第十九話

 昨日と同じように、風呂に入ってから精進料理の夕食をいただく。風呂ではメキシコから来たという二人の男たちと一緒になった。二人とも中年で立派なお腹とお尻をしている。お湯が熱かったのか、肌が真っ赤だ。スペイン語(?)で何事か言い合いながら、楽しそうにシャワーを浴びている。簡単な挨拶をして、ニコニコしながら出ていった。まさに未知との遭遇。こんなところでメキシコ人と裸の遭遇を果たすとは。高野山の宿坊では、まったく何が起こるかわからない。  精進料理の夕食、品行方正な私たちは今夜もビールを一本だけ注文した。夕食には小平さんの知人が加わる。和歌山市から車を飛ばしてはるばる会いに来てくれたのだ。

 私も去年の「裏ななつ星紀行・紀州編」のときに、ずいぶんお世話になっている。その彼が、紀州産のワインをお土産に持ってきてくれた。
「ぜひ小平さんに飲んでもらおうと思って」
「ええ、悪いなあ」と言いながら、小平さんは箱のなかからさっそく瓶を取り出している。「持っていくのも重いから、今夜飲んでいい?」
「そりゃあ、お土産ですから」
 彼は食事が終われば車を運転して和歌山に帰るので飲めない。しかし飲酒にかんしては非情になれる私たちは、食事の世話をしてくれている若い僧侶に、さ そくグラスを持ってきてくれるように頼んだ。当初の殊勝な心がけはどこへ行ったのか。
「弘法大師は心の広いお方だから」
「欲望肯定ですからね」

「じゃあ、いただきます」
 和歌山の知人、呆れている。私自身、ちょっと呆れている。品行方正でいられるのは一日だけらしい。
清らかな心は一日でエネルギー切れを起こし、胸のランプが点滅しはじめる。ウルトラマンか、私たちは……。
 七百二十ミリリットルのボトルはあっという間に空になった。和歌山の知人、愛想をつかして早々に帰っていく。性懲りのない私たちは、何度も厨房に電話をかけてグラス・ワインを注文する。あと一杯だけね、などと言いながら、いったい何杯飲んだんだ?
 その夜はなかなか寝付かれなかった。眠れないままに、亡くなった父のことを考えていた。二年ほど前の暮れのことだ。
 半年ほど入院していたのが、二週間ほど前から急に容態が悪くなり、数日は危篤の状態にあった。

 酸素吸入を受けながら、父は薄目をあけて、いまにも途絶えそうな息をしている。呼気から吸気へ移行するまでの間隔が長くなっていた。
 息を吐いたまま、つぎに吸うことを忘れてしまったのではないかと思えるほど、無呼吸の状態がつづく。苦しくなると最後の力を振り絞り、全身を波打たせるようにして息を吸う。耐えがたい苦しみだった。とても見ていられない。一呼吸、一呼吸が断末魔の苦しみだ。主治医からモルヒネを使うことの相談があったとき、私は父を苦しませないために、あらゆる手段をとってくれるようにたのんだ。それから三日ほどで、父は亡くなった。
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