• 83年前に祖父が創業した児童書出版社を突然引き継ぐことになった『もしドラ』作家・岩崎夏海。
    何の興味もなかった社長業で、50余名のスタッフを率いながらドラッカーの教えはどう活きる!?


第三回  「嫌い」こそものの上手なれ

 ぼくのおじいさんは、出版社の創業者だ。戦前に、岩崎書店という出版社を興した。はじめは経済学の本などを出していたが、戦後は児童書の専門出版社になった。彼はぼくが生まれた頃にはまだ生きていて、子供向けの本をたくさん作っていた。
 だから、ぼくの家にはたくさんの絵本があった。おじいさんから、めぼしい絵本がたくさん送られてきたからだ。
 そうなると岩崎書店の本だけになりそうなものだけれども、そうはならなかった。なぜかというと、ぼくの母親が絵本好きで、個人でたくさんの絵本を買っていたからだ。
 母は、子供に読ませるためというよりは、自ら好きでたくさんの絵本を買っていた。母は東京芸術大学の美術学部出身で、絵が好きだった。だから、絵本も絵を見るために買っていたのだと思う。そのため、家には絵がうまい絵本が多かった。母が買っていた絵本は、岩波書店と福音館書店のものが多かった。
 そんなふうに、ぼくは幼少期、祖父が送ってくる絵本と母親が買う絵本とで、たくさんの絵本に囲まれて育った。それこそ、絵本を浴びるようにして育った。小さな頃は他にすることもないから、しょっちゅう絵本ばかり眺めていた。
 ところが、人間とはおもしろいもので、そんな環境にあっても必ずしも絵本好きになるとは限らない。小学校に入る頃には、ぼくは早々に絵本を卒業してしまった。それより一般書の方に魅せられるようになった。そうして、やがては作家を志すようになったのだ。それが、結局は『もしドラ』を書くこともつながる。

 絵本が嫌いというわけではなかったが、かといって好きになることもなかった。小学校に入る頃には絵本に飽きてしまい、それ以来ほとんど読むことをしなくなった。
 だから、絵本の編集を始めることになったとき、正直葛藤があった。絵本を早々に卒業してしまった自分に編集をする資格があるだろうか? 果たしてうまくできるだろうか?
 しかし、その葛藤はすぐに解消された。というのも、人間は必ずしも好きなことをすることがうまくいくわけではないというのを、これまでの経験の中で知っていたからだ。むしろ嫌いなことをした方が往々にしてうまくいく。

 若い頃、ぼくは作詞家の秋元康さんの弟子をしていた。主に芸能界で仕事をし、さまざまな芸能人を見てきたのだが、一つのジンクスに気がついた。それは、芸能で大成する人は必ずしも好きで芸能人になった人ではないーーということだ。
 芸能界に入ったきっかけとして、聞くのが「たまたま」というもの。スカウトや友人に誘われてというのが最も多いが、中には家族が勝手にオーディションに応募してーーなどというケースもあったりする。
 そんなふうに、それまで芸能人になろうと考えたことがない人の方が、子供の頃から芸能界に憧れ、芸能人になりたくてなった人より大成するケースが多いのである。
 理由は色々あるだろうが、一番大きいのは、その仕事を好きでやっている人というのは、客観性を持ちにくいということがあるだろう。その仕事を俯瞰で見ることが難しいのだ。
 例えば、絵本が好きな人間というのは、絵本を客観的に見ることが難しい。好きであるがゆえに、なんでもおもしろく、また魅力的に見えてしまう。そのため、おもしろいかつまらないかの判断ができなくなる。
 あるいは、絵本が好きすぎると視点がマニアックになって、初心者や一般的な読者を置き去りにしてしまうケースというのもよくある。絵本好きな編集者というのは、好きであるがゆえにそのマニアックさをなかなか手放すことができず、結局多くの読者が読みたくなるようなものを作れずに失敗してしまうのだ。
 それに比べると、絵本好きではない編集者は、客観的に見ることが容易なのだ。そもそも好きではないのだから、つまらないものはつまらないとちゃんと判断できる。また、視点がマニアックになることもないので、読者を置いてきぼりにするケースも少ない。
 そう考えると、仕事はそれを好きではない人の方が、好きな人よりも大きなアドバンテージを持っているということができよう。今は特に物余りの時代で、競争が激化しているから、市場が求めていないものを作るような企業や人はたちまち淘汰される。何かを好きでやり続けられるという時代ではなくなっているのだ。
 振り返ってみると、ぼくのこれまでの経験でも、仕事がうまいくときというのは得てして「やらざるを得ない」という心理になっているということに気づかされる。自分がやりたいと望んだときにはうまくいかないのに、乗り気ではないものの、「やらざるを得ない」という心境で臨んだときにはうまくいくのだ。

