• 83年前に祖父が創業した児童書出版社を突然引き継ぐことになった『もしドラ』作家・岩崎夏海。
    何の興味もなかった社長業で、50余名のスタッフを率いながらドラッカーの教えはどう活きる!?


第十三回  教育に強い会社にしたい

 

 社長に就任してから、ぼくは岩崎書店を「教育に強い会社」にしていきたいと思った。理由は三つある。

 

 一つは、教育業界がこれから成長すると予測されること。

 教育は、これからますます重要になると予測される。なぜかといえば、社会における知識の重要性がますます高まっているからだ。

 あるとき、ドラッカーの本を読んでいて興味深い記述に突き当たった。そこには、このような意味のことが書かれていた。

 

 昔の医者は、大学で得た知識だけで一生食べていくことができた。しかし今は、とてもではないが無理だ。理由は、知識の進歩が昔と比べて段違いに速いからだ。大学で習った知識など、ものの数年で役立たなくなる。それゆえ、これからの医者は生涯勉強しなければならないだろう。それが、「知識社会が到来した」ということだ。そうしてドラッカーは、その文章を「生涯学習の時代が来た」と結んでいた。

 

 この言葉に、ぼくは膝を打った。これは何も、医者だけに限ったことではないと思ったからだ。

 その頃ぼくは、ちょうど40歳くらいだったが、自分の知識にはまだまだ不足を感じていた。もっともっと勉強しないとすぐに社会から取り残されてしまう、という強い危機感を抱いていた。

 この危機感は、何もぼくだけではなかった。ぼくが参加しているドラッカー学会には、ぼくより年上の方たちも数多く参加している。彼らも、どれだけ年齢を重ねても自分の知識に不足感を感じていた。だから、誰に頼まれたわけでもないのに勉強会に参加し、熱心に学び続けているのだ。

 

 その勉強会では、定年退職を期にもう一度学び直したいという方までいた。働いているかどうかにかかわらず、学びが必要とされているのだ。ただ、その方は残念ながらそのすぐ後に亡くなってしまった。そのため、彼は文字通り「死ぬまで勉強し続けた」ということになる。

 

 そう考えたとき、ぼくはドラッカーの唱えた「生涯学習の時代」というものが、今まさに到来したのだということを知った。ドラッカーによれば、この動きは拡大することはあっても、縮小することは考えにくいという。もしそうであるならば、これからの時代はより多くの人が死ぬまで勉強し続けるようになるだろう。しかも、寿命は延びている。「人生100年時代の到来」ともいわれている。とすれば、勉強する時間もますます増えるということになる。

 

 そう考えると、教育産業は伸びざるを得ない――というのがぼくの考えだ。ぼく自身、ドラッカーの本を読んだときから約10年が経過し、そろそろ50歳になろうとしているが、勉強意欲は衰えるどころかますます高まっている。

 だから、そういう「生涯学習の時代」に向けて勉強に役立つような何かを提供していくことは、大きな社会貢献になるし、一つの重要な産業になるだろうと予測する。その意味で、岩崎書店の教育部門を伸張していきたいと思っているのだ。

 

 岩崎書店を「教育に強い会社」にしていきたいと思った理由の二つ目は、岩崎書店はもともと児童書の出版社で、学校向けの本――つまり勉強に役立つような本をたくさん作ってきた、ということがある。もともと、教育においては一定の知識と経験を持っているのだ。それなりの土台が既にある。

 

 それを利用しようとしたのである。これもドラッカーの本に書いてあったのだが、経営者というのは新しく就任すると自分のカラーを打ち出そうと全く新しいことをやりがちだ。例えば、それまでオモチャの会社だったのが、急にタクシー事業を始めたりすることもある。これは、任天堂で実際にあったことだ。

 しかし、そういうふうに経験がないことを始めても、たいていは上手くいかない。失敗の可能性が大きくなる。実際、任天堂の場合も大きな赤字を出した。それを解消するには、ゲーム&ウオッチのヒットまで待たなければならなかったほどだ。

 

 それに比べると、既存の事業をちょっと横にずらしたものは失敗する危険性が少ない。片足は既存事業に残しながら、もう片方を新規事業に突っ込むのがいいのだ。

 

 例えばアップルは、それまでコンピューターを作っていたのが、あるとき音楽プレイヤーであるiPodを販売することになった。これはしかし、必ずしも全く違うことを始めたわけではない。iPodには、これまでアップルが培ってきたコンピューターの知識や経験がふんだんに盛り込まれていた。また、iPodを使うためのiTunesというソフトも開発した。そんなふうに、既存事業を活かしたのである。

 

 そうしたところ、アップルの経営を根幹から立ち直らせるほどの大ヒット商品となった。岩崎書店も、これに倣おうとしているのだ。既存事業と新規事業のハイブリッド。これまで培ってきた教育の知識や経験を活かしながら、新しいサービスを開発する。そのことが、大きなイノベーションにつながるのではないかと考えた。

 

 

 教育に強い会社にしたいと思った三つ目の理由は、これは個人的なものかもしれないが、「ぼく自身が教育に興味がある」ということだ。

 ぼくは今、教育のことをもっと知りたいと思っている。それには、教育事業に取り組むのは一石二鳥になると考えた。つまり、自分が学びながら、同時に事業にもしてしまおうというわけだ。

 

 任天堂の宮本茂さんは「アイデアというのは二つ以上の問題を一度に解決すること」という定義づけをされた。これは、ぼくにとって座右の銘である。ぼくの著書『もしドラ』の続編である『もしイノ』でも、この言葉を重要なモチーフとした。

