドラ』作家・岩崎夏海。
    何の興味もなかった社長業で、50余名のスタッフを率いながらドラッカーの教えはどう活きる!?


第十五回  「社内読書会」がもたらす未来


 

 岩崎書店ではいろんなことをやめようとしている。出版点数を減らし、カタログも一部をやめることにした。タイムカードも前時代的なので検体管理は新しいシステムを導入し、ペーパーレス化を標榜してコピーやプリントも原則禁止にした。そして残業も原則禁止にした。今の時代、残業をするとブラック企業になってしまうばかりか、生産性は下がり残業代の支払いも増えるの三重苦で、会社にとっては何もいいことがないからだ。

 岩崎書店では、とにかく小さなことから大きなことまでさまざまなことをやめようとしている。やめることで時間を捻出し、新しいことを始めるためだ。

 

 では、その新しいこととは何か?

 それが教育事業だということは以前に書いた。そして新規事業を始めるにあたっては、大がかりに始めてはならない。ドラッカーのいうように、それは「小さくスタート」しなければならない。

 では、教育事業をどうすれば小さくスタートできるのか?

 ぼくが考えたのは、まずは社内で教育をする——ということだった。岩崎書店は、まずは社員への教育という形から、新規事業をスタートすることにしたのである。

 岩崎書店では、仕事のリストラによって生まれた空き時間で、新しく社内教育を行うことになった。社内教育というと堅苦しいが、平たくいえば勉強会だ。

 これまで、一般的に勉強会というのは、社員の有志が就業時間以外を使って行う場合が多かった。しかし岩崎書店では、就業時間を使って勉強会を始めることにしたのである。

 そこで始めた勉強会の形式は、読書会である。岩崎書店では、指定された課題図書を読んで、それをもとに勉強するということを始めたのだ。

 

 これには、理由が三つある。

 一つは、岩崎書店は出版社なのだから、まずは本をもっとよく知るということ。出版社の社員であっても、いや社員であるからこそ、えてして本から縁遠くなるということがある。紺屋の白袴で、出版社に勤めてから本を読まなくなったというのはよくある話だ。

 それではいけないと考えたので、まずは強制的にでも本を読む習慣を社員に持ってもらおうと考えたのである。そこで月に一冊、ぼくが課題図書を出して、それを就業時間の中で読んでもらうということを社員にお願いした。本を読むことを通して、まずは「本とは何か?」ということの考えを、もう一度社員それぞれの中で深めてもらいたいと思ったのだ。

 

 ところで、この読書会で最初に読んでもらったのは『サピエンス全史』である。そして、課題図書にこの本を選んだ理由が、読書会を始めたことの二番目の理由だ。

 それは何かというと、「世の中の流行を知る」ということである。

『サピエンス全史』は、本好きの方ならたいていはご存じであろう、一昨年から昨年にかけてのベストセラーである。それも日本だけではなく、世界中でヒットした。当時大統領だったオバマさんも、この本を激賞したという。作者は、イスラエル人の歴史学者である。

 

 何が書いてあるかというと、タイトル通りの「人類史」である(サピエンスとは我々人類——つまりホモ・サピエンスのこと)。それも、単に史実を追うのではなく、「なぜこういう歴史になったのか?」という論理を、筋道立てて、ときに大胆な仮説や秀逸なアナロジーを用いながら解説している。

 例えば、人類は一万年前くらい前に狩猟採集生活から農耕生活に移行した。なぜかといえば、それは「稲類」を生育することで、生活が成り立つということを知ったからだ。そのおかげで何が起きたかというと、稲類が爆発的に増えたのである。稲類の子孫が世界中にばらまかれることになった。

 そう考えると、稲類はむしろホモ・サピエンスに寄生して、自分たちの子孫を世界中に頒布させることに成功した――と、そんなことが書いてある。

 ぼくは以前にこの本を読んで、とても感心した。というのも、これを読むと人類史を俯瞰できるようになり、そうなると、「未来」というにものの方向性も、ある程度見通せるようになったからである。

 

 例えば、ぼくにとって目から鱗だったのは、人類が農耕生活を始める前、まだ狩猟採集生活をしていたときは、一日の平均労働時間はわずか3時間だったということである。そして平均寿命は70歳くらいだった。それが農耕生活を始めた途端に労働時間は倍増し、平均寿命はその逆に半減した。つまり、人々の生活は一気に苦しくなったのだ。

 ではなぜそんな苦しい農耕生活が広まったかというと、農耕生活をすると食べられる人口が増えたのである。狩猟採集生活を維持するためには広大な土地が必要で、なかなか人口が増えなかった。しかし農耕生活は狭い土地でも多くの人を養うことができたので、人口を増やすのに好都合だったのだ。

 そして人口が増えると、その分、戦争に強くなった。戦争に強くなると、その国の文化が広まりやすくなるので、やがて農耕生活は地球全体を覆い尽くすようになったのだ。

 ぼくはこの事実に衝撃を受けた。人類が誕生してから、なんだかんだ百万年が経っている。人類は、そのうちの99万年を、1日の労働時間がわずか3時間で過ごしてきた。8時間以上に増えたのは、たかだかここ1万年のできごとなのである。

 だから、「働かざる者食うべからず」というのは、必ずしも人間の本質ではないのだ。人間はそもそも、そこまで勤勉にできていない。本来は、それほど働き者ではなく、どちらかというとナマケモノなのである。

 

 

 そう考えると、昨今の「働き方改革」も、実は本質的なのではないかと思えてきた。ぼくも若い頃は働くことこそが喜びと感じて、1日16時間くらい働いていたけれど、それはある種の自己暗示にかかっていただけで、必ずしも楽しかったわけではなかったかもしれない。いや、1日16時間働いていたといっても、その時間の大半は仲間とのくだらないおしゃべりに興じていた。集中して仕事をしていたのは、その中のほんの20%くらいだろう。

