第ニ回  「横にずれる」 戦略

 社長の仕事は忍耐である。常に痛みとの戦いだ。
 もちろん、おもしろくも楽しくもない。ただし、痛みを面白がったり楽しんだりする向きには別だが。その意味でマゾヒスト向きである。悪いことに、ぼくにも少しだけマゾヒストの気がある。痛みを感じると、生きる意欲が湧いてくるのだ。

 編集者としてのスタートは散々だった。インターネットや本などでこれはと目をつけた三人の絵本作家さんたちに連絡を図った。すると、一人からは返事がなく、一人からはけんもほろろのお断りメールが来た。一人からは誠実なお返事が来て、会ってお話ししてくれた。これは大変ありがたかった。
 しかし結局断られた。理由はいくつかあるが、一番はぼくの企画とその作家さんの制作コンセプトとがうまく噛み合わなかったことだ。これはどちらが悪いということではもちろんないが、しかしぼくは自分の力不足を認識させられた。ぼくにもっと企画力があれば、その作家さんの制作コンセプトと合致した企画を提案できたはずだからだ。編集の仕事が一筋縄ではいかないということをあらためて思い知らされた。
「さて、これからどうしよう」
 岩崎書店の社長である叔父には、「編集ならできる」と大見得を切ってしまっている。18か月で6冊出すと約束もしてしまった。このままおめおめとは引き下がれない。

 しかし絵本作家さんに頼むというのは、どうにも手詰まりな気がした。というのも、このときもう一つの問題が持ち上がったからだ。
 ぼくが依頼した絵本作家さんの一人から、岩崎書店の編集者に「岩崎書店所属と名乗る人から私のところに連絡が来たけどどういうことか」というクレームにも近い問い合わせが来たのだ。
 どういうことかというと、その作家さんは岩崎書店の編集者の一人と旧知の間柄で、ぼくからいきなり連絡が来たことに不信感を抱いたのだそうだ。ぼくは、岩崎書店の編集者といっても既存の編集部とは全く連携を取らずに動いていたから、そういう事態が起きてしまったのである。
 その編集者からは「依頼をするなら事前に教えてください」とご意見をもらった。それはもっともだと思ったが、同時にぼくは「それはできない」とも思った。
 なぜなら、ぼくはいわゆる「ホウレンソウ」をしないからだ。なぜしないかというと、「ホウレンソウ」が仕事の生産性を著しく毀損するからである。

 「ホウレンソウ」とは、「報告」「連絡」「相談」の三つだ。
 このうち、まず良くないのが「連絡」だ。というのも、連絡を始めるときりがなく、作業効率や生産性が大きく下がってしまう。
 連絡には不思議な「魔力」がある。連絡を始めると、誰もがやがてそれに重きを置くようになり、とらわれてしまうのだ。そうして、しまいには仕事のために連絡をしているのか、連絡のために仕事をしているのかわからなくなる。
 最近、「日本の生産性が悪いのは会議が長いからだ」ということが盛んに取り沙汰されているが、ではその長い会議でみんなが何をしているかというと、たいていが「連絡」なのである。連絡が、会議を長くしている元凶なのだ。
「連絡」にはそれほどの魔力がある。一度始めるとなかなかやめられないし、そればかりではなくどんどんと長くなってしまう。だからぼくは、なるべく連絡をしないようにしている。今度のことも、それで連絡しなかった。

 続いて、「相談」も良くない。
 ぼくは昔、「相談魔」だった。何かあるとすぐに周囲の誰かに相談していた。しかし今思い返すと、相談をして何かが建設的に解決したためしがない。
 人が相談をするのは、何かに悩んでいたり、迷っていたりするからではない。何かに「躊躇って」いるからである。決断を先延ばしにしているのだ。相談をして、時間稼ぎをしているのである。
 例えば「恋愛相談」がある。
「恋人と別れたいのだけれどどう思う?」
 この手の「相談」は、たいてい本人の中で結論が出ている。百パーセント「別れたい」のだ。
 ではなぜ「相談」するかというと、その別れに伴ういざこざが嫌で、決断を先延ばしにしているからである。しかし、いつまでも決断しないと問題の解決を図れないから、相談することでお茶を濁しているのだ。相談すれば、あたかも解決に向かっているよう、自分自身をごまかせる。
 それがわかって以来、ぼくは相談はむしろ解決を遅らせたり判断を鈍らせたりするものと忌み嫌うようになった。だから、今度のことも誰にも相談するつもりはなかった。

