第一回  まずは編集者になってみる

 もちろん、ぼくは社長になどなりたくなかった。
理由は三つある。
 第一に、ぼくには「作家」という仕事があった。もちろん一〇〇万部を超えるようなヒットを記録したのは『もしドラ』だけかもしれないが、続編の『もしイノ」は増刷して一二万部までいったし、『甲子園だけが高校野球ではない』はシリーズで二〇万部、『部屋を活かせば人生が変わる』も三万部だ。有料メルマガ『ハックルベリーに会いに行く』は二〇一二年にスタートしてからもう四年も続いていて、平日は毎日配信しているから記事数はすでに一〇〇〇を超えた。
 つまり、それなりに暮らしていくことはできている。
 第二に、ぼくは社長に向いていない。それ以前に、「勤め人」に向いていない。会社員だったこともなくはないが、人生でほんの二年間だけだ。それ以外はずっとフリーランスでやってきた。毎年確定申告をしているから、年末調整とは無縁だ。マネジメントをテーマにした本を書いたとはいえ、基本的に一匹狼が性に合っている。
あるいは、それ以上に性格の問題がある。ぼくの知人なら既知のことだが、独善的で度量が驚くほど狭い。神経質のせっかちで、喧嘩っ早いから誰彼かまわず突っ掛かっていく。およそ愛嬌というものに欠けていて、仏頂面を絶やしたことがない。
つまり、人付き合いが最大の弱点なのだ。そんな人間が社長などという人付き合いを最も必要とする仕事に向いているはずがない。
 第三に、『マネジメント』についての本を書いた。そのぼくが、万が一にでも企業の経営に失敗したら、単にぼくの評価が下がるだけではなく、『もしドラ』を出版したダイヤモンド社さんやドラッカーさんの評判さえ落としかねない。これは、本当に多くの方々に迷惑をかけることになる。つまり、あまりにもリスクが大きい。

 岩崎書店の社長は、これまでは岩崎弘明がやっていた。彼は創業者である岩崎徹太の息子で、ぼくの父の弟であり、つまりぼくの叔父である。
その彼から、あるとき岩崎書店の社長を引き継いでくれないかという依頼があった。理由は、自分が高齢なので引退したいということと、出版業界が大きく地盤沈下する中、新しい経営が求められるのだが、それにはぼくのようなプロパーではない人間の方がいい、とのことであった。
あるいは、ぼくが作家で、出版業とも無縁ではないということもあったのかもしれない。もしくは、マネジメントについての本を書いたから、多少なりとも経営についての知識があると思ったのかもしれない。
 しかしぼくは、叔父の依頼だからその場で無碍に断るということこそしなかったものの、数日間の熟考の末、上記のような理由でやっぱり断った。それが二〇一五年の夏のことであった。
 すると叔父は、こう言った。
「いきなりは社長にならなくともいいから、まずは岩崎書店に取締役、あるいは編集者としてかかわってくれないか。判断はそれからでもいいだろう」
 それに対して、ぼくは取締役にはやっぱりなんの興味もなかったが、編集者はしてみたいと思った。なぜかというと、『もしドラ』という本を書いたとき、ぼくは単に文章を書いただけではなく、タイトルを決めたり表紙のデザインを考えたり売り方の戦略を練ったりしたのだが、後で知ったところによると、それらは全て主に編集者のする仕事であり、つまり知らず知らずのうちに編集者としての役割もこなしていた。だから、「ぼくは編集者になれるのかもしれない」という思いが、その頃には芽生えていた。
 もう一つ、その頃のぼくは、本を書くことよりも「どう作るか?」や「どう売るか」といった、むしろ編集者が考える領域のことに関心が向かっていた。そのため、それにもっと強く、積極的にかかわってみたいという思いもなくはなかった。
もちろん、作家をやめるつもりはなかったから、それはあくまでも「思い」の範囲を超えていなかったが、しかし叔父にそう言われ、本腰を入れてもいいのではないかと考えるようになったのである。
 それで、ぼくと叔父の交渉は妥結した。つまり、社長はしないが編集者はすることになったのだ。

 そうして編集者を始めたぼくは、まず「どのように本を作ろうか?」と考えた。
 岩崎書店は児童書の出版社である。出す本のほぼ全てが子供向けだ。だから、作る本というのは子供向けに限られる。
子供向けの本というのは、大きく「読み物」——つまり字だけの本と「絵本」とに別れる。ぼくは、このうちの絵本に挑戦してみようと思った。というのも、読み物ならこれまで何冊も作ってきたが、絵本は一冊も作ったことがなく、その意味で新しい挑戦であり、興味が大きかったからだ。
その頃のぼくは(今もだが)、作家としての個人事務所を持っているため、そこのマネージャーであるS女史に協力をお願いして、一緒に絵本作りを始めることとなった。
 最初に取り組んだのは、今現在、世の中にどういう絵本作家さんがいるか、本やネットなどで調べることだった。何の知識もなかったので、まずはそこからのスタートだったのである。
しかしそうやって調べてみると、世の中には便利なもので、ちゃんと絵本作家さんをリスト化した本であったり、サイトであったりというのが存在した。おかげで、それらを活用させていただきながら、めぼしい作家さんをリストアップすることができた。
 ところで、この頃のぼくには、一つの「仮説」があった。それは、「絵本業界は停滞している」というものだ。
その根拠は、「ぼくやS女子に編集のおはちが回ってきた」ということだ。もし絵本業界が活性していたら、ぼくやS女史のような門外漢の出番はなかっただろう。もちろん出版社に縁故こそあったからこそ頼まれたのだが、しかしそれだけで仕事が回ってくるほど甘い世界ではないはずだ。それが、ぼくやS女史のような素人に頼むのだから、よっぽど困っているのである。
実は、そういう事例は、ドラッカーをはじめとする経営学の本にはいくらでも出てきた。なんの業界でもそうなのだが、長く続くとある種の慣習や常識のようなものができあがってしまい、それが足かせとなって経営の停滞を招く。ところが、そういうときにこそ業界の外側から門外漢がやってきて、状況を一変させてしまうことがよくあるというのだ。
 近年でいうと、音楽業界におけるスティーブ・ジョブズの存在がまさにそれだ。
音楽業界は、それまでレコードやCDといったパッケージビジネスに慣れきっていて、新しいダウンロードビジネスになかなか踏み込んでいけなかった。それが原因で、業界そのものが停滞し、経済規模が大きく縮小した。そこのところに、音楽業界とは無関係だったジョブズがやってきて、iTunesを立ち上げ業界の仕組みを一変させてしまったのだ。
 そういう例は枚挙にいとまがない。だから、ぼくやS女史のような門外漢が成功するためには、その門外漢であるという立場を逆に利用する必要がある。これまでの慣習や常識を知らないのをいいことに、それらを打ち破るような新しい作り方を確立するのだ。
逆にいえば、そういうやり方でないと、どのみちぼくらに勝ち目はない。だから、「絵本業界が停滞している」という仮設は、論理だった推測というよりは、むしろ破れかぶれの願望に近かった。
 さて、そんなふうに絵本の作り方についてあれこれ考えながら、ぼくらは「これは」という作家さんを三人ほどピックアップし、アプローチしてみたのである。
 そうしたところ、実に面白い結果となった。結論からいうと、「全滅」だった。その作家さん三人に、全て執筆を断られてしまったのだ。
続きは、また次号に書きたい。

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