• 83年前に祖父が創業した児童書出版社を突然引き継ぐことになった『もしドラ』作家・岩崎夏海。
    何の興味もなかった社長業で、50余名のスタッフを率いながらドラッカーの教えはどう活きる!?


第六回  真の準備とは……あえて準備をしないことである


 ぼくとS女史は井筒啓之さんのアトリエに通された。井筒さんのアトリエには、同じくイラストレーターで井筒さんのパートナーでもある井筒りつこさんもいらっしゃり、お二人はとても温かな雰囲気でぼくたちを迎え入れてくれた。井筒さんとりつこさんの共用のアトリエはとても明るく、よく片付けられ、きれいだ。
 応接セットに招かれ、とてもおいしい紅茶をいただいた。
 それから井筒さんと相対したのだが、とりたてて緊張したというわけではなかった。もちろん身は引き締まっていたが、かといって心臓が喉から飛び出そうというわけでもない。
 というのも、ぼくは滅多に緊張するということがないからだ。ストレスを感じて疲れることは日々あるが、プレッシャーを感じて思うように動けなくなるというのはない。なぜかというと、それなりに準備することを心がけているからだ。
 ぼくには「準備」に対する強い思い入れがある。というのも、ぼくの尊敬する方々はたいてい準備することの大切さを説かれていて、ぼく自身も若い頃からそれを意識してきた。

 何をいまさら当たり前のことを、と思うかもしれないが、この「準備が大事」というのは、実はそれほど単純なことではない。というより、とても難しい概念である。
 なぜかというと、「準備をする」という作業の中には必ず「準備をしない」という過程が含まれるからだ。
 「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。この諺の、前半の「人事を尽くす」というのは「やれることを全てやる」という意味だが、肝は後半の「天命を待つ」にある。これは「運を天に任せる」という意味だが、意訳すれば「あえて何もしない」ということなのだ。つまり、ここでは準備することと準備しないことの、両方の大切さを説いているのである。
 そのことが、若い頃にはわからなかった。それでも、さまざまな経験を経る中で、やがて「天命を待つ」が存外に重要であるということがわかってきた。特に、年齢でいうと40歳を過ぎたときに、それを痛感するできごとがあった。
 

『もしドラ』がヒットした後、とある講演に招かれてドラッカーの話をしたときのことだ。その講演について、ぼくは最初「若手起業家向け」と聞かされていたので、聴講者は20代後半からせいぜい40代前半くらいまでーーつまりぼくより年下と考え、それ用の準備をしていた。このときは気合いが入っていたから、構成のみならず決めのフレーズまでぴっちりと決めていった。
 ところが、会場に入って驚いた。その200人ほど入っている聴講者の、後ろの方には確かに50人ほどの若者がいるのだが、残りの150人くらいは、見たところ50代以上、上は70代とおぼしき方までいらっしゃったのだ。
 後で聞いたところによると、その講演、もともとは若い人向けに企画したのだが、案内を出したところ予想外に年長の方からの要望を多数いただき、結果的に年齢層が高めになったとのことであった。しかし、これはぼくにとっては青天の霹靂で、いわゆる「聞いていないよ」状態、とにかく驚きであった。また、せっかく若い人向けの講演内容を練り上げてきたのに、それがパーになるという意味でも少なからずショックであった。
 それでも気を取り直して、年長者向けの話に即席で切り替えようとしたのだが、しかしそこで思わぬ事態が起きた。事前に若者向けの構成をきっちり準備しすぎてしまったため、年長者向けの話が咄嗟に出てこないのである。年長者向けの講演というのは、それまでにも何度もしたことがあったから、それを思い出せればできないことはないのだが、しかし動揺してしまってちっとも思い出せなかった。
 おかげでぼくは、これまで一度も味わったことのなかった「絶句」というのを生まれて初めて経験した。またそのことのショックで気分まで悪くなり、一度退席せざるを得なくなった。
 裏に回って水を飲み、少し休んだら落ち着いてきて、10分後にはどうにか話を再開することができた。しかしながら、このときのできごとは今思い出しても冷や汗をかいてしまう、ぼくにとってはまさに悪夢となった。
  

 このように、過剰に準備をしていると思わぬ事態が起きたときに、逆にそれに足を引っ張られて身動きが取れなくなってしまう。だからぼくは、それ以来、過剰に準備をするのをやめた。そして、どんな状態が起きても慌てないよう、あえて準備をしない部分を作るようにしたのである。
 では、例えば講演だったらどう準備を「しないか」というと、落語の三題噺のようにする。「三題噺」とは、落語の形式の一つでまずお客さんから話してほしいお題を三つ募集する。それを受け、噺家は即興でその三題が入った落語を紡ぎ出す。
 これは、いかにも名人芸のように思えるが、実際にやってみると思いのほか簡単だ。なぜかというと、そのお題とお題を結びつけるときの接着点というものがどうしてもこじつけになるのだけれど、それが逆に面白みを生み出すからだ。
 この「こじつけ」は、実はクリエイションにおいてはポピュラーな方法の一つなのだ。例えば、これと全く同じことを元ビートルズのポール・マッカートニーもしている。

