第十一話

 高野山の夕暮れは早い。午後四時には、多くの観光客は帰る支度をはじめる。日のあるうちに宿坊に入り、夜中は宿を出ない、というのは四国遍路の心得でもある。私たちも茶原さんに送ってもらい、午後五時前には宿坊に入る。
今回、高野山には二泊することになっており、一日目と二日目は別の宿坊を予約している。せっかくだから違うところに泊まったほうがいいでしょう、という茶原さんのアドバイスだ。宿も彼にピックアップしてもらった。

 もちろん、どの宿坊もそれぞれに趣向を凝らしているから、一概に優劣をつけるわけにはいかない。現在、高野山には五十余の宿坊がある。つぎに来るときには、また別のところに泊まろうと思っている。そうやっていろいろな宿坊に泊まるのも楽しそうだ。
 事務所のようなところで受付をしたあと、さっそく部屋に案内される。もとは大座敷だったものを、襖で仕切って八畳ほどの個室にしてある。隣の話し声や物音は聞こえるから、防音という点では完全ではないが、いつも仕事で利用するビジネスホテルなどに比べ、この緩いプライバシーの保たれ方は、どこか温かみがあって心地よい。

 夕食の前に風呂に入る。五、六人も入ればいっぱいになってしまう広さだ。さすがに温泉旅館のようなわけにはいかない。でも修行中の若い僧侶たちが掃除をしてくれているおかげで、清潔に保たれていて気持ちがいい。
 料理は精進である。会席形式で、本膳に二の膳、予算に応じて三の膳まで付いてくる。煮物、天ぷら、胡麻豆腐……どれも美味しい。きっと専門の調理人を置いているのだろう。酒は注文すれば快く出してくれる。昔から僧侶たちも「般若湯」と称して、酒を飲んでいたらしい。厳しい寒さを凌ぐためでもあった、と好意的に解釈してあげたい。

 私たちも麦般若を少々いただくことにした。
「今日はビール一本にしとこうか」
「二人で一本ですね」
「そのくらいならいいだろう」
 どうやら小平さんも昨夜は飲み過ぎたらしい。私たちのような酒飲みには、案外、高野山はいい場所かもしれない。いくら快く出してくれるとはいっても、宿坊で酔っ払うまで飲もうという気にはならない。山内には飲み屋も、なくはないらしいけれど、わざわざ出かけようとは思わない。
 「健康的だよね」精進料理をいただきながら小平さんが言った。「料理は低カロリーだし、酒は飲み過ぎないし」

「おまけに超早寝・早起きですからね」
「ときどきリハビリのつもりで来るといいかもしれないね」
「ビール、あと飲んじゃってください」
「いいの? じゃあ、ご飯の残り食べちゃって」
なんて思いやりのある私たちなんだ! 弘法大師のお力だろうか、ここではなんとなく品行方正な人間になってしまうようである。人類がみんなこんな気持ちで暮らすことができれば、戦争なんて起こらないのになあ。
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