 

 そんなふうに考えると、時短とか残業禁止とかがより本質的なものとして見えてきた。ぼくはそれまでブラック企業になるのが嫌だから時短や残業禁止、あるいは休みを取ることを推奨してきたが、『サピエンス全史』を読んで以来、働き過ぎないことが本質的な生き方だとも感じるようになり、その意味でも推奨するようになったのだ。1日3時間しか働かないのが、人間本来の生き方なのだと。

 それに、農耕生活を始める前まで、人間は稲類――つまり炭水化物ををほとんど食べなかった。だいたいは野草や木の実などを食べていたのである。

 それが、稲作が始まってから炭水化物生活の中心となった。炭水化物はエネルギー量が高いので、少量でも生きていくことができたからだ。

 

 しかしながら、いつしかそれが行き過ぎてしまい、明治になると日本人は米しか食べなくなった。おかげで脚気が流行ったのである。炭水化物ばかり食べ過ぎていると、人間は深刻な病気にかかってしまうのだ。そして、それにも気づかないほど炭水化物中毒になっていたのである。そんなふうに、人間はえてして簡単に本質を見誤る。

 それがようやく最近になって、今度は「炭水化物抜きダイエット」が流行しだした。炭水化物がダイエットの天敵だというので、これを食べない人が増えてきたのだ。近頃では定食屋さんでも、「ご飯抜き」という女性はもちろん、男性も見かけるくらいである。

 

 そんなふうに、人間はどんどんと稲類を食べなくなってきている。お米も小麦も消費量は年々減っているそうだ。そう考えると、この現象は実は1万年来の人類の稲作に対する復讐かもしれない。稲作が始まってから1万年間、人類は8時間労働や寿命の半減などさんさまざまなつらい目に遭ってまで、稲類を全世界に頒布することに協力させられてきた。そのことの復讐として、今、稲類を食べなくなってきているのではないか。

 

 そんな妄想がふくらむくらい、この本は面白く、また刺激的だった。そして、それを感じたのはぼくだけではない。先述したオバマ大統領をはじめ、世界中の多くの人がそうなのだ。

 そこでぼくは、これを岩崎書店の社員にもぜひ読んでほしいと思った。読んで、「ヒットするのはこういう本」だということを肌合いで知ってほしかったのである。

 この『サピエンス全史』は、初めは海外で出版された本だ。日本からは河出書房新社が翻訳出版しているが、もしかしたら岩崎書店にも翻訳出版するチャンスがあったかもしれない。内容は大人向きだが、歴史の勉強は大人子供を問わず必要なので、児童書の出版社から出したとしてもなんの違和感もない。そう考えると、大きな商機を逃がした気持ちがして、ぼくはちょっと悔しくなったものだ。

 そういう悔しさを、岩崎書店の社員にも共有してもらいたいと思った。そしてもし次の『サピエンス全史』のような面白い本が海外で発売されたら、そのときこそは翻訳権を獲得し、大きな商機につなげたい――そういうマインドを、社員みんなに有してほしい――そうした思いでこの本を読書会のテキストに選んだのである。

 

 勉強会を読書会にした理由の三つ目は、この「読書会」というスタイルこそが、本が生き残っていく道筋の一つではないかと考えたことだ。

 ぼくは、『もしドラ』という本を書いた関係でドラッカー学会に所属している。すると、ドラッカー学会の会員の方たちがドラッカーの本をテキストに読書会を行っていることを知った。そこでぼくも参加させてもらうと、そこではとても刺激的な経験をすることができたのだ。

 その読書会は、毎回ドラッカーの一つの本を選択し、その中の一つの章をテーマにして、自分が気になった文章をピックアップし、それについての感想や解釈を皆の前で発表する。それに対して他の参加メンバーは、それぞれ自分の感想や解釈をフィードバックしていく。そうして、議論を深めていくのである。

 

 この読書会の面白いのは、なんといっても「他者の視点を得られる」ということだ。例えば、自分がすっと読み飛ばしていたところに、他の人はとても注目していたりする。その注目する理由が重要だということが腑に落ちると、「自分がそれを見落としていた」ということが分かるので、とても勉強になるのだ。

 そうして勉強会が終わったときには、単に一人で読んでいたときよりも、読み込みが二倍も三倍も深くなる。いや、けっして大袈裟な表現ではなく、その読書会に参加していた人数分だけ深くなっているのだ。

 それを知って以来、ぼくは機会があればドラッカーの読書会に参加し、また自分でもドラッカー学会とは別に、ぼく自身の私塾で映画の鑑賞会を催したりしてきた。そうして、それがいかに勉強になるかというのを何度も経験してきたのである。

 だから、そのメソッドをこのときも岩崎書店に導入しようとした。この勉強会のミソは、参加した人の数だけ本が必要になる——ということだ。つまり、それだけ本が売れるということである。楽しみのための本がなかなか売れなくなった現在でも、勉強のための本は比較的よく売れる。それは、勉強のためには本を超えるツールがなかなか見つからないからだろう。

 だから、本の未来の一つは「読書会のテキスト」にこそあるのではないかと思った。そういう本を作っていくためにも、勉強会を「読書会」にしようとしたのである。

 

 さて、そんなふうにぼくは、就業時間を削ってまで社内での勉強会を始めた。ところが、そんなふうにして行った新規事業は必ずしも順風満帆ではなかった。そこではさまざまな逆風が吹くことになったのである。

 では、その逆風とはどんなものか?

 次回は、そのことについてお伝えしたい。