 最後に、最悪なのが「報告」である。報告の何が最悪かというと、報告させたものの責任のみならず、やる気も皆無にしてしまうところである。
 ドラッカーは、仕事の「責任」に焦点を当てた。責任こそ仕事の要であると。人は、責任があるから仕事をするのである。責任は、仕事をする上での原動力なのだ。
 だから、上司の仕事は「部下に責任を与えること」となる。しかし「報告」は、その逆を行う。つまり、部下から責任を奪ってしまうのだ。
 例えば、ぼくが考えた絵本の企画を、いちいち上司である叔父に「報告」していたとしよう。そうなると、ぼくは叔父の了承を得たものしか企画できないことになるから、やがてその責任は、ぼくではなく叔父にあると考えるようになる。
 しかしそうなると、今度は必然的に「責任のない仕事には情熱を傾けたくない」と思うようになっていく。そうして最終的には、叔父の言う通りにしか動かない(動けない)、いわゆる「指示待ち族」になってしまうのだ。
 これが「部下が育たない組織」の典型である。近年、社員にも経営者視点を持つよう求める経営者が増えていると聞くが、それを最も阻んでいるのがこの「報告」なのだ。
 だからぼくは報告を絶対にしない。そして部下にもさせない。
 そういうふうに、「ホウレンソウ」はぼく個人としてはもちろん、ドラッカーの経営学的にもすることはできなかった。それで、その編集者からの「依頼をするなら事前に教えてください」という意見にも首肯することができなかったのだ。
 しかしながら、もちろん迷惑をかけてもまずいと思ったので、新たな方向性を模索する必要が出てきた。

 ところで、「アイデアというのは複数の問題を一つの方法で解決することだ」と言ったのは任天堂の宮本茂さんだ。ぼくは、これは実に見事な考えだと思っているので、『もしドラ』の続編である『もしイノ』でも主要なテーマとして取り上げた。また実生活でも実践している。このときも、複数の問題を一つの方法で解決しようとしたのだ。
 このときの問題は、大きく二つ。
「絵本作家さんに頼んで手詰まりになった」
「誰にもホウレンソウしない(できない)」
 そこで思いついたのは、少し横にずれること(これも有名な問題解決方法の一つ)だった。すなわち、絵本作家さんではなく、イラストレーターさんに依頼するのはどうだろう?——と企図したのだ。
 そう考えたのには、もう一つの理由があった。ぼくは今回、企画色の強い絵本を作ろうと考えていた。コンセプトは、編集者であるぼくの方からはっきり明示しようとしていた。
 しかし絵本作家さんの多くは、たいていが自らの制作コンセプトを持っている。ぼくが一人だけお会いした作家さんも、自らの制作コンセプトをとてもだいじにされていた。
 だから、絵本作家さんにお願いすると、ぼくのコンセプトとバッティングし、うまくいかない場合が多いのではないかと危惧したのだ。だったらむしろ、絵本に対する制作コンセプトを持っていない人の方がいい。

 そうして思いついたのが「イラストレーターさんにお願いする」ということだった。これまで一度も絵本を描いたことがないイラストレーターさんだったら、絵本の制作コンセプトを持っていない可能性が高いので、バッティングすることも少ないだろう。
 そこでぼくとS女史は、今度はイラストレーターさんに狙いを定め、ネットや本を探してみた。そうして前回同様気になった方々をピックアップし、やっぱりコネも何もなかったが、とりあえずメールで連絡を取ってみたのだ。
 すると、そこで意外な反応があった。どんな反応があったのかは、また次回に書きたい。

コメントは受け付けていません。