 それはぼくの周りでもそうで、先輩で、仕事が嫌いでいつも依頼から逃げ回っている人がいたのだが、その人が頼まれて仕方なく書いた台本が他の誰が書くものよりもおもしろくて仕方ないのである。最初は、なんでもあんなふうに嫌々書く原稿がこれほどまでおもしろいのか不思議だったが、後になってわかったのは、「やらざるを得ない」ということから始まる仕事は客観性が担保されやすいため、好きでする仕事よりもかえっておもしろくなる可能性が高いということだ。
 だから、こと仕事においては「好きこそものの上手なれ」というのは通用しない。むしろ「嫌いこそものの上手なれ」の方が、実相に近いといえる。
 そう考えると、ぼくにとって絵本の編集というのは、嫌々というわけではなかったが、しかし好きで始めた仕事でもなかったから、むしろ状況としては良かった。それでもうそれ以上思い悩まず、自信を持って絵本の編集に取り組んでいった。

 はじめにアタックした絵本作家さんには早々に断られたものの、次にアタックしたイラストレーターさんたちからは、次々にアポイントを取ることができた。しかも驚くことに、日本を代表するような有名なイラストレーターさんたちがすぐに会うことを了承してくれたのだ。
 後になって振り返ると、そこにはいくつかの幸運があった。

 まず一つは、イラストレーターの世界にも大きな変化が起きていたということ。
 イラストレーターにとって、これまで最も大きな取引先は出版社だった。企業から依頼を受けて描くというケースももちろんあるのだが、出版社からの依頼で描くケースがほとんどだった。
 そこで描くのは、本の表紙や挿絵だ。特に雑誌の挿絵を描くというケースが多く、ほとんどのイラストレーターはそれで生計を立てていた。
ところが、その雑誌の売上げがここ数年、減少の一途を辿っている。そのため、イラストレーターの中にも仕事のやり方を変えなければならないという問題意識が芽生え始めていた。これまでの雑誌に偏重するスタイルをあらため、もっと他にイラストを描ける場所を開拓する必要が出てきたのだ。

 二つ目は、インターネットの存在である。そんなふうに、雑誌をはじめとする日本の出版市場が縮小する中で、一部のイラストレーターは海外で仕事をするようになった。インターネットの発達で、海外の出版社や企業から依頼が簡単に舞い込むようになったからだ。
 特に画像サイトの発達は、イラストレーターのチャンスを増やした。今や、発注側は画像サイトを見ながらイラストレーターを選定しオーダーするということが一般的になっている。そのため、多くのイラストレーターは画像サイトに自分の作品と連絡先をアップするようになったのだ。
 おかげで、ぼくがイラストレーターを探すときも、作品を閲覧したり、仕事の依頼をしたりするのがとても容易になっていた。
 上記の二つの理由から、イラストレーターに連絡を取り、仕事を依頼するまでのハードルというのは、とても低くなっていたのである。絵本作家さんのように、依頼先がわからなかったり、けんもほろろに門前払いを食らわされたりするということがほとんどなかったのだ。
 だから、S女史に何人かのイラストレーターにメールを送ってもらうと、すぐにアポイントを取り付けることに成功した。それはびっくりするくらいの成功率だった。初めはほぼ100%の確立でお目通りが叶ったため、夢でも見ているような心地になった。
 しかし、ここで気を引き締めた。というのも、肝心なのはここからだからだ。お目通りは叶っても、実際に描いてもらえなければ意味がない。依頼を引き受けてもらえなければ仕事が進んだとはいえないからだ。
 大事なのは、どう魅力的な依頼をし、引き受けてもらうか、ということだ。

 そのため重要になってくるのが「プレゼンテーションである。いかに魅力的な提案をして、口説き落とすかということだ。
 そこで、自分がこれまで仕事の依頼を受けてきたときのことを考えた。一も二もなく引き受けたものもあるが、申し訳ないが断らせてもらったものもあった。
 両者の違いは何かということを考えた。一体、仕事を受けるのと断るのとの、境界線はどこにあるのか?
 すると、それはおおよそ三つのポイントに絞られるということがわかった。そこで、その三つのポイントに留意してプレゼンテーション案を練り、いざ依頼に臨んだのである。
 その三つのポイントと依頼の首尾については、また次回に書きたい。

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