 問題を解決するとき、一度に一つのことについてしかできないのではあまり意味がない。石を一つ投げて一羽の鳥を落とすのは普通のことで、価値が低い。これでは、競争の厳しい現代社会を生き抜くことは難しい。

 しかし一つの石で二羽以上の鳥を落とすことができれば、これは大いなる優位性につながる。競争社会でも勝ち残っていける可能性が高まる。

 

 例えば、前述したアップルの生み出したiPod及びiTunesという製品は、利用者の利便性を上げると同時にインタネーットにはびこっていた海賊版を駆逐し、レコード会社の売上げを上げるという効果も生み出した。つまり、利用者とレコード会社、双方の問題を一挙に解決した、文字通りの一石二鳥だったのである。

 だからこそ、爆発的なヒットにつながり、しかもそれが定着した。きわめてすぐれた「アイデア」だったからこそ、大きな成功につながったのである。

 

 それに比べると、ぼくのアイデアはスケールが小さいが、しかしながら「教育についてもっと知りたい」という本来ならお金を支払って叶える類いの欲求を、事業化することで逆にお金をもらいながら叶えることができるかもしれない。もしそれができれば、一つの一石二鳥になると考えた。

 

 ちなみに、ぼくの書いた『もしドラ』も、一つの一石二鳥になっている。というのは、『もしドラ』というのはそれ単体でも売れたのだが、同時にドラッカーの本の宣伝にもなったので、ドラッカー本の売上げも上がったのだ。つまり、ダイヤモンド社にとっては一石二鳥の美味しい商品となったのである。それもあって、ダイヤモンド社は力を入れてこの本に関して営業をしてくれた。それがまた売上げを上げる相乗効果につながったということもあるのだ。

 

 さて、そんなふうに岩崎書店の教育事業を伸ばしていきたいと考えたときに、具体的な行動としてまず着手したのは、「本を出しながらその方向性を模索していく」ということだった。教育についての本を出しながら、ついでに自分も知識や経験を深めようという、これも一石二鳥を狙ってのことだった。

 

 

 

 ところで、ぼくはこれまでいろんなことを勉強する中で、最も役に立ったと実感させられる学問の分野がある。それは「歴史」である。ぼくは歴史を学ぶことによって、自分の能力を格段に進歩させた。そういう実感を、歴史を学ぶ中で得たのだ。

 

 特に、昭和史を勉強したことは本当に役立った。ただ、勉強といっても半藤一利さんと中村隆英さんの『昭和史』(共に同じタイトル)という本を読んだだけなのだが、しかしこれらは読むだけで本当に勉強になった。読む中で、日本がなぜ戦争に至ったかという経緯や、当時の雰囲気、またその後なぜ経済復興がなったのかということの理路までもが、よく分かったのである。

 

 その他にも、例えば「ゆとり教育」が生まれた背景なども推察することができた。

 ゆとり教育のそもそものきっかけは、1960年代にある。いや、本当はもっと前からあるのだが、分かりやすくこの年代に一つのターニングポイントがあった。

 それは学生運動だ。学生運動の盛り上がりで、日本でもたくさんの紛争が起きた。その中で過激派が生まれ、ハイジャックや殺人事件まで起きたりした。

 

 そして1972年には、あさま山荘事件という日本中を揺るがすような大事件が勃発した。どのように揺るがしたかというと、当時のテレビが犯人が山荘に立てこもる様子を生中継で映し続け、それを日本国中が長時間見守ったのである。

 

 そうしてそこに最後に映し出されたのは、あさま山荘が鉄球で打ち壊され、犯人が逮捕される映像だった。それを、日本国中の大人はもちろん、多くの子供たちも目撃した。

 すると、当時のテレビは今とは段違いの大きな影響力を持っていたため、多くの子供たちがこれの影響を受けたのである。この映像の影響を受け、以降は学生運動に身を投じる者の数がぐっと減ったのだ。それは、あさま山荘事件の映像を見た多くの子供たちが、学生運動の空しさや惨めさを知ったからであった。

 

 おかげでそれ以降は、若者たちが学生運動に参加する割合が一気に減った。それは前の世代の比べると顕著だったので、彼らは「しらけ世代」などと呼ばれるようになった。

 ただ、そのしらけ世代にも別の闘争が待ち受けていた。それは「受験戦争」である。その頃、大学入試は過熱の一途を辿り、ついには受験に疲れ果てた息子が親が殴り殺すという、いわゆる「金属バット殺人事件」まで起こった。

 

 そのため、反動で勉強することへの違和感が一気に高まった。しかも、それが広まったタイミングでちょうどバブル経済が到来し、若者たちの間には「つらいことをするよりも楽しんだ方が勝ち」という価値観が一気に醸成されていったのである。

 

 そんな彼らが結婚し、子供を産んだ段階になって、ゆとり教育は始まった。それは、受験勉強でさんざん苦労してきた後、バブル経済を心ゆくまで謳歌した当時の親たちが、「自分たちの子供には同じような思いをさせたくない、もっと人生を楽しんでほしい」と強力に後押ししたからはじめて成立し得たのだ。

 

 そんなふうに、歴史を勉強すると世の中の構造というものがさまざまに見えてくる。それまで平面的にとらえていた事件や現象が、一気に立体的に見えてきて視界がぐんと広がるのだ。

 

 そういう体験を経たぼくは、もっと歴史の勉強をしたいと考えていた。そこで、岩崎書店でも歴史の本を作ることにした。それによって、教育についてもっと学ぼうと考えたのだ。

 

 では、そこでどんな本を作ったのか?

 次回は、そのことについて見ていきたい。

 

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