 ポールは、作曲をしているときに一つの曲にまでは発展しないものの、捨てるのは惜しい「フレーズ」や「メロディ」の断片というものをいくつもストックしていた。あるとき、そのうちの三つを無理やりにつなぎ合わせ、一曲にするという荒技を思いつく。
 そうして実際作ってみると、意外にも無理やりつなぎ合わせた部分に独特の面白さが生まれ、思わぬ名曲が生まれた。例えば、アルバム『アビイ・ロード』に収録されている『ゴールデン・スランバーズ』や、ウィングス時代の『007 死ぬのは奴らだ』といった有名な曲も、そうした方法で作られたのだ。
 また、映画監督の宮崎駿さんも、これと似たような方法で映画を作っている。彼の場合は、まず頭に思う浮かんだイメージの断片を絵として描く。それを何枚も描いた後、並べてみてストーリーを練るのだ。そこで、本来は無関係なイメージの断片同士を無理やりくっつけるのである。
 そうすることで、ストーリーはセオリーを超えたアクロバティックなものになり、思わぬ面白さが生まれる。例えば『千と千尋の物語』も、後半は特に脈略のない展開が続くのだが、それが逆に見る人の興味を惹きつけ、あれほどの大ヒットとなった。
 そんなふうに、準備というのは「しない」ということも重要なのである。そこでぼくも、井筒さんにお会いするときにはあえて準備をしてこなかった。いや、正確にいうとそれなりには準備してきたのだが、細部をあえて詰めてこなかったのだ。
  

 そうして、実際の打ち合わせでまずしたことは、井筒さんの声に耳を傾けるということだった。それも、彼の発する声だけではなく、心の声にも耳を傾けようとした。
 打ち合わせというのは、どんなときでもこの「心の声」を聞くことが重要である。人間というのは、実にアンビバレントな生き物だ。誰しも、心の奥底には「他人にわかってもらいたい」という気持ちがありながら、それがなかなか表に出てこない。なぜなら、同時に「わかってもらいたくない」という気持ちもあるからだ。自分の心理を相手に悟られるといろいろと不利益を被るので、それを避けたいという気持ちも同時に働くのである。
 そのため、自分の気持ちをストレートに伝えられる人というのはまずいない。皆、なんらかの形で変換させた気持ちを実際の声として発している。
 打ち合わせでは、その変換具合を探り当て、心の声を正しく聞き取ることが重要なのだ。
 例えば、井筒さんとの打ち合わせでは、井筒さんはしきりにある言葉をくり返された。
 それは、「ぼくの絵は、絵本に向かないと思っていた」というものだ。
 それで、ぼくはその言葉を変換してこう読み取った。
(井筒さんは、既存の絵本の枠組みの中では、自分の絵は受けいれられないのではないかと危惧されているのではないだろうか。だとしたら、その不安を取り除くことが必要だろう)
 そう考えて、ぼくは井筒さんに次のように伝えた。
「ぼくは、絵本に限らずコンテンツというものには『新しさ』が絶対に必要だと考えています。だから、ぼくが編集する絵本にもそれを入れていきたい。特に、今回の絵本はぼくにとっても初めての編集作品だから、新しさには強くこだわりたい。そこで、まずは既存の絵本の枠組みを壊すことから始めたいのです」
 それから、こう続けた。
「そうしてできた新しい枠組みの絵本には、これまでの絵本にはない井筒さんのような絵が必要なんです。だからぼくは、井筒さんに描いていただきたいのです!」
 すると、それを聞いた井筒さんの表情はみるみると穏やかになっていった(ようにぼくには見えた)。実際、その後の打ち合わせはとても順調に進み、ついには描くことを承諾していただいたのだ!
 そうしてぼくは、最初の打ち合わせを成功裏に終わらせることができた。なぜそうできたかといえば、前述したように「準備をしない準備」をしたからだろう。それがここでもちゃんと活かされたのだ。
 どういうことかというと、実はぼくが井筒さんに申し上げた先ほどの口説き文句には、一つの裏があった。
 ぼくが井筒さんに言った「新しい枠組みの絵本を作りたい」という気持ちは、事前に準備していたものだ。しかし実は、そこから先は準備していなかった。なぜなら、そこから先は、何を当てはめても成立するからだ。
 例えば、井筒さんは絵本らしくない絵を描くということを危惧されていた。そういう方には、「新しい枠組みだからこそ、新しい絵が必要だ」と伝えれば、深く納得していただける。
 一方、絵本らしい絵を描く方に対してだったら、「新しい枠組みに、あえて絵本らしい絵を入れるから、面白さが引き立つんです」と言えば、やっぱり納得していただける可能性が大きい。要は、新しい枠組みの絵本には、絵本らしい絵も絵本らしくない絵も両方入れることができるのである。そういうからくりがあるのだ。
 そのためぼくは、そこのところをあえて曖昧にしたまま打ち合わせに臨んだ。だからこそ、咄嗟に言葉が出てきたのである。また、そこに説得力が宿ることともなった。そうして、井筒さんを説得することに成功したわけである。

 次回は、井筒さんとの絵本作りについてご紹介したい。