第九話

 壇上伽藍を案内してもらう。奥之院とともに、高野山の二大聖地として信仰されている場所である。根本大塔と金堂を中心に、西塔、東塔、御影堂(みえどう)、愛染堂、孔雀堂、不動堂など多くの堂塔が建立されている。現在は一段高くなった場所という意味で「壇上」と書くのが一般的だが、本来は曼荼羅道場を意味する「壇場」という字をあてたものらしい。金剛界と胎蔵の両部の曼荼羅のうち、伽藍は胎蔵曼荼羅の壇場、奥之院が金剛界曼荼羅の壇場にあたる。

 こうした密教思想の具現化は、伽藍の配置にもうかがえる。すなわち金堂(あるいは御影堂)を中心に据え、左右にそれぞれ胎蔵と金剛界を象徴する二基の塔を配する。とりわけ密教寺院では、宇宙の真理を具現化するものとして塔を重視するらしい。もっとも空海の存命中には、胎蔵を象徴する大塔も完成しておらず、また西塔は後に規模を縮小して造られたために、本来意図されたであろう曼荼羅のシンメトリーはかなり崩れている。
 根本大塔のなかに入ってみる。伽藍のほぼ中央に聳えるこの朱色の大塔は、空海が真言密教の根本道場(修行の中心地)として最初に構築しようとした建造物の一つである。

 これだけは自分の存命中に、と思ったかもしれない。しかし前回述べたように願いは果たせず、完成は空海の死から約半世紀後、弟子の代まで待たねばならなかった。その後、塔は何度か火事で焼失している。他の建物も、ほとんどが落雷などによる火災によって焼失し、国宝の不動堂を除いて、多くは近代以降に再建されたものだ。度重なる焼失に懲りたのか、現在の大塔は鉄筋コンクリート造りで、昭和十二年(一九三七年)に建てられた。高さは五十メートル近く、四面の幅もそれぞれ三十メートルほどある。
 堂内に入って、まず目を引くのは柱に描かれたあでやかな菩薩像だろう。大塔を支える十六本の柱に十六体の菩薩が描かれている。

 その中央に、本尊の大日如来が金箔をまとって鎮座している。まわりを金剛界の四仏が取り囲み、さらに四隅の壁には密教を伝えた八祖像が描かれる。空海が構想した立体曼荼羅を体感するには、最適の場所かもしれない。もっとも金剛界とか胎蔵界とか言われても、私のような者にはいまひとつピンと来ない。まずはこの雰囲気を味わいたい。光り輝く仏像たち、極彩色の絵、朱で彩られた柱や梁……とにかく華やかである。京都あたりの苔寺の雰囲気とはずいぶん違う。
 隣の金堂にも入ってみる。高野山一山の総本堂であり、年中行事の大半がここで執り行われる。

 本尊の薬師如来は秘仏であり、厨子の扉は閉じられている。胎蔵界と金剛界の両界曼荼羅絵図が、左右二対で掛けられている。この金堂も過去に六回火事で焼失しており、最後の焼失は昭和元年(一九二六年)、その際に、開創当時から安置されていた本尊の秘仏を含む諸仏七体も燃えてなくなったらしい。現在見ることのできる仏像は、高村光雲などによって刻まれたものだ。建物は昭和七年(一九三二年)に再建された。
 それにしても空海、宗教家や思想家としてだけでなく、芸術家としても相当な造形力をもっていたと思われる。この高野山の壇上伽藍のように、密教が視覚化され具現化されたものは、思想としても様式としても、空海以前には存在しなかった。

 すべては空海という一人の人間によって構想され、構築されたものだ。もちろん唐から持ち帰った曼荼羅絵図などを参考にしたのだろうが、大日経系と金剛頂経系という二つの密教体系を統合することは、ひとり空海の独創によるものだ。それを思想表現とともに美術表現として、あるいは建築表現として成し遂げようとしたところに、空海という人間の巨大さ、誤解をおそれずに言えば「貪欲さ」を感じる。
>>第十話に続く
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